アクターズリーグ2021観劇(観戦)の振り返りーー「文明の衝突」目撃記

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今から2ヶ月前の8月、「若手舞台俳優が野球で戦う」というイベント「アクターズリーグ」に行ってきた。基本的にはいわゆる2.5次元舞台の俳優が多い。で、昔働いてた職場の先輩で、いまはなぜか(?)映像関係のプロデューサーになっている先輩(A氏)に、「野球なら何でも行くべきでは?」みたいな感じで声をかけられ、恐る恐る行ってみたのだった。

2.5次元舞台

2.5次元舞台といえば、基本的にお客さんはほとんど女性のイメージが強いが、僕は何度か行ったことがあった。僕の中高の同級生で、家が近所で仲良かったイケメンが現在は舞台俳優になっており、彼がとある有名原作の舞台でメインキャラの一人として出ていたからだ。

それまでも彼の舞台はけっこう観に行っていて、舞台はお金は高いし規模も大きくはないけれど、関わる人たちの熱気がダイレクトに伝わってきて、毎回「すごかったな〜」と感動して帰ってくる。

で、その彼が、2.5次元でいい役をもらって出るということで、劇場に観に行ったら驚いた。それまでの彼の出演舞台とは、2〜3段階ほど劇場の規模がでかいのだ。で、その原作は当然僕も読んでいたので、舞台も楽しめた。2.5次元舞台のアクションは、たしかにちょっとヘンテコではあるが、それまでに観てきた小劇場の舞台はそこまでアクション要素が多くなかった……というかほとんどそんなものはなかった気がする。なので、「ライブで見るアクション」というのは、なかなかユニークで面白いと感じた。

それともうひとつ大きいなと思うのは、それまで「売れない役者」だった彼の、Twitterフォロワーが一気に増えたことだった。これは素朴に嬉しい。

ちなみに前に仕事で、稲葉ほたてさん、真山緑さんと一緒に、2.5次元舞台のオリジネイターの一人である片岡義朗プロデューサーにインタビューしたこともあった。この記事は少し古いのだがまあまあ情報量があると思う。

2次元と3次元の狭間にあるもの――『テニミュ』が生み出したリアリティ(アニメ&ミュージカルプロデューサー 片岡義朗インタビュー)

で、感じるのは、2.5次元舞台というのは、ある種の文化の活性化装置のような役割もあるのでは、ということだった。原作マンガ・アニメ・ゲームを舞台でやると、ブーストがかかる。そこで、それまで演劇畑にいた人がより広く注目してもらえる。そうすると、演劇というとても面白いもの、でも何も知らずに行くのにはハードルが高いものに対してハードルが下がっていく……といったかたちで、文化を活性化する触媒のようなものになっているのかな、と思ったのだった。

開演前に試練が訪れた

それで実際に、東京ドームで開催されたアクターズリーグ2021に行ってみた。

まず、本筋とは関係ないのだが、その先輩が遅刻してきた。到着は開演ギリギリになるという。そこでLINEで「グッズ売り場に並ぶ時間ないと思うから、パンフレット買っといて〜」とおつかいを頼まれた。

・・・・恐怖を感じた。この場は、僕がこれまで観てきた2.5次元舞台よりも遥かに客層の女性比率が高い。99%が女性である。男一人でグッズ売り場に並ぶと、自分のいる場所がしばらく固定され、好奇の目線で見られ、なんなら嘲笑されるのでは、という不安があった。

とはいえ勇気を出して並んでみた。非常に恥ずかしいなという気持ちになったが何とかこらえ、列に並んでようやく売り場までたどり着き、「パンフレットください」と言って売ってもらった。結果からいえば、つらい時間ではあったが、「男がいる〜」みたいな嘲笑をされるということはなかった。当たり前か。でも事前には何が起こるかわからないから怖いのだ。

無事にゲットすることができたアクターズリーグのパンフレット。

ラーメン屋の一蘭には、各席を仕切る板がある。「女性でも一人で来店しやすいように」ということで設置されているらしく、実際に女性が来やすくなったらしい。僕からすると、一人でラーメン屋に来ている女性を目にしても何も思わないが、たしかに「好奇の目で見られるのではないか」という恐怖心はあるのかなと、やっとそのときに身を持って納得がいった。学びであった。

試合前セレモニー

開演前ギリギリにA先輩が到着し、中に入った。まず度肝を抜かれたのが、オープニングで「コミッショナー」を務める城田優がアクターズリーグオリジナルソングを独唱するのだ。これはすごい!

