さて、これまでノルベルト・エリアス、エリック・ダニング『スポーツと文明化』について解説してきました。今回は5回目です。
なぜ『スポーツと文明化』を解題していくかというと、身体やスポーツを扱った本の中では難解だけれども非常に本質的かつ批評的だから、です。でも、エリアスの論の解題というのはネット上の日本語ページではほとんどありません。ないなら自分でやろう、というような感覚です。
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中世イギリスのフットボール禁止令とパターナリズム
現代の「サッカー」や「ラグビー」のもととなったイギリスのフットボールが文献上に登場するのは、14世紀以降のことである。中世〜近世のフットボールは、現代の私たちがイメージするとはかなり違う様相をまとっていた。端的に言えば「粗暴」なものであったらしい。
また、ルールもそれほど整備されておらず、ローカルルールが多数存在した。これは日本人の多くが経験するであろう「ドッジボール」というゲームを思い浮かべればわかりやすい。ドッジボールにはさまざまなローカルルールが存在しており、例えば僕がいた小学校では顔面セーフ(顔面に当たれば、捕れなくても当たったとはみなされない)というルールがあった。
フットボールの祖国イギリスでは中世以降、国王や地方政府によって、たびたびフットボール禁止令が出された。もっとも早いゲーム禁止令はロンドンで、1314年に国王エドワード2世の名において布告された 。それ以降も繰り返し、国王や地方領主の名の下にゲーム禁止令が出されている。
なぜ為政者はフットボールを禁止しようとしたのだろうか? エリアスは以下のように指摘する。
権力者側から見れば明らかに、平和を脅かすものであると同時に、また時間の浪費でもあり、かれらは人々のエネルギーを自分たちがもっと有益だと思っている方面に注ぎたかった。かれらは人々が始末に負えないゲームに耽らないで、戦争で使う武器の使い方の訓練に励んでほしかった。しかし、当時すでに人々はどうやら軍事訓練よりもゲームの方を好んでいたらしい。
ノルベルト・エリアスとエリック・ダニング「中世と近代初期のイギリスにおける民衆のフットボール 」『スポーツと文明化』254ページ
ここで少し「パターナリズム」というものに関して、注釈をしておきたい。
エリアスは一連の記述のなかで、「エリートが民衆を管理する」というような規律訓練の思想よりも、パターナリズムの側面を重視しているように思える。
パターナリズムは「父性温情主義」と訳され、家父長など強い立場の者が、女性・子どもなど弱い立場の人たちに、「その人たちのためである」として当人の意志に関係なく何かを押し付けることである。パターナリズムは家族関係だけでなく国家-市民などの社会関係にも見られる。
スポーツに関しては規律訓練的権力の側面が強調されやすい。しかしそれはマルクス主義的権力観から強い影響――具体的にはフーコーの権力論――を受けて生まれた見方でもある。それは現実の一側面を映し出しているとしても、すべてではないだろう。
マルクス主義的権力観はきわめて重要な見方だが、それが強くなりすぎてしまうことによって覆い隠されてしまう要素も少なくない。エリアスの議論はよく見ると、そうしたマルクス主義的権力観と慎重に距離感を取ろうとしている点が特徴的である。
フットボール禁止令は必ずしも「エリートによる民衆の抑圧」の一側面だけで説明できるものではなく、パターナリスティックな介入でもあったこと――この部分は、実は重要な点であるように思う。
古き良き農村共同体の”攻撃性”
エリアスは、こうした民衆のフットボールの性格を、しばしば現代の私たち(特に大都市に生きる人々)が抱きがちな、「古き良き農村共同体」への郷愁と関連させて、以下のように述べる。
