ちょっと今日はゲームについての簡単な備忘録を書いておきます。
ライターの成馬零一さんが『ペルソナ5』について書いてたんですが、
僕は発売と同時に買ったままずっと積みゲーされています。いつかやるのかもしれない。
『十三機兵防衛圏』もやりたいとは思ってるんすよ…。
このあいだ姪と母と一緒に、近所でやってる回遊型アートギャラリーに行ったときに、姪がポケモンGOをやりたがっていたのでスマホ貸して、そのあと僕の家で遊びたいと言うので何かと思ったら、PS4に興味があるとのことで、家にあった『ドラゴンクエストビルダーズ2』をやり始めたんですよ。
『ビルダーズ2』はマインクラフトのようなサンドボックスゲームで、知育ゲームっぽいからいいかなと思ったら、やっぱり楽しかったらしいんですよね。そして実は、僕は『ビルダーズ2』はたぶん6割ぐらいしかクリアしていない。
ゲームとの付き合いっていまいちよくわかっていないんですよね。なんとなく、『花束みたいな恋をした』の麦くんのように「心を病んでいるときはパズドラしかできない」という、ゲーム依存症みたいになってしまうイメージもある。
でも、かつて僕は、自分が編集担当やった本を最初に作ったときに、仕事をしながら飽きてきたときに延々と『初音ミク Project DIVA F』をプレイしていて、それでなぜか仕事も効率的にできたのです。
大学受験のときも、いつも朝早く起きて昼ぐらいまで勉強して、夕方からは『ウイニングイレブン』をずっとやっていて、それで現役で一橋大学に受かったということもありました。つまり『ウイイレ』のおかげで短時間集中して勉強ができたと言っても過言ではない。
だからそのあたり、ゲームと(ゲーム以外の勉強や仕事の)クリエイティビティって、経験的にはけっこう謎ではあるんですよね。意外と、『花束みたいな恋をした』の麦くんのゲーム(依存)描写は、まあまあ合っているようでいて、どこか間違っているのかもしれないとは思うわけです。
というのも、あの映画では本や映画が「カルチャー」で、パズドラのようなゲームは「カルチャー外」のような扱いを受けているというのもあります。で、僕自身のなかでもそう思ってしまっている部分があるし、いわゆるゲーミフィケーションの失敗(スマホ依存もそうですし、メタバースやWeb3もおそらくアディクションで批判されるのではないかと予測します)で、「ゲーム」はこれから叩かれがちなフェーズに入っていくように思うのですが、いわゆる「ゲーミフィケーション」「依存症」ではないところでの、ゲームの良さもあるのかなと思っていて。
それっておそらく「気分転換」みたいなことなのかなとは思うのですが、依存症と気分転換ってどこにどう線を引けるのかがわからない。最近は、気分転換ってre-creation(再創造)なわけで、その「転換」ということが意外と大切なのかな、みたいなことを思ったりします。ゲームは依存症的な意味で健康に悪いような気もするし、だけど気分「転換」という意味では、心の健康に良いような気もするんですよね。
▲このへんの話は、何を言っているのか意味不明な人も多いかもしれませんが、おそらくこういうことを考えるようになったきっかけの大きなもののひとつが國分功一郎・熊谷晋一郎『〈責任〉の生成』です。
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さて今日は、7時に起きたのにワークデスクの前に座ったのが9時40分で、このブログは20分ほど書いてしまいました。そうなるとおそらく、起きてから3時間ちょっとあとにようやく作業開始することになる。これはちょっと時間をうまく使えていない気がします…。
なので明日からは、「起きてから2時間以内にワークデスクの前に座る」を目標にしようかな。いや、1時間半がいい気もする。それか、7時に起きたら7時半に作業開始して、8時台に朝食にするとかもいいのかもしれない。いろいろ試してみたいと思います。(了)
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