これは何をやりたかったというと、僕はスーパーボウルだなと思った。アメリカのフットボールの頂上決戦であるスーパーボウルでは、「スーパーボウルハーフタイムショー」と言って、名だたるミュージシャンがミニコンサートをやる。マイケル・ジャクソン、ポール・マッカトニー、レディー・ガガ、プリンスなど、音楽界の名だたるスーパースターがその舞台を踏んできた。スポーツとともに、スポーツ以外のカルチャーにリスペクトを込めて行われる素晴らしい催しだと思う。城田優の歌は、「日本もスポーツの場でもっと、こんなエンターテイメントをやってもいいよね、混ざり合ってもいいよね」という提案のように感じた。

もうひとついいなと思ったのが、アクターズリーグのオリジナルソングを作ったという点だ。

アメリカの女子プロ野球を扱った映画『プリティ・リーグ』では、女子プロ野球のテーマソング「Victory Song」という曲が重要な役割を果たす。この映画は、こんな題名でありながら非常に素晴らしい映画なので是非多くの人に見てほしいのだが、メジャーリーグで7回にかかる「Take Me Out To The Ball Park ボールパークに連れてって」が非常に受動的なリリックなのに比べて、「Victory Song」は「私たち」ということが強調されている。このあたりの話は「文化系のための野球入門」の連載でそのうち詳しく書きたい。

ちなみに『プリティ・リーグ』というのは邦題であって、原題は『A League Of Their Own』である。Theirを「彼女たち」と訳したくなるが、劇中の内容を踏まえるとおそらく「彼ら」も含まれるだろう。「彼女、彼ら自身のリーグ」である。つまりこの作品は、邦題でかなり損をしている映画なのだ。

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1943年、男たちが戦争に駆り出され、プロ野球閉鎖の危機が訪れる中、世界初'全米女子プロ野球リーグ'が結成された。最強チーム

あと、僕は野球場によく行くが、野球場というのは基本的にガンガン写真を撮っていい場所である。アクターズリーグでは試合開始前に、バックスクリーンに選手紹介などがどんどん出てきていて、そのグラフィックデザインがなかなか工夫されていていいなと思ったのでパシャパシャとスマホで写真を撮っていたら……隣の知らないお姉さんに「写真撮っちゃダメですよ! 開催要項に書いてありますよ」と言われた。

一瞬「!?」と思ったが、たしかにこのイベントは野球の試合でもあるけれどそれ以上に「公演」である。僕も、舞台に行ったときは写真は撮ったりしない。でも、ここは野球場、自由に写真を撮っていいという魅力自体も込みの場所……ということで脳がグルグルしてしまった。この例えがいいのかわからないが、キリスト教vsイスラム教の文明の衝突みたいな感じを一人で体験してしまったのだ。まあ、基本的には「舞台」の性質が強いはずなので「たしかに」と思ってその後は写真は撮らなかったけど。

そして試合前には、君が代斉唱があった。歌は、山崎育三郎氏。『エール』でいい味を出していてすっかり好きになってしまっていた。ミュージカル界のプリンスなので、当然めちゃくちゃ上手い。

ただ、ちょっと怖かったのが、「ご起立ください」と言われてお客さんが全員起立したことだった。プロ野球で試合前にやっている君が代斉唱では「ご起立ください」「脱帽をお願いします」と場内アナウンスされても、起立はしないわ、脱帽はしないわの不良のオッサンが必ずいる(オッサンと書いたが別にオッサンに限らない)。そういう人はある意味リベラルであり、アナーキーであるともいえる。

僕自身はどうかというと、そんなにイヤじゃないときとか愛国心(?)が高まってるときは「起立しとくか〜」みたいな感じだが、反体制的な気分になっているときとか、反体制的・リベラルな思想を持つ人が一緒だったりする場合は気を遣ったりして、起立しないこともある。そのときの気分や政治的な気持ち、一緒にいる人によって変わるし、プロ野球の場合、球場全体の雰囲気として別にそれでいいってことになってるのだ。でも、アクターズリーグの場合、「ザッ……」と全員起立したのには正直、戦慄してしまった。『1984』的というか、オーウェルやフィリップ・K・ディックの描く近未来の全体主義世界のようではあった。「野球場で野球を見る」というのは自由空間を楽しみに行っているので、もともとそういう場だったものが全然違う光景になっているのを目撃すると素朴に怖い。

