クリスマスと煩悩の振り返り

雑記

今年のクリスマスイブは国会図書館で資料を読みながら執筆を進めていた。今週最初の段階で、執筆以外の頼まれ仕事はほぼ終えて、あとはちょこちょことした用事がある。それらをこなしつつ、ここから年末年始にかけて「文化系のための野球入門」執筆をがんばりたい。

今日いろいろ改めて追加のインプットをしていて思ったのが、歴史ものを書くにはやはり年表を細かく書いていくのがいいなと思った。すでに草稿は27万字に達しており、これをどういうふうに筋を通してまとめるかが難しいが、やはり年表形式で整理されているとそれなりにスピードアップできる感じがある。

ところで今日これを書いているのはクリスマスイブだ。ちょっとそのへんの話について、ただの自分語りだが書いてみたいなと思った。

クリスマスイブ的なるもの

クリスマスイブ=恋人と過ごす、みたいな図式は年々薄まっている気がする。あれはやっぱり80年代の恋愛資本主義がもたらしたものだったのだろうか。僕が高校生だったのは2000年代前半だが、「恋人がいない、彼女と過ごせないと惨め」みたいな通念に覆われていた気がする。

たしか高1のときは、地元のマイルドヤンキーたちに誘われてカラオケに行った。ちょうどそのときKICK THE CAN CREWの「クリスマスイブ・Rap」が発表されたばかりで、誰かがその曲を入れて歌ったせいで室内がどんよりした空気になった気がする。高2の記憶は特にないがたぶん野球部の練習があり、高3のときは普通に受験勉強していたと思う。

大学生になってからは彼女と過ごすみたいなのもあったので、そこそこ思い出はある。でも大学4,5年あたりから徐々に「クリスマスイブは彼女と過ごす」みたいなのイデオロギーがどうでもよくなってしまい、20代後半のときに、それまで長く付き合っていた彼女と別れてからは特に何もせず、気づいたらいま35歳になっていた。

恋愛的なるもの

もはや「クリスマスイブどうこう」みたいなのは極めてどうでもよくなっているが、20代後半以降まともに女性と付き合うことができなくなった。一瞬、誰か女性といい感じになっても長続きしない。これは「学生時代から7〜8年付き合っていた彼女」の存在が大きく、それでわりと満足してしまっている感じがある。要は「結婚」とか「子ども」とか以前の付き合いしか知らないのだが、なんとなくそれ以上を求める気になっていない。

周囲の友達は結婚とか子どもとかどんどん進んでいるが、「取り残されてるな〜」というような焦りとかが特にない。なんでかというと、いまは執筆を頑張ってから考えたいというのがある。

これまで一応、編集・ライティングの仕事をしてきたが、頑張って自分が目立とうとか、そういう欲が健全なレベルであったほうがいいと思うがそれがなく、ズルズルと35歳まで来てしまった。もともと『るろうに剣心』の「働きたくないでござる!絶対に働きたくないでござる!」というコラに憧れている非常に労働意欲の低い人間なので、「まあなんとかなってればいいや」と思っていた。

しかし30代半ばまで来て、このまま行っても同じだなという感じがしている。なんらかチャンスを貰っているのであれば活かさねば、ということで当面の目標は「「文化系のための野球入門」執筆をがんばる」「それでちゃんと書籍として出す」である。ちなみにありがたいことに6年ぐらい前に実はこの企画はとある出版社で企画が通っており、塩漬けになっていたのをお願いして復活させてもらい、今やっているというところである。

競争から下りたい

なんでそんなことになっていたかというと、「人と競争したくない」というのがある。まず中学受験で浅野中学・高校という一応進学校に入り、周りはけっこう勉強を頑張る勢で東大とか医学部とか一橋とか東工大とか目指していた。あと高校野球もすごい競争社会で、監督や先輩からのパワハラが横行し、「レギュラーで試合に出たい」というギラギラした面々でやっていた。

