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プロフィール

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中野 慧 Kei Nakano

86年生まれ、ライター・編集者・ディレクター。大学在学時にコンテンツ制作を始め、2013年からカルチャーメディア「PLANETS」にて、書籍、Webメディア、動画、イベント、ネット番組などの企画・運営を経験。その後、株式会社LIGにてWebメディア制作・広報を担当し、2021年からフリーランス。

担当書籍『ナショナリズムの現在』『若い読者のためのサブカルチャー論講義録』『現役官僚の滞英日記』他多数。現在は、PLANETSにて月イチで「文化系のための野球入門」を連載中。これまでに書籍・雑誌・Webメディアの企画・執筆・編集、広告制作・コピーライティング・Webマーケティング、地方自治体のPRプランニング、動画企画・制作、新規事業開発などをやりました。

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kei.nakano21■gmail.com
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来歴

どんな人間かわかりやすくなるかと思い、自分の来歴をざっと書いてみました。

1986年〜横浜市にて、両親とも東京藝術大学卒、父は彫刻家、母は建築家という文化資本の高すぎる一家の、三人兄弟の末っ子として生まれる。早生まれで発育が遅く気弱な性格となり、生粋のインドア派として育つ。なおその後、兄は大学で建築を学んだのち現在はゼネコンの設計部勤務、姉は美大の油絵科を出て美術教師となっており、美術一家で唯一自分だけ文系となっている。
小学校低学年事実上の家長かつ元お嬢様である母がNHK以外の視聴を禁じるなか、母がヴァイオリンの練習に出かける土曜夜のみ民放が視聴可能だったため、その枠で放映されていた『美少女戦士セーラームーン』『幽☆遊☆白書』『SLAM DUNK』にハマり、黄金期ジャンプを購読し始める。また、たまたま読んだ『旧約聖書』の物語としてのスケールの大きさに圧倒され、小学校3年生のときに衛星放送で見た『スター・ウォーズ エピソードⅤ 帝国の逆襲』にハマったこともあって海外コンテンツに開眼する。
小学校高学年『金田一少年の事件簿』をきっかけに推理小説に目覚め、ホームズ、ルパン、乱歩から始まって横溝正史、エラリー・クイーンなども読むようになる。推理小説を読みすぎたため、国語の授業で「物語を書こう」という課題が出た際に超大作を書き上げてしまい、それを(おそらく)高く評価した担任によって「たった一人でクラス全員の前で自作を朗読させられる」という刑を課され、深いトラウマを負ったため以後は創作を断念。

90年代半ば、折からのPlayStationブームの煽りを受け、それまで家庭内で禁止されていたテレビゲームをついに母が解禁。しかしゲームは価格が高いためなかなか沢山は買ってもらえず、代替行為として図書館などで「ファミ通」「電撃PlayStation」を愛読するようになる。たまたま兄が買ってきたナムコの野球ゲーム『ワールドスタジアムEX』をプレイして「イチロー」「松井」という超強キャラがいることを知る。

それまでは憎悪の対象だったテレビの野球中継も見るようになり、1996年の「メークドラマ」を目撃していったん巨人ファンになる。しかし翌1997年、地元・横浜ベイスターズに「マシンガン打線」が誕生。父に横浜スタジアムに連れて行ってもらってその超攻撃型野球に魅せられ、横浜ファンに転向。実は祖父も下関時代から大洋ファンであり、三代続けての横浜ファンとなった。ファン二年目に日本一を目撃するも、その後の20年で10度の最下位・15度のBクラスという暗黒時代を見守ることとなる。
小学校末期たまたま周囲で仲の良かった友達がみな中学受験組だったため、「自分も塾に行きたい」と主張。小学校5年の2月に塾に通い始めるが、すぐに「中学受験は小学校3,4年から始めるものであり、5年の2月はさすがに遅い」ということを知り絶望(なお両親も基本的に芸術にしか興味がないため学歴社会へのリテラシーが低かった)。しかし最終的には何とか1年で、神奈川県の名門中高一貫校である浅野中学に合格する。
中学校オタク/インドア派からの脱却を目指し、中学校で野球部に入部。体が小さく運動神経もあまりなかったが、よく練習したため中2秋からレギュラーになる。
2000年に世間や周囲でOasisの4thアルバム『Standing On The Shoulder Of Giants』が流行ったことに影響されて『ロッキング・オン』を購読しはじめてカタチだけRadioheadやThe Strokesなどを聞くようになり、さらに『Sports Graphic Number(ナンバー)』も読むようになり、雑誌ジャーナリズムに開眼する。
また、当時の中高一貫男子校カルチャーのなかで人気だった時評漫画『ゴーマニズム宣言』にハマり、2ちゃんねるなどの影響もあって一時はネトウヨ化思想的に先鋭化していた(しかし高校入学後の2002年日韓W杯や、同級生で在日韓国人の友達ができたことでだんだん考えを改める)。
高校高校野球に上がったら部活が週6になり毎日クタクタになってしまい、カルチャー方面への情熱が薄れていき、UKロック好きだったはずが周囲で流行っていた青春パンクとかを適当に聞くようになる。