A先輩にそのことを話したら「たぶん良くも悪くもそんなに深く考えてなくて、『野球場はそういうものなのか』という雰囲気を感じ取って実行してるだけだと思う」的なことを言っていて、それはそれでなるほどと思った。

とはいえ僕が思ったのは「不良のオッサンも、実は多様性の大事な一部だったのではないか」ということだった。

試合の感想

試合の感想は「面白かったか?」と言われたら、何ともいえないものがある。企画・プロデュースをした黒羽麻璃央氏の、プロデューサーとしてのみならずプレー面も含めた頑張りは印象的である。そしてこの催しに関して、プレーの内容をプロ野球やメジャーリーグと比較するというのは無粋というものだ。以下、気づいたことを箇条書きで書き出してみる。

  • ピッチャーはフォアボールが多いと盛り下がるから緊張するんだろうな、と思った。そこは草野球とは違う。草野球は1個や2個のフォアボール出しても気にしなくていいし、むしろ出したあとは引きずらないのがポイントである。
  • 金髪など派手な髪色の人が多く目立っていたので気づいたが、そういえばプロ野球選手に「金髪」はかなり少ない。いても帽子をかぶると見えない部分だけにしていたりする(金子弐大とか森友哉とか)。オリックスの山岡は比較的、見える金髪だけど、もっと襟足を伸ばしていい。金髪はもっとプロ野球に増えていいなと思った。
  • 先述の「不良のオッサン」と近いが、野次がほぼないことは気にはなった。「コロナで大声は禁止」というのはあるが、プロ野球の球場ではそこまで厳密に守られているわけではない。むしろちょっと前からプロ野球では、オッサンにかぎらず女性ファンもいい感じの面白野次を飛ばすようになったし「姉ちゃん、やるじゃねぇか」というふうにオッサンからもリスペクトを集めている。世間的には「野次=汚いもの」と思われているようで、どうも内部と外部で認識のギャップが激しいと思う点だが、野次はスポーツマンシップが込められていれば球場の雰囲気を楽しい感じにしてくれるものではある。「スポーツマンシップのある野次ってなんやねん」と思われるかもしれないが、本当にそういうものがあり、そういう野次を飛ばすために抑えておくべきコツもあるが、ここで詳述するとめちゃくちゃ長くなるので、やはり「文化系のための野球入門」でそのうち書くだろう。(というか、書いていて「大声での声援禁止」というのは本当に無粋なルールだなと思った。科学的な根拠はあるのだろうか? あのルールを決めた人は何を考えているのか?)
  • 観客が雑談しながら見ていない。野球は雑談しながら見るのが楽しい。野球の話を一切してないときもある。雰囲気を味わいながら飲み会するのだ。一方で、舞台を観ながら雑談する客はいない。ここにも文明の衝突があった。
  • ファインプレーに歓声が飛んでいて、長打で盛り上がっていたので、スポーツでいいプレーをするのって普通にかっこいいんだな、と思った。なかなか気づかない。
  • やっぱり、できたてのもの、新奇なものは足元グラグラな感じで、固まっていないというか、文化としての固定性のない、独特の不安定さというのは感じた。

あと、無粋にならない範囲で「こうしたほうがいいだろう」というのもあるので書いておきたい。

  • アクターズリーグの攻守の切り替えの速さは、プロと同じようなゆっくりしたものだった。それではダメだと思う。高校野球は攻守の切り替えが非常に速いが、あのスピード感はプレーの足りなさを補うもので、やはり合理性がある。プレーのレベルで勝負できないとき、攻守交代をスピーディにやるというのは、観客の満足度にとって意外と重要だと思う。これはすぐにでもできるはずだ。
  • みなに指示を出せるのであれば、「ファーストストライクからガンガン振っていこう」ということをディレクションし、徹底するといいと思う。今回見てみて思ったのが、プロ野球や高校野球と違って、この催しではフォアボールの価値が本当に本当に低いということだった。そしてそれは勝利至上主義にとらわれない野球の楽しさの本来の姿でもあると思う。とにかくファーストストライクからガンガン振っていく。豪快な空振りでも盛り上がるのだから、ショウやエンターテイメントとしても、すぐに実行できる要素だろうと思った。
  • バックスクリーンに誰が今どのポジションで守備についているのかが表示されていない、打順の番号しかない。なので、守備が誰なのかわかりにくかった。おそらく、わかりやすさを優先してそうなっているとは思うのだが。「あの『6』って書いてあるの何? 背番号と違くない?」という疑問まで奪ってしまうのは違うのでは、と思った。この疑問は、野球を初めて見る人の誰もが感じるものだ。