嵐のような高校野球をやり過ごして、高3夏には「野球が終わった!嬉しい!」というノリで、「いままでろくに勉強してなかった(高2の三学期には成績不良で留年しそうになった)し、塾とかも行ってなかったから現役で大学に受かるのは無理だろう」ということで、浪人を見据えて基礎固めを頑張っていたら、うっかり一橋大学に受かってしまった。

無目的で大学に入ったので、大学でも何をすればいいかわからず野球部に入ったりして、でもそのあとは大まかにいえばメンタルを病んで大学に行かなくなり、1年半以上ぶらぶらしていた。そのあと大学に戻って、やることもないので野球部に戻り、なんとか4年秋までやった。1年留年していたので就活は4年秋からスタートしたが、ここでも特に働きたくなかったので、一応就活をやってはみたものの早々にドロップアウトした。

大学は後期課程からゼミが始まったので、そこで大学の面白さにそこでようやく気づいた。そこからはゼミは3つぐらいやっていて、社会学部の専門科目のほとんどがAかBと急に成績優秀者になり、流されるように大学院に進学したが、有り体にいえばアカデミズムの閉鎖性みたいなものにそのときは本当に心を病み、修了せずにまたドロップアウトしてしまった。そこから編集アシスタントみたいなことを始めて、一応そこそこの専門性が身について今に至るという感じである。

こうして書き出してみると非常にやる気のない感じだが、高校野球・受験勉強と社会学の勉強はけっこう頑張ったと思う。だが「競争」みたいなものに拒否反応を示すようになってしまった。就活も、アカデミズムも、似たような競争なので、「人と争いたくない」みたいなマインドになってしまった。

それで今やっている編集者、というよりもライターとしてやっていくには「なんとかこれで身を立てたい」みたいなものが必要な気はする。そこが決定的に欠けていた。いつも「競争したくないな〜」と思ってしまう。

最近思っているのは、とはいえ年齢的にさすがに「競争心ないです」とかいってやってるのはまずいなということと、最近ようやく「競争」とか「生き残りたい」とかそういうところとは別のモチベーションが生まれつつあるということだ。

煩悩の炎

そういえば恋愛に対してやる気がなくなったのも「競争から下りたい」みたいなのと似ている。誰かを落とすとか落とされるとか、そういうのがなんかいやだなというふうになった。競争否定のマインドが内面化されると恋愛すらモチベーションがなくなる。バイタリティゼロ、仙人みたいな感じである。

手塚治虫の『ブッダ』にこんな話が出てくる。

ある少年は、村で粛々と仕事を続けている父親を軽蔑し、家出をして都会に出て、バリバリ働いて成功する。ある時、不思議な仙人からもらったひょうたんを覗いてみると、そこには煩悩の炎に焼かれる自分の姿があった。その後、火事で財産の一切が焼けてしまい、故郷の村に戻る。そこでひょうたんで父親の姿を覗いてみたら、ひとかけらの炎もなかった――みたいな話だ。(参考:メッセージ・フロム・ブッダ – エピソード

これは結構印象に残っており、あと古代ギリシアのエピクロス派の快楽主義(隠遁をすすめる)にもけっこう興味を持った。

何となく思うのは、煩悩や競争に身を焼き尽くされるのはあまり良くないとは思うけれど、ある程度の「がんばりたいな」ぐらいの気持ちは心身を健康にさせてくれるということだ。煩悩ゼロだと、それはそれで不健康というか、人間の生の楽しささえも減らしてしまう感じがする。

オペラ座の怪人に「私はオペラ座の怪人。思いの外に醜いだろう?この禍々しき怪物は地獄の業火に焼かれながら、それでも天国に憧れる」というセリフがあるが、ある程度の炎は必要だな〜と今の僕は思うのだった。

そしてそれは「煩悩」とか「地獄の業火」みたいなものとはちょっと違うようにも思う。

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