カルチャーから健康に関心が移っていった理由について

雑記

2022年夏はすっかりコロナ感染が拡大し、日本が検査陽性者数世界一になっているらしい。社会活動が一部止まっているところもあれば、通常通り運行しているところもある。アイキャッチの写真は、7月30日に新宿駅を通りかかったときに撮ったもの。ごく普通に歩行者天国でお祭りをやっていた。

コロナ下で、2017年末にインフルで1週間寝込んだときのことを思い出した

僕は2017年の年末、インフルで1週間寝込んだことがあった。新宿の家に住んでいて、特に実家の家族にも言わずに家で寝ていたのだが、高熱がなかなかきつく、「孤独死ってこういう感じなのかな」という感想が頭をよぎった。

幸い無事に回復して今に至っているのだが、その年はちゃんとインフルの予防接種をしていたのだった。ワクチンを打っているのに、インフルにかかったわけである。コロナ以降の言葉でいえば「ブレイクスルー感染」というやつだ。

コロナ禍になってから、ワクチンをどうするみたいな話が盛り上がっていたときに、そのことを思い出していたのだが、2017年の後半は仕事をやめて転職活動をしていた時期で、とにかく不摂生な生活をしていたことに思い当たった。食事も適当で、朝起きない不規則な生活で、運動も大してしていなかったように思う。貯金が底をつく前に再就職できるかどうかも非常に不安で、心身ともに不健康な状態だった。

それでコロナ禍になって以降、この2年で一度も寝込んだことがない。コロナにもかかっておらず、きわめて健康である。ワクチンに関しては打つかどうかを考えるために、日本で導入する前の段階で外国のデータをかなりしっかり見ていて、ワクチン接種推奨派以外の専門家の言説もひととおりチェックした。

特に先行して接種が進んでいたイスラエルのデータを見ていて、3回目のブースター接種後に感染が急拡大していたことが印象的で、結論としては「これは効くかどうかわからないな」「自分=30代男性、基礎疾患なしの人の重症化リスクはそもそも低いので、接種する必要はないのではないか?」という考えに至り、そこからは完全に見送ることにしたのだった。

このあいだ、ジャーナリストの江川紹子氏がこんなことをツイートしていた。

「ワクチンを打たない人は、他の8割のワクチン接種者の集団免疫に守られたフリーライダー」というわけだが、そもそも当初言われていたワクチンの感染拡大防止効果は、すでに結果によって否定されている。後になって「感染防止にはならないけど、重症化予防になる」ということが言われるようになった。

だがそれだけでなく、ワクチン接種後の死亡事例が1300件以上あることは厚生労働省自身が発表し、メディアでも報じられた(コロナワクチン 接種直後に死亡は1300人超 割り切れぬ遺族の思い:東京新聞 TOKYO Web)。そして先日、ワクチン接種による死亡被害が日本国内で初めて認められた(新型コロナワクチン接種後死亡で初の死亡一時金支給へ 厚労省 | NHK | 新型コロナ ワクチン(日本国内) )。

ワクチンが重篤な副作用を引き起こした事例があったことを、国もようやく認めたのである。そもそも冷静に考えると、接種した後に多くの人が高熱を出すワクチンなどというのは医薬品としておかしい。「安全性が担保されている」などと断言はできないはずだ。そういうシンプルな思考があってもいいと思う。

僕自身はワクチンは自己判断のもとに打ってもいいと思うし、打った人、打たない人それぞれの判断が尊重されるべきだと思う。それが社会的なコンセンサスになっていたはずだ。

「思いやりワクチン」というのも、当初からよくわからなかった。イスラエルでは3回目のブースター接種を始めた時期から、少し遅れて感染拡大が始まっていることがググれば一発でわかる状況だった(しかしほとんど日本のメディアでは報道されなかった)ので、本当に感染拡大防止効果があるのか疑問だった。結局、今の日本では、ワクチンによる予防効果はそもそもなく、重症化防止が主な目的ということになっている。であれば、「他人にうつさないために打つ」というロジックはすでに破綻しており、もともと重症化リスクの低い人がワクチンを打つ意味はないことになる。

自分の場合、そういったデータを見た上で自分で考え、自分に打つ意味はないと判断しているからそうしているだけだ。実際に自分はコロナにはかかっていないし、他人に感染させてしまった形跡もない。江川紹子はリスペクトするジャーナリストの一人だが、2022年夏の段階でこんなことを言うというのは、単純に不勉強の誹りは免れない。

