その場ですぐにキレる技術について、河村市長の事案から考えた

雑記

名古屋市長の河村たかし氏が、ソフトボール日本代表の後藤希友(ごとう・みう)選手の金メダルを勝手に噛んだということがニュースになっている。

ソフトボールはちょこちょこ見ていて、最後は功労者・上野由岐子にマウンドを譲っていたが、後藤選手のピッチングは次のエースになれる予感を感じさせてくるものだった。後で知ったけどトヨタ自動車ではアメリカ代表のエース、モニカ・アボットとチームメイトらしい。恵まれた環境……。っていうか、アメリカのトップ選手も日本の実業団チームでプレイしているんすね。

あ、そうだ、このニュースを見て思ったのが、後藤選手は河村市長の行為を見て「ハハハ……」という感じだったように見えた。ネットを見ると「あんなことされて大人の対応できるのすごい」とかいう意見もあったけど、僕が思うに、まさかそんなことをされるとはまったく思っていなかったので、ビックリして反応できなかったのではないかと思う。

僕も、パワハラ的なこと、無礼なことをされたときに、ビックリして流してしまうということが、これまでの人生でけっこうあった。後でしょっちゅう思い出してはムカついてクヨクヨするので非常にストレスになる。いつも「あのとき瞬間的にブチギレておくべきだった……」と後悔するわけである。もともと子どもの頃から気弱で引っ込み思案な性格だったので、それに起因していると思う。

これは何も、後藤選手に「その場ですぐにキレるべきだ!」と要望しているわけではない。自分の経験に引きつけて考えたとき、「その場ですぐにキレられない」ということが単に人生における強いストレスだったなぁということを思い出したのだった。

市民として警察にキレる練習

そんなことをけっこう前から課題に感じており、数年前から練習しているのが、「警察に呼び止められたら必ずキレる」というものである。普通の市民として平和に生活しているのに、夜中に自転車で走っていてライトをつけていても止められることがあるし、ちょっと前にクルマで知らない道を運転していたら一時停止の掲示が非常にわかりにくい交差点があって見落としてしまい、角を曲がった先で待ち構えていた警察に違反切符を切られたりした。このあいだも、横断禁止の表示のない道路を横断していたら警察に止められて注意されるということがあった。

こういうときは瞬間湯沸かし器的に、

「市民の時間を何だと思っているんですか!?」

「税金であなたたちの給料が支払われていますが、僕はこんな市民の時間を無駄に奪われるために税金を払ったつもりはない。もっと有意義なことに警察官の時間を使うべきではないですか?」

「一時停止の掲示が非常にわかりにくかったんですが、そういう道路上の改善はせず曲がり角で待ち構えているというのはノルマでやっているんですよね? 道路構造上の根本的な解決をせず、自分たちのノルマのために市民の時間とカネを奪うというのは警察官のやるべきことなんですか?」

「いまこうやって止めていることに、どんな法律的な正当性があるんですか? 憲法上ではどのように正当化されるんですか?」

などと、「市民」「法律上の正当性」「税金」「憲法」などのキーワードを出して問い詰めることにしている。

こういうことをやると、だいたい半分ぐらいの確率でさっさと解放される(おそらく「市民として云々」みたいな言葉でキレるクレーマー的市民がほとんどいないので「やべーやつ」と認識されてしまっている気はする)。

もちろん警察官も仕事でやっているのだろうから申し訳ない思いは若干あるが、「市民とはなにか」「憲法とはなにか」とかをきちんと考えている人は極めて少ないと感じる。僕もいち市民として、国家から正当化された暴力装置である警察官たちに対して、最低限の教養は求めていきたい。

しかし民事では……

長年の練習により、警察の理不尽な介入に対してはその場で即座にキレられるようになったのではあるが、しかし、民事(会社など)では、なかなか即座にキレられないことでストレスを溜めることがあった。権力関係を意識していると、失礼なことをされたとしても我慢してしまうのである。特に日本の会社は「キレるやつが悪い」というふうに決めつける風潮がある。特に上司とか役員とかにはキレられないという、見えない力つまり生-権力(バイオパワー)が働いているのである。

今、僕は会社で働いておらずフリーランスなので、正直そういうストレスからは解放されている。それはフリーランスになって一番よかったと思うポイントのひとつである。もし失礼なクライアントにぶち当たったとしても、そもそも人間として最低限の礼儀ができていない人間と仕事しても、カネはもらえるが精神的な健康は奪われるので、取引をしないほうがトータルの収支では良いだろうと思う(もっとも、自分的にそのあたりのコミュニケーションは改善の余地があるので、もう少し頑張りたい気持ちはある)。

でも冷静に考えると、会社の上司であろうと、クライアントであろうと、最低限の礼儀のできていない人間にはその場で即座にキレてよいと思うのである。なぜなら日本国憲法14条でそう定められているからだ。

日本国憲法第14条
すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

華族その他の貴族の制度は、これを認めない。

栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。

社会的身分」によって「差別されない」。つまり、われわれ日本国民は、上司だろうがクライアントだろうが、そこで取り扱いを差別する必要はない。言論の自由(日本国憲法第21条)とも併せて、他者から無礼を働かれたら、「自分は無礼だと感じた」ということを、誰に対しても、どんな場であっても表明する権利がある(と解釈している)。ちなみに憲法以外に刑法でも「侮辱罪」というものもある。

ただ、そういうロジックをわかってはいても、実際に無礼な場面に遭遇したときに「無礼者!」と即座に発声できるかどうかは、自分のようなもともと気弱な人間には訓練が必要である。

それと、伝え方というのもある。僕は「無礼なことをされたときは、その場で即座に無礼であると感じたことをサクッと表明したほうがよい」というふうに思う。これはなぜかというと、その場で何も言わずに後で人事とかに通報しても、無礼者側は「あのときそんなこと言ってなかったじゃん」「直接言ってくれればいいのに……」というふうに根に持つからである。

もちろん、人事に通報は全然していいしするべきだと思うのだが(それも当然の権利なので)、あとで余計にこじらせさせないためにも、意外と「その場でサクッと言う」スキルは大事だと思う。溜め込むとあとで感情的になって爆発してしまって、「感情的になった人が悪い」というレッテル貼りもされやすくなってしまう。

なので、少しでも心の中で「嫌だな」と思ったらそれに早めに気づき、溜め込まずに小さなことでも言っていったほうがいいと思う(もっとも、その心の動きに気付けるかどうかや、相手が「社会的にエライ人」とかだったら気後れする、といったことが最大の問題なのだけれど……)。

相手を傷つけすぎない範囲での表現で、用法用量を気にしつつも、ボディーブロー的にチクチク言っていくというのも、特に自分にストレスを溜めないためには有効かなとは思う。

(了)

中野 慧 (Kei Nakano)

1986年生、ライター・編集者・ディレクター。PLANETSにてWebマガジン編集、株式会社LIGで広報/メディア事業を経験したのち現在フリーランス。過去に構成・編集を担当した書籍に『「絶望の時代」の希望の恋愛学』(宮台真司編著、KADOKAWA/中経出版)、『ナショナリズムの現在』(小林よしのり他著、朝日新書)、『現役官僚の滞英日記』(橘宏樹著、PLANETS)、『若い読者のためのサブカルチャー論講義録』(宇野常寛著、朝日新聞出版)など。現在は、PLANETSにて月イチで「文化系のための野球入門」を連載中。
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