全体的に、どちらかというと僕は城田優、山崎育三郎のパフォーマンスに心奪われた。生で見たことはなかったがやはり評判は伊達ではない。

そして、高校野球が人気を集めたように、この種のイベントは別にプレーの質だけにこだわる必要はなく、何らかのイノベーティブな文化的装置を発明できれば、面白いものにはなりうると思う。

ひとつ思うのは、「演技」「マンガ的表現」ということでいうと、せっかく舞台俳優が出ているのに「セリフがほとんどない」ということが気になった。よく野球漫画とかスポーツ漫画とかでは、実際の試合では発されないセリフが登場しているが、それこそピッチャーとバッターにインカムをつけたりとか、そういう演出もあってもいいのではないかと感じた。単純にそれをやるだけだと寒くなる気はするが……。でも、「演技」「マンガ的表現」という要素を入れた、謎の「野球でありながら野球をちょっと超えたもの」を作れたら面白い気がする。

それと最近気になるのは、アクション俳優というのは運動神経が必要である。役者というとそこまでそんな「スポーツ」なイメージがないが、アクション俳優がもっともっとたくさん出てくると、何というか謎のものができあがりそうな気がする。前に、僕が関わっているテアトルロードというメディアでこんな記事(スターになるにはアクション俳優を目指すのが近道!? 知られざる”アクション”の世界を、浅井星光先生に聞いてみた)を作ったのも、そんなことを考えるようになったきっかけのひとつだった。2.5次元舞台というのもその流れのひとつで、このアクターズリーグというのは、さらにより「アクション」的な方向性に踏み出した試みだ、と捉えることもできる。

それと、差し込まれる寸劇は良くも悪くも気になった。テアトルロードで脇知弘さんに取材したとき(「飽きられたら、そこで試合終了だよ」テアトルで演技講師を務める俳優・脇知弘が語る、芸能界を生き抜くための“現場力”)に、脇さんが「舞台とプロレスは近い」ということを言っていた。プロレス要素を、寒くならないように入れるというのは、おそらく工夫を重ねていくしかないのだろう。こういう新しい試みを、興行もしくは継続性のあるものにしていくのには何らかのイノベーションがどうしても必要になる。

ところで、僕が思うに、芸術に勝ち負けは(少なくとも表面的には)ないし優劣をつけるのも違うが、スポーツには勝ち負けがある。以前、古田敦也にインタビューした際に、開口一番彼はこう言った。「やっぱりスポーツは勝った負けたですから」と。そのとき、すっかり文化系脳になっていた僕はちょっと反発を覚えた。でも今は、古田の言うことがよくわかる。「勝った負けた」があるというのは、やはり面白い部分はある。それに伴う残酷さももちろんあるけれど。で、アクターズリーグというのは芸術でありながら「勝った、負けた」がある、それをどう捉えるのかを、実際に目にしたことで、自分自身も今後の課題として考えたいなと思った。

(了)

中野 慧 (Kei Nakano)

1986年生、ライター・編集者・ディレクター。PLANETSにてWebマガジン編集、株式会社LIGで広報/メディア事業を経験したのち現在フリーランス。過去に構成・編集を担当した書籍に『「絶望の時代」の希望の恋愛学』(宮台真司編著、KADOKAWA/中経出版)、『ナショナリズムの現在』(小林よしのり他著、朝日新書)、『現役官僚の滞英日記』(橘宏樹著、PLANETS)、『若い読者のためのサブカルチャー論講義録』(宇野常寛著、朝日新聞出版)など。現在は、PLANETSにて月イチで「文化系のための野球入門」を連載中。
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