コロナには別にかかりたいわけではない

コロナにかかって発症すると寝込んだりしないといけないので、僕もコロナにはかかりたくない。いろいろ調べた結果、自分自身の身体の免疫力を高く保っておくというのがいいと思い、以下のようなことを心がけて生活している。

「そんなんで防げるの?」と思われるかもしれないが、意外と全部できている人は少ないのではないか。僕はこれを意識してしっかりやっていて、今のところ健康に楽しく生活できている。それどころかこの2年ほど、まともに風邪も引いていない。どちらかというとコロナ以前よりも健康になっている。

特に友達や家族とのコミュニケーションは精神面での健康にもいい。適度に免疫が刺激され、免疫力を鍛えることもできる。飲みすぎない範囲でお酒を飲んで人と話して楽しい時間を過ごし、飲み会の最中も栄養はしっかり摂って、少し早めに解散し、帰宅してたっぷり寝る。これも健康活動の一環である。

カルチャーではなく健康にフォーカスしている理由

コロナ禍で僕は健康に対する関心がとても高まった。もともとカルチャー誌の仕事をしていたのに、今はTarzanなどで「健康」をテーマに取材などをしていたりもする。前にそれがなぜなのか問われたことがあって、そのときは答えを用意していなかったので答えられなかったが、今の答えは「カルチャーを楽しむ前に、ベースとして健康が大事」と思うようになったから、である。

小説、映画、アニメ、アイドルなどのファンで、不健康になっていく人をけっこう見てきた。ずっと座りっぱなしの娯楽だけだと、心身ともに病んでしまい、せっかくの楽しいものを楽しめなくなったりする(アイドルのファンは多少、体を動かしているけれど)。だから、まず健康が大事だと思う。そのためには多少動いたほうがいいし、自分の身体と向き合う時間をつくったほうがいい。そして健康に楽しく生きるための方法や考え方、いろんな物事への取り組み方について知るのは案外楽しい。

もうひとつ理由があって、それはPLANETSの連載「文化系のための野球入門」で、教養主義の問題について書いたことだった。

「文化系/体育会系」「オタク/ヤンキー」という区分はなぜ生まれるのか―― “日本型教養主義”のウィーク・ポイント|中野慧

文化系vs.体育会系の対立は「華厳の滝」から始まった? 20世紀初頭に現れた若者文化のクロスロード|中野慧

ここでは近代日本の「文化系」を自称する人々が、徹底的に「身体」を軽視し、蔑視してきたことを明確にできたのではないかと思う。かれらは「身体は野蛮」という極端にまで陥っている。それはデカルト以来の西洋近代哲学の主要な特徴である「心身二元論」を、現代日本人があまりにも内面化しすぎてしまった、ということでもある。

「精神が肉体を統治できる(統治すべき)」という考え方は、近代科学合理主義の鬼子である。

科学万能主義の弊害

結局、「(ワクチンという)科学で何でも解決」という、科学万能主義では対処しきれないことが多数あるということだと思う。

僕がインフルエンザにかかったときは、ワクチンは打っていたけれども、めちゃめちゃ不摂生な生活をしていた。また同じような思いをしないためには、生活を改善するしかない。

そもそも医療リテラシーということでいえば、後で知ったことだがインフルエンザのワクチンは有効性が疑問視されるようになっていき、80〜90年代にかけて学校での集団接種が徐々に廃止されていった経緯がある。

2017年末に自分がインフルにかかった当時は、そういう基本的なリテラシーもなく、ワクチンの有効性を過信していた。もっとも、ワクチンがすべて効かないわけではなく、ほとんどの専門家が有効性を認めているワクチンもある。インフルエンザワクチンは効果を疑問視されていて、コロナワクチンについては弊害を指摘する専門家がかなり多いのである。

科学で自然をすべて征服しきるのは難しい。どんなに科学が進歩したとしても、地震、津波、疫病、火山活動、洪水などは統治しきれない。そして人間の身体もまた「自然」の一部であり、不老不死を手に入れるのは当面は難しいだろう。「ままならぬ自然」「ままならぬ身体」とどう付き合っていくのか、科学的な研究成果も当然踏まえながら、やっていくのがいいと思う。

編集者、ライター。1986年生まれ。2010年からカルチャー誌「PLANETS」編集部、2018年からは株式会社LIGで広報・コンテンツ制作を担当、2021年からフリーランス。現在は「Tarzan」(マガジンハウス)をはじめ、雑誌、Webメディア、企業、NPO等で、ライティング・編集・PR企画に携わっています。
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