事実、伝統的な社会では強くて、自然な「同胞感情」の表れがしばしば観察される。しかし、われわれが「強い連帯感」というふうに概念化するかもしれないような表現は、同じく、激しくて、自然な敵意と憎悪にもぴったり当てはまるのである。人々が当時表しうる感情にはより大きな波があり、これに関連して、人々の人間関係は一般的に比較的より不安定であったというのが少なくともヨーロッパの中世の伝統的な農民社会で実際に見られる特徴であった。内面化された抑制の安定性があまりなかったということに関連して、感情の激しさ、情緒的行動の暖かさと自発性は、両方の方向、つまり情け深さや進んでひとを助けようとする気持ちが表れる方向、思いやりのなさ、冷淡さ、進んでひとを傷つけようとする態度が表れる方向においてさらに顕著であった。それは、産業以前の民衆社会の属性を説明するために使われた「連帯」、「親密さ」、「同胞感情」などの言葉がそれと同様の他の言葉がなぜむしろ不適切なのかという理由である。それらの言葉は状況の一面しか示していないのである。
ノルベルト・エリアスとエリック・ダニング「中世と近代初期のイギリスにおける民衆のフットボール 」『スポーツと文明化』261ページ
たしかに農村共同体は、温かいかもしれないがよそ者には厳しい。横溝正史が『八つ墓村』などの金田一耕助シリーズで描いていることとも似ている。だが中世イギリスの村落共同体は、おそらく八つ墓村もびっくりなほどの他者に対する攻撃性を持っていたのかもしれない。
イギリスの地方部というと、たとえばコーンウォール地方のような広大な田園丘陵がイメージされる。ところがエリアスらが描写している攻撃性の高い農村共同体は、まさにコーンウォール地方のものだ。コーンウォールはケルト人たちが住んでいた場所で、ケルト遺跡も多くある。
「ハーリング」という競技、それは昔はどんなものだったか?
今もグレートブリテン島そしてアイルランドで時折プレーされる民衆スポーツに「ハーリング」というものがある。Wikipediaなどを見ると、現代ではそれなりにルールが整備されている。エリアスらが16世紀のこのゲームについて記述している様子をいくつか抜き出してみよう(カッコ内は筆者の感想である)。
ちなみにhurlというのは「投げる」という意味である。現代野球でも「ハーラーダービー」というものがあり、これは先発投手の勝利数トップを競うランキングのことを意味するが、hurl(投げる)に由来する言葉だ。
ある程度、プレイエリアの狭いハーリング
・メンバーはそれぞれのチームに15〜30人(だいぶ多くない?)
・ゴールは茂みと茂みのあいだで横幅3mくらい
・ゴールからゴールまでは60〜80mくらい
・ボールをゴールに入れるのを目指す
・ボールを持った人に対して、相手チームは胸をグーでパンチする(どんなルールなんだ。笑)
・ボールを保持した人は、自分より前にいる人にパスしてはならない(ラグビーに似ている)
・このゲームは主に結婚式でおこなわれる(ええっ?)
・一人の選手に対して相手チームは二人で転倒させようとしてはダメ
もっと広く場所を使うハーリング
・参加チームは地域の紳士(ジェントルマン)が代表となったもので、チーム数は2,3かそれ以上(近代スポーツと違って対戦するチームが2つに限られない)
・各ゴールは地域の紳士の家、もしくはどこかの町や村(だいぶスケールが広い)
・ボールは一つ
・ボールを持った人はいくら痛めつけてもOK
・選手は丘、谷、垣根、溝などを越えてゴールを目指す(変化に富むので楽しいかも)
・ときにはゴールまでの最短距離から1kmほど迂回してボールが運ばれることもある(だいぶスケールが広い)
・自分より前にいる味方にパスしてもOK
・歩いたり走ったりする人だけでなく、騎兵も配置してOK(もはやムチャクチャ)
・かなり空間的に広いので、情報線が重要(相手が西にいる、等)
・ハーリングが終わったあとの選手たちは、頭は血だらけ、関節がはずれ、寿命を短くするような傷を負うこともしばしば(もはや戦場帰りの戦士じゃん)
さて、こうしたハーリングというゲームについて、エリアスは以下のように分析する。
ハーリングは実際、一方では球技の要素を、他方では、模擬的、あるいは誇示的戦争の要素を含んでいた。そのような民衆のゲームにおいて、人々が相互にある種の肉体的戦闘することは、ゲームの正常な要素、楽しみの要素としてすべての参加者や観客からまったく自然に受け入れられていた。ところが「中世型」の社会における格闘でさえも、格闘者の動作をお互いに調整したり、お互いが被る傷害をいくらか制限するような規制の習慣に従ったのである。
