差別行為に対するダルビッシュの対応はどう優れていたのか。社会学的に解説してみる

社会科学・人文科学

Dodger Stadium Tour - Los Angeles
Photo By Dave Sizer on Flickr

本日、MLBのワールドシリーズ第7戦が行われ、ア・リーグ覇者のヒューストン・アストロズがナ・リーグ覇者のロサンゼルス・ドジャースを破り、4勝3敗として優勝を決めた。ドジャースの主力として、ダルビッシュ有、前田健太の二人が登板したこともあって、例年よりも日本国内からの関心が比較的高いワールドシリーズだった。

さて今回のワールドシリーズは野球そのものだけではなく、ダルビッシュが受けた「差別行為」も日米のメディアで盛んに取り上げられた。

ダルビッシュはまず第3戦で先発登板し、2回途中4失点で敗戦投手となってしまった。このときダルビッシュから先制本塁打を放ったのが、強打を誇るアストロズ打線の5番一塁を任されるユリエスキ・グリエルであった。

グリエルはダイヤモンドを1周してベンチに戻ったあと、指で目を釣り上げるようなジェスチャーをした。これがテレビカメラに映し出され、アジア系選手であるダルビッシュに対する差別行為であるとして問題になったのだ。


▲問題のジェスチャーのシーン

MLBがこの行為に対してどのような処分を課すのか、グリエルは残りのワールドシリーズを出場停止になるのかが焦点となった。そしてMLBのコミッショナー、ロブ・マンフレッドはグリエルに対する処分を発表。ワールドシリーズは出場停止とはせず、来シーズン開幕から5試合の出場停止という処分になった。

マンフレッドによる処分に影響を与えたのが、試合後にダルビッシュが投稿したツイートだった。

完璧な人間などいない。
もちろん僕も、あなたたちもそうだ。
今日の彼(グリエル)の行為は適切ではないが、彼を非難するよりも、この件から学べるように努めるべきだ。
もし私たちがこの件から学ぶことができたなら、人類にとって大きな一歩になる。私たちはこんなに素晴らしい世界で暮らしているのだから、怒りの感情にばかり目を向けるのではなく、ポジティブな精神を保ち、前進しよう。僕はみんなの大いなる愛を信じている。
ダルビッシュ有の10月28日のツイートより/筆者訳

マンフレッドは会見で以下のように語った。

「彼はこの難しい状況を非常に模範的な形で対応した。このネガティブな出来事を、学びとより深い理解を得るための機会にしようと考えるのは、特筆すべきことだ」

出典:「ダルビッシュがヒーロー」 差別行為のグリエルを「救った」と米紙が称賛 | Full-count | フルカウント ―野球・MLBの総合コラムサイト―

もしグリエルが出場停止になっていたらアストロズは主軸の一人を欠くことになり不利になったはずで、シリーズの行方を大きく決めることになる。こうした対応には賛否両論あるだろうが、僕は妥当なものだと思った。

グリエルのこれまでを振り返ってみると……

グリエルはもともと野球大国キューバのナショナルチームの中心選手であり、日本の野球ファンのあいだでも知名度が高かった。キューバは最近まで海外チームに野球選手が移籍することを禁じていたのだが、2014年頃から「キューバの雪解け」と言われる国際協調の気運が高まるとともに、国外移籍を解禁した(米国とはまだ国交回復交渉の途上である)。すでに国交のある日本へも何人ものキューバ人選手が移籍してくるようになった。

代表の中心選手であるセペダ、デスパイネらとともにグリエルも来日し、横浜DeNAベイスターズに2014年シーズン途中で入団して活躍。当時の中畑監督からは「長嶋茂雄さんみたい。プレーに華がある」と評された。しかし翌2015年には来日せず、最終的に解雇された。このとき来日しなかったのは、グリエルはもともとMLB志望であり、米国-キューバ間での国交回復交渉の成功を待っているのではないか、といった憶測も流れた(キューバ人選手は亡命しないとMLBでプレーできない)。

しかし米国-キューバ間の国交回復交渉はその後も実現しなかった。結局、業を煮やしてグリエルは亡命してアメリカに渡り、昨年2016年夏にヒューストン・アストロズと契約を交わして入団。打線の主軸を担うようになり、今に至るわけである。

