「船頭多くして船、山に上る」って何だろう。(『失敗の本質』にまつわるメモ書き)

雑記

こないだ人と会話していて、ポロッと出た言葉なのだが、案外本質を突いてるな!? ということがあった。そのときは「なぜ日本は戦争に突入したのか」みたいな話題だったが、僕は一時期ミリオタ化していて(いや、今でも)戦史に詳しくなっている。そこで達した結論は、「日本は、何も決めなかったから戦争に突入したんだよ」ということだ。

詳しくは、『失敗の本質』や『日本人はなぜ戦争へと向かったのか』をはじめとする戦史関連の本を読んでもらえればわかると思うのだが、日本の開戦決定は、なし崩し的に決まったものだ。日本の指導者たちは、それまでさまざまな「決断」をするタイミングがあったのだが、それをずるずると先延ばししていった。さまざまな関係者の利害調整を繰り返し、「和をもって貴しと為す」よろしく、和を徹底的に重視して決断を先延ばしした結果、「開戦しよう」という結論に至ったのだ。

そう書くと無茶苦茶な話に思えるが、実際そうなのだ。

つまり言ってしまえばこういうことだ。民主主義的な発想を徹底した結果、日本は戦争に突入した。和をもって貴しと為すを徹底したことで、太平洋戦争で300万人もの自国民を死なせてしまい、中国や東南アジア諸国、そして米英軍にも膨大な死傷者を出した。

民主主義は多数決だったり、もしくは利害調整の結果、決断(らしきもの)が下される。それは一見いいことのように思えるが、私たちは日本という国が、「和をもって貴しと為す」によって決められた結論によって、たくさんの人が死んでしまったことを知っている。

「船頭多くして船、山に上る」、というのはこういうことだ。だから僕は、何かを決めるときに多数決を取るという方法がなんとなく苦手である。今まで自分個人の日常や社会生活においても、それで「良かったな」と思うことがなかった。

多数決のダメさを回避するために、賢い人は利害調整を事前にしておいて、それで決めたりする。実はそっちのほうがいいのではないかと思うのだが、利害調整も玉虫色になってしまったりする。

結局のところ、多数決よりも、利害調整であり、だけど利害調整は玉虫色では非合理な結論が導かれる。利害調整をしきらなかったときに傷つく人が出るのを、リーダーは怖がる。だから玉虫色の、両論併記的なことをやってしまう。

いま僕が何となく思っているのが、おそらく必要なのはコミュニケーションなのではないかということだ。リーダーが決断をする。だけれどもその決断の理由をきちんと説明する。損をしてしまう人がいる場合は、言葉を用いてきちんと適切なレベルでケアをする。ときにはリーダー自身が身を切るようなことも必要なのだろう。たぶん、野中郁次郎の言うところの「フロネシス」というのはそういうことなのではないか、と思う。

失敗の本質 戦場のリーダーシップ篇
率先垂範の精神を欠くリーダー、硬直化した官僚的組織、プロフェッショナリズムの誤解――かつての日本軍と同じように、日本の企業や政府は、いま「失敗の拡大再生産」のスパイラルに陥ってしまっている。 最大の問題は、傑出したリーダーが出現しないことだ。
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▼『失敗の本質』については、かつてこの記事でけっこう深めに書きました。

『失敗の本質』がビジネス書の名著と言われるのはなぜか?そしてWebディレクター病みがち問題について | 株式会社LIG

※アイキャッチの写真は、渋谷川です。旧欅坂のジャケットでも使われた、あと庵野秀明の『ラブ&ポップ』でも使われていた場所。

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