ノルベルト・エリアスとエリック・ダニング「中世と近代初期のイギリスにおける民衆のフットボール 」『スポーツと文明化』275-276ページ
ハーリングがおこなわれた16世紀のコーンウォール地方では、レスリングもメジャーな娯楽のひとつであり、そのためハーリングのなかでレスリングの技が使われることは珍しくもなかった。
もっとも、16世紀のハーリングは、現在の基準からすればかなり乱雑ではあるが、ある程度ルールの整備が進み始めていた。まったく無秩序であったわけではなく、ある程度の規則化へ向かう方向性が存在していたようである。
サッカーとラグビーの問題
さて、続いて「特にフットボールに関するスポーツ集団の力学」では、興味深い論点が提示される。
ここで我々が遭遇した問題――理論的重要性がないとは必ずしもいえない問題――は、二種類のフットボールのうちのひとつ、すなわち「サッカー」が他方よりも、イギリスばかりでなく世界中でどうしてより広く認められ、より多くの成功を収めたのか、その理由についての問題であった。それはサッカーにおける暴力のレベルがラグビーにおけるよりも低いためだったのか。
ノルベルト・エリアスとエリック・ダニング「特にフットボールに関するスポーツ集団の力学」『スポーツと文明化』288ページ
ここで重要になるのはサッカーにおけるオフサイドルールの緩和(1925年)と、もうひとつはドリブルにまつわるゲーム性である。
サッカーとラグビーの大きな違い――それは、ボールを手で扱えるか否かはもちろん大きいのだが、もうひとつの大きな違いが、サッカーでは自分の前方にいる選手にパスできるのに対し、ラグビーはそれができない。パスするなら自分よりも後ろの味方に対してでなければならない。
実は当初、サッカもラグビーに近いルールを持っていた。1925年以前には、自分より前方の味方にパスするのは、それよりも後ろに相手チームの選手が(ゴールキーパーも含めて)3人以上いなければならなかった。もしその状態でパスしたら、オフサイドになったのである。
ところが1925年のルール改正で、相手チームの選手が(ゴールキーパーを含めて)2人いればOKということになった。これによりサッカーはよりダイナミックにプレーすることが可能になった。イングランドサッカー協会(FA)の委員たちが、それまでのルールではゲームが無秩序と退屈の方向性に傾き始めていたことに気づいたからである。
ゲームは一定の「緊張」がなければならない。無秩序や退屈が支配しはじめると、そのゲーム性から「緊張」が失われる。大抵のスポーツは、できるだけ「緊張」の状態を創り出すようにそのルールを変化させてきた。この過程をエリアスとダニングは、以下のようにまとめている。
ゲームの生存は以下のふたつつのものの特別なバランスにかかっていた。ひとつは、暴力のレベルの高度な抑制であり、それは、それがなくなれば、「文明化された」行動の今や有力となった基準に従っている選手や観客にとってゲームがもはや受け入れられなくなったがゆえに課せられたものである。もうひとつは、十分に高度なレベルの非暴力的闘争の維持であり、それがなくなれば選手の興味も、公衆の興味も同じく薄れたことであろう。ほとんどのスポーツ競技の全体的な発展は、フットボールのそれはもちろん、この問題の解決に多いに集中した。つまり、どのようにすれば定められたゲームのパターンの範囲内で高度なレベルの集団の緊張、それに起因する集団の力学を維持し、一方では同時に、選手に加えられる周期的な肉体的障害をできるだけ最低のレベルに押さえられるかということであった。問題は、換言すれば、いわば無秩序のスキラと退屈のカリュブディスの間で、いかにして「船の舵をとる」かということであったし、今でもそうである。
ノルベルト・エリアスとエリック・ダニング「特にフットボールに関するスポーツ集団の力学」『スポーツと文明化』288-289ページ
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