高校野球関係の大人たちのパワハラ・モラハラ・醜い権力争い等を目にし、しだいに精神を病む。
仲間うちで流行っていたゲーム『ワールドサッカーウイニングイレブン(ウイイレ)』でサッカーに開眼、野球以外の時間は熱心にサッカーの練習に励むようになる。しかし同級生たちが『ウイイレ』にハマりすぎ、その反面の辛すぎる高校野球生活を通じて野球を嫌いになっていき、続々と退部していくのを目撃する(高1の入学時に20人以上いた同学年が、高3夏にはわずか6人になっていた)。

高校野球が大変すぎたせいか(?)、高校の頃から遅刻・怠学が常態化。「日曜の試合後は疲れているし、月曜は練習もないから」という理由で、勝手に月曜の学校を定休日化していたところ、学校・家庭内で問題となる。
また高2の二学期に、数学でテストの点数も悪い上に宿題も一切提出しなかったため赤点が2つつき、留年の危機を迎える。そして迎えた高2の三学期、高校に進学して初めて「数学の宿題提出」という快挙を成し遂げ、何とか進級。
なお、学校には行くようになったものの遅刻癖は直らず、高3時はほぼ毎日重役出勤していたが、通信簿ではなぜか「遅刻=28回」と記録されていた。これは担任教師が聖人であり、大学受験の調査書のことを考えて「遅刻=128回」の百の桁を消してくれたという説が、中野家では有力となっている。

高校野球部では途中まで有望選手とされ、高2秋の新チーム発足時は4番を打つなどしたが、メンタル面などでの弱りもあって高3夏は控え、横浜スタジアムでの思い出代打で高校野球生活終了、チームも一回戦負け。
高校野球終了後はのんべんだらりと過ごし浪人を既定路線としていたが、高3の11月頃に「高校野球をあれだけ頑張ったのに最後は控え&一回戦負けで、おまけに大学受験で国立を記念受験してもセンター試験で足切りされたら人前に出れない」という非常に後ろ向きな危機感から、「センターで足切りされない」という低い目標を掲げて朝6時起きでの受験勉強を始める。なお高3の12月まで微分の意味すら理解していなかった。

しかしコツコツ集中してやったことで、1月のセンター試験本番では第一志望として(一応)掲げていた一橋大学社会学部がB判定(合格圏内)が出るぐらいまで躍進。急に周囲からの扱いが変わったこと(先生方からの「中野、一橋いけるな!」といったお声がけ等)に戸惑いを覚えつつ、無事2月の一橋前期入試で社会学部に合格。
大学〜20代半ば4月に一橋大学に入学したものの、自分のような怠学生はあまりおらず、「おれは弁護士になる!」「会計士になる!」等の夢を新歓合宿でキラキラした目で語る同級生たちの自己評価の高さに圧倒され、自分は特に大学に入ってやりたいことなどなかったため、厭世感を高める。
野球部に入ったものの、それも辞めて地元に引きこもり、マイルドヤンキーとしてコンビニの入口やラウンドワンなどに生息。この頃、カルチャー方面への情熱だけ取り戻す。

入学して2年ほど経った頃、実は意外と一橋の社会学部が自分に合った場所だったことを悟り、ゼミに2つ入るなど学業に真剣に取り組んだ結果、ほとんどの講義でAかBを取るようになり、「一橋大生、恐るるに足らず」という謎の自信を身につける。野球部も再開する。
しかし就職活動の時期になると新卒就活のデスゲームぶりに再び疲弊。「働きたくない……」と厭世感を高める。しかし何らかの収入源は得なければいけないため、この頃に改めて出版業界に「仕事をする場」として消極的に興味を持ち始める。そのなかで面白い雑誌としてPLANETSを見つけ、アシスタント募集に応募。ライターや編集アシスタントを始める。大学院修士課程に進むが、やはり自分のやりたいこととは若干違うと感じ中退。ただし高校公民・中学社会の教員免許だけは命からがら取得した。
2013年〜PLANETSで編集としてフルタイムで働きはじめる。一部では「高地トレーニング」とも称されるハードな業務を経験する。しかし「ちゃんとしたサラリーマン生活をしたほうがよさそう」といった理由から2018年に転職。
2018年LIGに入社し、本格的なWeb業界、そしてサラリーマン生活を経験。PLANETS時代のほぼフリーのような自由な働き方のありがたみを再度感じ、退職して2021年からフリーランスに。

ブログを書く際に考えていること

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3.ツッコミどころのあるものを書く

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