ちなみにグリエルはアストロズ移籍以降、たびたび古巣・横浜DeNAベイスターズのことを気にかける発言をメディアやツイッターなどでしており、2015年春に来日しなかったことに怒っていた横浜ファンたちの間でもしだいに、アストロズでのグリエルを応援する雰囲気も生まれていた。アストロズがワールドシリーズ進出を決めた際にも以下のようなツイートをしている。

「差別の構造」と本質主義・構築主義

しかし筆者が現時点でのメディアでの報道のされ方で気になるのは、今回の件を過剰に「人種間の問題」として理解しようとしすぎているのではないか、ということだ。

たとえば「アメリカでは日本人もキューバ人も同じマイノリティなのに、マイノリティからマイノリティに対して差別行為が行われたことが問題だ」という意見もある。(グリエルのダルビッシュへの侮蔑行為が示す人種問題の根深さ(豊浦彰太郎) – 個人 – Yahoo!ニュース

ほかにも、30日放送のTOKYO MX「バラいろダンディ」で武井壮と蝶野正洋が自身の米国での差別体験を語った。(ダルビッシュへの差別行為、武井壮&蝶野が体験談 – 芸能 : 日刊スポーツ

しかし、こういった差別の構造というのは、何も人種間の差別(レイシズム)に限るわけではない。ジェンダー、障害、趣味嗜好などすべてに当てはまることである。

そして基本的に、「差別する側」の差別行為には、悪意がないことが大半である。今回のグリエルも、問題の行為があった後に「悪意はなかった」「キューバでは日本人や中国人などのアジア人のことを『チーノ』って言うんだ」などといったことを述べている。(グリエル”差別行為”釈明「侮辱するつもりなかった」 監督「本人は後悔」 | Full-count | フルカウント ―野球・MLBの総合コラムサイト―

差別行為の大半には「悪意がない」。だが「差別を非難する側」からすれば、「悪意がないからって許されるわけではない。というか、『悪意がない』などということが言い訳になると思っていること自体が問題だ」と思ってしまうものだ。

今回のダルビッシュのコメントが良かったと思うのは、その点について触れていることだ。

完璧な人間などいない。
もちろん僕も、あなたたちもそうだ。

社会学には「本質主義」と「構築主義」という言葉がある。

本質主義とは、「人間にはまず本質があって、その結果として生まれた行為が社会を形成する」という社会観・考え方である。

一方、構築主義とは、「人間に本質的な特性が必ずあるわけではなく、歴史や慣習などの人々の相互行為のなかで社会が形成される」という社会観・考え方だ。

これだけだと何を言っているのかよくわからないと思うが、要はたとえば「中国人・韓国人はもともと悪い人たちで、だから反日的な言動をする」と考えるのが本質主義で、「中国・韓国にはそれぞれこれまでの歴史で蓄積された社会の慣習があり、その社会のなかで形成された価値観に影響されて、日本国や日本人を貶める言動をする人たち『も』現れるし、その事自体に怒ったり非難したりしてもあまり意味がない」と考えるのが構築主義である。

他にも、たとえば「だから女はダメなんだ」とか「だから男はダメだ」といった言い方は、「男」あるいは「女」にまず先立つ本質があって、「男」「女」はその本質にもとづいて一律に同じような行動をするものと想定している点で、本質主義的な言い方に分類できる。

一方、社会学は基本的に構築主義的な立場に立って物事を理解しようとする。人間が生まれたときに何か本質的な特性を持って生まれてくるのではなく、育った環境、周囲の人間たちの影響によってその人の考え方や言動が規定されていく――ではその行動を規定した要因はどんなことか?を、解明しようとしていくのだ。そして、そういった思考をしていくためには、人間それぞれにグラデーションや個体差を想定しようとする、ある種の慎重な手つきが必要になる。

ここでなぜ「本質主義」「構築主義」の話を出したかというと、すでに書いたようにグリエルは「キューバでは日本人や中国人などのアジア人のことを『チーノ』って言うんだ」と述べた。こういった発言が「何も説明していない」「言い訳になっていない」ことを彼は理解していなかった。つまり、彼は「キューバでは何の問題もなかったことなのに、なぜこんなに怒られているんだ?」ということに困惑している。キューバとアメリカでは、当然社会の成り立ちも違えば、人種の多様性の度合いもまったく違い、特にキューバは半鎖国状態だった。要は、「学ぶ機会」がなかったのだ。さらに付け加えるなら、たとえアメリカで育ったとしても「学ぶ機会」がないまま暮らす人も多いだろう。そういう「学ぶ機会」の数自体も多様である。だからこそ、ダルビッシュの述べたとおり「彼を非難するよりも、この件から学べるように努めるべき」なのだ。

