『明石家紅白!』から考えた、音楽番組とかメディアづくりとかのこと

カルチャー

そういえばこないだ友達と話していて、「昔は『うたばん』とか『HEY!HEY!HEY!』とか音楽番組が面白かったよねー」という話になった。80年代生まれの人には比較的、共通した感覚なのかなと思う。

『明石家紅白!』が面白かった

そこで僕が思い出したのが、音楽番組『明石家紅白!』だった。今年の7月末にやっていた、大黒摩季、香取慎吾、緑黄色社会が出ていた回をたまたま見ただけなのだけど、ふと目に止まっただけなのに、面白くて最初から最後まで全部観てしまった。

半年に一回ぐらいのペースでやっているらしい。おそらく今年の12月の後半、紅白前の時期にまたやるのだろう。

エピソード - 明石家紅白!
「明石家紅白!」のこれまでのエピソード一覧です

『うたばん』『HEY!HEY!HEY!』→『ソングライターズ』『関ジャム』

昔の『うたばん』とか『HEY!HEY!HEY!』は、音楽そのものよりもアーティストのパーソナリティの裏側や面白さにフォーカスして、親しみを持ってもらうという構成だった。ふだんは私たちと全然違わないそのへんのお兄さんお姉さんだけど、ライブパートになるとキリッとする、そのギャップの面白さを狙ったものだったと思う。

その後の音楽番組で少し話題になったのは、NHKの『佐野元春のザ・ソングライターズ』とか、『関ジャム 完全燃SHOW』とかだと思うけれど、これらはどちらかと言うと「音楽そのもの」でアプローチしようというものだったかなと思う。

ただ、特に『ソングライターズ』は、ちょっと自己啓発的すぎるというか、非常に決断的な「作り手になる」みたいなことの意味を伝えていたように思う。佐野元春はそもそもそういう人だと思うのだが、『ソングライターズ』は00年代独特の「生き残れ!」的な閉塞感ともリンクした、悪い意味で非常に息苦しい感じの番組だった。

ほどよい技術論とBIG LOVE

それが『明石家紅白!』の場合、ある程度までは音楽とか技術論みたいな話も聞いていく構成になっているけれど、何よりも明石家さんまの音楽愛が伝わってくる番組だった。おそらく、ほどよい技術論とBIG LOVEみたいなものが、いいバランスなんだろうなと思う。

そういえば、石橋貴明・中居正広、ダウンタウンはそこまで音楽が好きという感じでもなかった。音楽そのものに興味があるというよりは、音楽を生み出す人々のパーソナリティに興味を持たせる番組だったかもしれない。これは80年代の山際淳司が一世を風靡した『Number』や、90年代の『ロッキング・オン・ジャパン』などに特徴的な、技術や作品そのものよりも「人」への興味という時代的な風潮とリンクしたものだった――とも思う。

あと素朴に気になるのが、『ミュージックステーション』のタモリは、本当に音楽に興味があったんだろうか? ということである。『ブラタモリ』でのタモリを見ると、本当に地形とか地理、ジオグラフィック的なものが好きなんだな、ということは伝わってくる。ただ『ミュージックステーション』ではいつも、あんまり興味がなさそうだった。もちろん全員を平等に扱うというのがあの番組の重要なところで、そういう態度が必要だったのかもしれない。しかしそれでも、タモリが音楽番組の司会をやっていることの意味はよくわからなかった。というか、その意味が時代とともに薄れていったということなのかもしれないが。

そこで言うと大御所芸能人の中で、明石家さんまはおそらくダントツで音楽好きなんだろうと思う。しかもそれが、『ソングライターズ』のような自己啓発的・決断的・クリエイター至上主義的な息苦しさを伴っておらず、単純にファンとして音楽が好きで、その上で音楽が生み出されるもとである歌手なりミュージシャンに迫っていき、もう一度音楽に立ち返っていく、そういう構成になっている。

明石家さんまの存在

明石家さんまというと、高校生ぐらいのとき(2000年代前半)の僕は、少し背伸びをして『恋のから騒ぎ』なんかも見ていた。当時の男性芸能人は恋愛の話にはそこまで解像度高く迫っていけなかったなかで、さんまは唯一、少し尖った女性たちの恋愛観を聞くということをやっていて、その姿が、当時の男子高校生からすればカッコよく見えていたのだと思う。

ただ、『から騒ぎ』は深夜帯だからできることではあって、『踊る!さんま御殿!!』になるとゴールデン的になり、途端につまらなくなる。さんまの仕切りはすごいと思う反面、何かあまりにもテンプレート化し過ぎて面白くないという感覚は、おそらく十数年前から自分の中にはあったと思う。

明石家さんまには良くも悪くも軽薄なイメージがある。しかし『明石家紅白!』の場合、軽薄なパブリックイメージのあるさんまらしくない(いい意味で)、ガチな音楽愛が伝わってくる。ほどよくクリエイター的で、ほどよくお客さん的でもあるという塩梅。このぐらいの感覚がしっくり来る。

前に『チコちゃんに叱られる!』の話をこのブログで書いた(キョエちゃんの「江戸川慕情」が好きすぎる)。岡村隆史という芸能人が、『めちゃイケ』のような甘やかされる、王様のように扱われる番組では権力的に見えていたのが、『チコちゃん』のような番組のフレームに入っていくと、また別の魅力を発揮するということがある。『明石家紅白!』の場合も、明石家さんまの別の一面をうまく乗せられているように思う。

企画側の手腕

だとすると、結局のところこれは芸能人の良し悪しというよりも、企画側の手腕なんだろうなということに思い当たる。ちょうど今『エルピス』というドラマが話題で、サスペンス的な要素が注目されがちだけれども、メディア業界を描いていてなかなか面白い。特に「ルーティン化してしまったものをどう崩して、新しい要素を持ち込むか」に苦闘している様子には、けっこう共感するところがある。

演者にフォーカスするよりもいかに企画としてテレビ番組を面白くできるか、その枠組みを作れるか。「このテーマでこの演者にお願いしたらきっと新しいものが生まれてくる」というような企画ができるかどうかが、月並みかもしれないけれども本当に大事なことだと思う。

『エルピス』も、『チコちゃんに叱られる!』も、『明石家紅白!』もそうだと思うのだが、すっかり勢いを失いルーティン化・固定化してしまったメディア作りにおいても、こういうテレビ番組の作り方ができるというのは面白いなと思う。

ちなみにテレビ論ということでいえば、僕がLIGにいたときに、『電波少年』の土屋敏男さんにインタビューした記事があります。非常に評判が良かった記事なので、未読の方はぜひ。→視聴者・出演者すべてを裏切った漢。『電波少年』土屋敏男Pに、コンテンツ制作の極意を聞いてみた

(了)

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