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消費社会に距離を取るための基本計画、あるいはOasisの「Acquiesce」と日英の距離感について | にどね研究所

消費社会に距離を取るための基本計画、あるいはOasisの「Acquiesce」と日英の距離感について

雑記

ストレスフリーに楽しく暮らすためには、消費社会と一定の距離を保つことが必要だと思う。

消費社会とは、基本的に「資本主義のZ戦士」みたいなのをロールモデルに置き、年収で人の価値を判断し人生に勝ち負けを持ち込む、コンテンツ消費や旅行や外食などの消費文化を礼讃する(「推し活」をやたらと美化する、などもこれに含まれる)、などである。もっとも消費社会化というのは個人主義とも結びついてきたものなので、それ自体が全面的に悪というわけではない。

近年だとSNS依存、スマホ依存なども含まれる。アテンション・エコノミー、注意を惹き付ける方法に特化し、脳の報酬系を刺激して、サービス滞在時間を長くさせる。基本的にWebのプラットフォーマーは滞在時間を評価に使っているので、滞在時間が長ければ長いほどよく、そこではユーザーの心身の健康は基本的に考慮されていない。

消費社会と一定の距離を取るにはどうすればいいか、というのをけっこう考えてきて、ざっとこんな感じがいいかと思うのでメモしておきたい。

家にある本を読む

本を読むときは、新しく買わずに、家にあるまだ読んでいない本、積読を読む。新しく本を買わず、図書館で借りるなどの工夫をする。個人的にはコミックアプリの全話無料などもそんなにダメではないかなと思う。ほとんどの人は、家にある全部の本を読んでいる人は実はいないのではないか? と思うので、消化率を高める。

僕の場合、本を買いすぎである。本棚を冷静に眺めると「こんなに読めないよね?」と思う。これまでに買ったものがあまりにも多いので、できるだけ新たに買わない。たぶん家にある本の消化率を高めるだけでいい。あと、地味にKindleの積ん読というのが膨大にあるので、そういうのをもう少し消化するのもいいかもしれない。

短時間のトレーニング

プリズナートレーニングは3分でも5分でも、やると効果がある。やっても最大10分程度にする。

あと、素振りを10回だけやる。地味に家のなかで素振りができるぐらいのスペースがあるので。

気分転換にウォーキングや食材の買い物

最近、よくウォーキングをしている。食材の買い物と組み合わせると、効率的。ゴミ出しをするときなどにもついでにウォーキングする。1日1〜2回ぐらいやっているせいなのか、なぜかお腹の脂肪が少なくなってきている。

ピアノを一瞬

ピアノはなかなか上達しないが、スマホで10分タイマーを設定してやろうと思う。それ以上やるとやりきった満足感で次の日にやらなくなる。トレーニングと同じで「これぐらいだと足らないかも」ぐらいがいい。同じところを何回も弾かず、一小節でもいいので次のところを見て手をつける。

スマホのタイマーで時間をはかる

最近、仕事ではスマホでタイマーを設定して、時間を測ってやるようにしている。集中力があんまりないときは20分、がんばっていきたい気分のときは1時間。これはけっこう自分には合っている気がする。

というのも、気が散ってきたらスマホを見てしまうものだが、タイマー設定をしていると、ふと無意識にスマホを手にとったときに「あ、気が散ってるな、あかんあかん」と気づけるのだ。こういう小学生レベルのことからやっていくのが良い感じがする。

さてさて、今日は詰まっていた原稿1本提出できて、あと企画書残り2本を今週中に仕上げればよい。わりと仕事したので、これからハウスオブザドラゴン最新話を見ようと思います。

Oasisの「Acquiesce」と日英の距離感

そういえばこないだ、さえぼう先生の新刊『お嬢さんと嘘と男たちのデス・ロード ジェンダー・フェミニズム批評入門』をパラパラめくっていたら、オアシスのシングルB面曲セレクトアルバム『ザ・マスタープラン』(基本計画、の意)の話が出てきた。

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このアルバムに入っている「アクイース」という曲が、本のなかで言及されているのだが、たしかにこの曲はシングルじゃないけどライブの定番曲だったんだよね。

「アクイース」のPVを見てみると、90年代の渋谷ですね、これは。

僕はさすがに90年代のオアシスのライブには行ったことがないが、大学生になってからはけっこう行った。周りのファンは自分にとっては少し上、お兄さんお姉さんが多くて、その熱量とライブ慣れに圧倒されていた。

たしか最初にオアシスを見たのは2005年のサマーソニックだったと思う。それまでずっと聴いてきて、自分はめちゃめちゃオアシスに詳しいつもりだったが、周りの人達がほぼ全曲ぐらい歌詞を覚えていて合唱している姿に衝撃を受けた。ライブの曲順もだいたい把握しているのだ。

海外のアーティストのライブはかなり見ているが、日本のオアシスのライブというのは特別感がある。要するにカラオケ大会なのだ。そしてノエルやリアムも、それに慣れている。

彼らは、イギリス人である自分たちに対する日本人の関心の高さを奇妙に見ていて、若干差別的だなと思わなくもないが、同時に日本に対する愛情もある。よく知られているようにノエルやリアムはマンチェスターの労働者階級出身、要するにヤンキーなわけで、オックスブリッジ卒のエリートとか、レディオヘッドのようにアートスクール出身とかではないので大文字の「教養」があるわけではないのだが、あれだけ日本に理解の深いイギリス人ってなかなかいないのかなと思う。

「アクイース」のPVを見ると、オアシスの日本に対する距離感がよく出ている。オアシスに憧れる東京の若者。これは、当時本当にたくさんいた。じゃあその彼ら彼女らが、ノエルやリアムと対等に話すことのできる言葉を持てているのか。これって実は、大きなことをいえば、日本文化や日本人にとって未完の課題なのかなと思う。

ちなみに『ザ・マスタープラン』に入っていないシングルB面曲では「ステップ・アウト」「ラウンド・アー・ウェイ」という名曲がある。これはライブでもけっこうやるので、アルバムに入れていないのは本当に謎。

(了)

編集者、ライター。1986年生まれ。2010年からカルチャー誌「PLANETS」編集部、2018年からは株式会社LIGで広報・コンテンツ制作を担当、2021年からフリーランス。現在は「Tarzan」(マガジンハウス)をはじめ、雑誌、Webメディア、企業、NPO等で、ライティング・編集・PR企画に携わっています。
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