はじめまして、栄藤(えいとう)と申します。先日こちらの記事でご紹介いただきました「とある20代の編集者」です。
編集者・ライターとしてのスキル向上を目的として、今後「にどね研究所」でちょくちょく記事を書かせていただくことになりました。月2回くらいのペースで頑張りたいなと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。
どのような記事を書いていくのかといいますと……このブログの運営者である中野先輩から課題本を出してもらい、それについて書評的な感想文的な感じの記事を書いていこうと思っています。
課題本のテーマは「哲学」です。僕がなんとなく気になる、という理由でこれに決まりました。
とはいえ、これまで哲学について学んだことなど一切ないので、まずは入門書となる書籍をいくつか紹介してもらうことに。
そこで1冊目に紹介してもらったのは、哲学者・東浩紀さんの『弱いつながり』という本です。
若者よ、旅に出よ
この本では「ネットと旅(観光)」がテーマになっています。
私たちはいま、ネットを使うことで世界中の情報を入手でき、世界中と繋がっていると思っていますが、ネットはその性質上、調べたいと思うことしか調べることができません。さらには技術進歩によって「調べたいと思うこと」すら予測され、先回りされている。
世代、会社、趣味……なんでもいいですが、ひとが所属するコミュニティのなかの人間関係をより深め、固定し、そこから逃げ出せなくするメディアがネットです。
(出典:東浩紀『弱いつながり』9ページ)
ではそこから逃げ出すためにはどうすればいいか……。検索結果を変えるためには検索ワードを変えるしかありません。検索ワードを変えるというのはつまり、考えること、思いつくこと、そして欲望することを変えるということです。
そのための方法として、本書では「環境を変えること」が挙げられています。もう少し具体的には「観光(旅に出ること)」だと書かれています。
簡単に言ってしまうと、一度ネットから離れ、リアルの観光によって新たな欲望を喚起させることでーーサブタイトルの通り「検索ワードを探す旅」に出ることでーー新しい検索結果に出会い、統計的に予測される人生から抜け出すことができる、ということなのだと思います。
観光客になるということ
最初にこの本を読んだとき、著者の言いたいことを理解しきれていないような気がしてモヤモヤしました。
「環境を変えろ」や「旅に出ろ」というのは、これまで数多の自己啓発本で書かれてきたメッセージのような気がするし、環境を変えるための手段がなぜ「観光」なのかもよくわからない……。
しかし何度も読み返しているうちに、なんとなくわかってきました。おそらく著者が伝えたいこと(のひとつ)は、「無責任な態度を許容することの重要性」なんじゃないかと思います。
観光客というのはあまり評判の良い言葉ではありません。ただ観光地を通り過ぎていくだけの軽薄で無責任な存在。しかし、だからこそできることがあるのではないか、というのが著者の考えです。
例えば選挙について考えてみると、「投票するなら日本の未来を真剣に考えろ、ひやかしなら来るな」と言われると、じゃあ投票所にいくのはやめようかなと思ってしまいます。しかし、「投票所で最初の投票者は投票箱が空か確認できるらしい」と言われると、ちょっと見てみたいな、と思うわけです(私の場合は)。
これは日本の未来を真剣に考えていないとかそういう話ではなく、ある程度の無責任さや軽薄さを許容しなければ、行動に移すことが難しくなってしまうのではないかということです。
『弱いつながり』の続編ともいえる『ゲンロン0 観光客の哲学』にもこのように書かれています。
他者のかわりに観光客という言葉を使うことで、ぼくはここで、他者とつきあうのは疲れた、仲間だけでいい、他者を大事にしろなんてうんざりだと叫び続けている人々に、でもあなたたちも観光はすきでしょうと問いかけ、そしてその問いかけを入り口にして、「他者を大事にしろ」というリベラルの命法のなかに、いわば裏口からふたたび引きずりこみたいと考えているのだ。
(出典:東浩紀『ゲンロン0 観光客の哲学』17ページ)
先程の話でいうと、「選挙にいこう」とか「若い人も政治に関心を持つべき」というのはもう何度も言われているけど、そういう「まじめなやりかた」で行動につなげるのではなく、ある意味「ふまじめなやりかた」で行動につなげるという考え方も大事なのではないか、ということだと思います。
もちろん『弱いつながり』のなかでも「福島第一原発観光地化計画」などを例に挙げて、この考え方について説明してくれているのですが……おそらく自分が最初理解できなかったのは、「観光客的な生き方」の重要性を説明するために「観光」を例えにしていたので、混同してしまっていたのではないかな、と。
著者のいう「旅に出よ」というメッセージは、言葉の通りリアルの「旅(観光)」の重要性を訴えるものでもあり、軽薄で無責任な「観光客的な態度」を許容しよう、という意味でもあるのだと思いました。
あとがき
と、こんな感じの記事をこれから続けていこうと思っています。「哲学」というテーマは私にとっては分不相応だと思いますが、出された課題本を何度も読み返して真摯に取り組んでいく所存です。
ちなみに次回は、今から10年ほど前に、哲学書としては異例のヒットを記録した、現代日本の哲学者の作品を取り上げます。
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