“一人でいて淋しくない人間になれ!”

雑記

今日の午後、仕事をしていてふとこの言葉を思い出した。

“一人でいて淋しくない人間になれ!”

戦前に韓国や中国の近代化運動を支援した政治団体「玄洋社」の頭目、頭山満(とうやま・みつる 1855-1944)の言葉だ。僕がこの言葉を知ったのは15〜20年ぐらい前、小林よしのり氏の『ゴーマニズム宣言』だったと思う。

「一人でいて淋しくない人間」になりたい、という人は少ないかもしれない。世間では、友達がいる、恋人がいる、家族がいる……ということが無条件にいいことだ、とされがちだ。自分も20歳前後ぐらいまではそう思っていたかもしれない。当時、自分にはたくさん友達がいて、だけど家には全然友達のいない姉がいて、自分はそれに比べてだいぶ人気者だ、みたいな――今思うと、きわめてしょうもない――ことを思っていた。

頭山満の言う「一人でいて淋しくない人間になれ!」がどういう状況で発された言葉なのかは、小林よしのりの後年の作品『大東亜論』で詳細に描かれる。要するにこの言葉は、「孤独を恐れるな」という意味はもちろんあるのだが、それだけではない。実は、大人数で群れたり誰かに権威付けされたりする「頭数の人間」になるのではなく、一人でも光を発する人間になれという、自立のすすめでもあるのだ。

僕はこれまで何度か、「友達少ないですよね?」と聞かれたことがあって、いつも答えに困ってしまう。自分の中では「親友は誰々と誰々で……友達は何人いて……」のようなことをふだん意識していないからだ。冷静になってみると、「そもそも友達が多いか少ないか考えるってどういうことなんだ?」と思ってしまう。多いと偉いわけでもないし、少ないとダメというわけでもない。まして「誰々は親友で、誰々はただの友達で、友達の総数は何人で……」みたいに数えるのは「頭数の人間」のやることで、自分はそういう感性と無縁でいたい。

そんなわけで、「友達少ないですよね?」という問いにはうまく答えられてこなかった。上に書いたようなことをその人に言うのも波風が立つので、言わないようにして、「だめだこりゃ」で済ませていた。でも、なんとなく、今のSNS社会を見ていると、ちゃんと言ったほうがいいのかもしれないと思う。

自分の場合、一人でいる時間も長いのだが、やることがたくさんあるので楽しい。仕事以外にも、読書、睡眠、運動、料理、楽器……これらをやっていれば十分だ。草野球だったりのコミュニティ活動も勝手に入ってくるので、たまにそれには行く。

もちろん手持ち無沙汰でSNSを見てしまう、ということはある。最近すごく思うのが、たとえばツイートをするという行為は、自分の中のエネルギーをTwitter社に吸い取られてしまうってことなんじゃないか? ツイッターは文字数制限があるので、どうしても短くソリッドな言葉を書こうとしてしまう。でも、その短い言葉の背後にいろんなものがあって、そちらの「余分」のほうが大事なんじゃないのかな、と思う。

自分が最近気をつけているのは、なるべく1日1ツイートまでにすること。あと、SNS上で何かを言いたくなったらすぐに公開するのではなく、メモや原稿の下書きに書いていくことだ。そうすると、自分のエネルギーがTwitter社に吸い取られるのではなく、ちゃんとかたちになって溜まっていく。

ブログも意外といいと思った。Twitterは表面的なインプレッションは高かったりする。しかしブログは、見られる数は少ないけど比較的ちゃんと伝わるらしい。やっぱり「書く」ということは大事なのだと思う。

まだまだこのテーマは書けると思うのだが、今日はもう遅いので、このへんで。

アイキャッチは、8月に行った長野県・阿智村の満蒙開拓平和記念館です。10年ぐらい前にできたばかりらしいのだけど、満洲開拓のことがしっかり学べるとてもいい場所でした。阿智村は「日本一星が綺麗な場所」として知られていますが、星空観察のついでに行ってみてはいかがでしょうか。

阿智村の郵便ポスト。星空がかわいらしくデザインされていました。

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