体育の先生はなぜあんなに威嚇的だったの? 早大スポーツ科学学術院・中澤先生に聞くインタビュー連載最終回は「体育の歴史」にせまります。

お知らせ

Tarzan Webで3日連続公開の「体育」を考えるインタビュー連載。3日連続公開の最終回のテーマは「体育の歴史」です。

「土下座」「暴力」「権力」など刺激的なワードが出てきますが、内容としてすごい怖い話というわけではありません(笑)。いや、よく読んで当時起きていたことを想像すると怖いのかも……。

体育の先生って何で威嚇的だったの? 日本の体育を考える③ | Tarzan Web(ターザンウェブ)
第3回は「体育の歴史」がテーマです。身近で誰もが体験していながらも、どのような歴史的経緯で成立したのかほとんど誰もが知らない「体育」。知られざるその歴史から、これからの日本社会と「健康」「フィットネス」の関係を考えます。

やっぱり面白いのは、戦前日本ってめちゃくちゃ国民の「身体」を動員しようとしてたんだなということです。それは総力戦の時代に必要と考えられたのかもしれないし、一方で「教育が身体的」というのは東洋的な発想な気もしています。というのも、たとえば漢文の素読とかも、声に出して読むから「身体的」なんですよね。

私たちはどうも「勉強=座学」と思い過ぎなところがあって、戦前日本は、その観点から言えば今よりも発想が豊かだった、とすら言えるのかもしれない。

またファシズム国家って、やっぱり「身体」がめちゃくちゃ好きなんですよね。ドイツとかイタリアも。そういえば第二次大戦後の旧東欧諸国も「身体」が好きでした。

身体は自由をもたらすものでもある反面、人間の管理をするために有効に使えてもしまうわけですね。

一方で、記事の中では戦後の「体力主義」「楽しい体育論」の話もなかなかおもしろいです。戦後の世界各国の経済成長って、日本も含め工業が主体だから体力主義がハマるんでしょうね。それはもしかしたら、戦争までに総力戦体制を整えていたこととも関係があるかもしれない。

ただ日本の場合、その戦後的な体力観と能力主義の進展が、どこかでズレを起こしてしまっていた。平成への代替わりの前後でしょうか。

そして「楽しい体育論」は、一見まっとうな進化にも思えるけれど、体育とゲーム的なスポーツの害毒をいっしょくたにしてしまうものだった。そのベクトルは今も続いているように思えます。

自分の「文化系のための野球入門」でもこのあたりは、きちんと考えていきたいと思います。今日は少し執筆が進んだので、もっと進めていこう。

(了)

編集者、ライター。1986年生まれ。2010年からカルチャー誌「PLANETS」編集部、2018年からは株式会社LIGで広報・コンテンツ制作を担当、2021年からフリーランス。現在は「Tarzan」(マガジンハウス)をはじめ、雑誌、Webメディア、企業、NPO等で、ライティング・編集・PR企画に携わっています。
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