今回の件でわかったのは、グリエルがこれまでの野球で素晴らしいプレーを見せてきた反面、倫理面ではまだまだ「未熟」であること、そしてダルビッシュが「成熟した」考え方を持っているということだ。具体的なエピソードを詳しくは知らないが、イランと日本のハーフとして大阪で生まれ育ったダルビッシュは、幼少期から「差別」について深く考える機会が多かったのかもしれない。

逆に言えば、グリエルには、(野球以外の面で)まだまだ学ばなければいけないことが多い。悪意がなくても、ああいった行為を行うことで、ダルビッシュ本人やアジア系の人たちがどのような感情を抱くのか、想像を及ぼすことができるようにならなくてはいけない。もともとヒスパニックが多く、シェールガス革命の影響もあってますます人口が流入し、多様性を増しつつあるヒューストンのチームでプレーするなら、なおさらだろう。

「トランプを生んだもの」はまだ生きている?

そして本日のワールドシリーズは、ロサンゼルスのドジャー・スタジアムで第7戦が行われた。ダルビッシュが先発登板し、さっそく1回にグリエルとの対戦となった。グリエルはロサンゼルスの観客からの大ブーイングに迎えられたわけだが、打席に入る際にヘルメットを取ってダルビッシュに対して謝罪の意を示し、ダルビッシュもグラブによる合図で応えた。「必要なことは行われた」と僕は感じたのだが……ドジャースタジアムのブーイングは鳴り止むことがなかった。

今回の件で非常に残念だったのはこの点である。当然ながらロサンゼルスは西海岸を代表する都市であり、ハリウッドの映画産業を抱えていることもあって非常にリベラルな気風で知られている。そして、悪意なく差別行為を行ってしまった相手に対し、ダルビッシュは「赦し」と「学びの後押し」によって応えるという、アスリートとして模範的な姿勢で応えた。しかしロサンゼルスの観客は「差別をしたら、たとえ謝っても許さない」という逆の不寛容さを表明してしまった。

2016年にアメリカでドナルド・トランプが大統領に選出された背景として、アメリカの西海岸・東海岸のお金持ちのインテリ/エスタブリッシュメント層に対して、格差にあえぐ庶民たちが反感を抱えていたことがよく指摘される。そして今回、西海岸の中心都市であるロサンゼルス、ドジャースタジアムでのブーイングを見るにつけ、「リベラルを自称する人たちが実は寛容さを欠いており、そのことがトランプの大統領就任後もあまり当人たちに自覚されていない」ということが明らかになってしまったように思うのだ。「結局、この一件からまだまだ学べていないのでは?」と思ってしまう。

とはいえ、「完璧な人間などいない」。人種差別は誰にでもわかりやすいから今回のように徹底的に叩かれてしまうが、ジェンダー、障害、趣味嗜好などは、もちろん筆者自身も、差別的な言動を軽はずみに行ってしまうときがあったし、これからも行わない保証はない。だが、そのときに(グリエルがこれからするように?)学び続けることができるか、そして他者の差別的な言動に接した際に脊髄反射的に怒らずに、”big love”を持って学びを促すことができるか。本質主義的な人間理解によって一方的に誰かを叩いたり、人間どうしを分断したりしないような言葉遣いをすることができるのか、注意しなければいけないと思う。

……ところで、結局試合のほうはダルビッシュが崩れ、ドジャースは負けてしまった。

スプリンガーは素晴らしかった! ダルビッシュは、(歳下だけど)カーショーを追い抜くぐらいの存在になってほしいもの。グリエルは、来季は出場停止があるが、遅れを取り戻せるよう頑張ってほしい。アルトゥーベは素晴らしいスポーツマンシップを見せてくれた。凡庸な言葉だが、「スポーツは素晴らしい」ということを改めて感じさせられたシリーズであった。(了)

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