高校野球と熱中症。そして「夏の甲子園」を旭川スタルヒン球場で開催すべきこれだけの理由。

甲子園球場の写真 社会科学・人文科学

甲子園球場の写真

 

今朝のヤフーニュースでこんな記事が上がっていた。

熱中症死、野球部員25% 長い練習時間原因か 中高部活調査

「夏の甲子園は、選手が熱中症になる危険性があるのでは?」ということは、ここ最近毎年ネットで話題になっている。というか、炎上している。

僕は野球にはそれなりに詳しいということで、知人とそういう話をするたびに「夏の甲子園って死人が出ないと止まらないよね?」ということを言われるのだが、僕はいつも「う〜ん、死人なんて出るかなぁ……」と首を捻ってしまう。今回はそのことについて自分の経験を踏まえて、改めて書いておきます。

中学生のときに合宿で熱中症になった

夏の甲子園で高校球児が明らかに熱中症が原因で死亡した事故はまだ起こっていないし、結論からいえば今後も起こる可能性はあまり高くないのではないかと思う。

なぜかというと、夏の甲子園に出てくるような選手たちは「良くも悪くも」訓練しているからである。

少し自分の例を出してみる。

僕は中学・高校(※一応、大学も)と野球をやっていた。で、実は中学2年生のときに合宿で熱中症になり、さらに虫垂炎も併発して入院したことがある。

このときは野球を始めてから最初に体験する合宿であった。場所は新潟で行われた。顧問の先生も合宿ということでテンションが上っており、アメリカンノック(外野のレフトに守り、ノッカーが右中間付近に打球を打ち、それを追いかけ、捕ったら今度はライトに守り、左中間の打球を追いかける……という、ランメニューと守備練習を兼ねた過酷なやつ)を散々やったあげく、「その間は水を飲むな」という指令が下されていた。

僕はもともとちゃんと運動をやったことのなかった子どもだったので、もう本当に死ぬかという思いだった。そこで、アメリカンノックが終わったあとは本当にガブガブ水を飲んでしまった。あとで知るのだが、水は一気に飲むのではなく、「喉が渇く前にこまめに飲む」というのが鉄則である。なぜかというと、飲むのを我慢してあとで一気に飲むと腹を壊したり体調を崩す危険性があるからだ。

で、案の定ガブ飲みをしたこと、そもそも熱中症になってしまったことによって、その夜に体調を崩し病院に行ったら虫垂炎を併発していることがわかり、急遽横浜に帰り、自宅近くの病院に入院することになった。虫垂炎の開腹手術も行ったので、それからしばらく部活に行くことができなかった。

 

まあ顧問の先生はふだんそんなに厳しくなかったし、合宿でテンションが上がっていて「昔の野球部ふう」のことをやりたかっただけだろうと思うのだが、冷静に考えると死の一歩手前だったかもしれず、普通に教師としては安全配慮義務違反には当たるんじゃないかな〜とは思う。まあ、今はふつうに生きてるので冷静に振り返ることができるが、外側からはそうは受け取れないだろうな、という感じである。

なので、良い子は「夏のスポーツ時は水をこまめに『喉が渇く前に』飲む」「疲れたら日陰で休む」「長時間練習をしない」を徹底しよう。今どき「水は飲むな」なんて指導する教師や指導者は少ないと思うが、もしそういう場面に出くわしたら速攻で親や信頼できる教師に相談するべきだ。

死の淵から蘇るたびに「夏の暑さ」に強くなる

で、僕は翌年の中3のときも夏合宿には参加したわけだが、そのときはかなり余裕だった。「去年はあんなにきつかったのに今年はラクだな〜」と思ったことを覚えている。

さて、その後高校に進学したのだが、高1の夏休みは監督不在で、上級生である2年生主導で夏休みのメニューが組まれた。基本的には練習日は午前中のみと決められていた。今思うとなかなか正しい判断である。(ちなみに高校野球の場合、甲子園に出る一握りの学校を除いて大半の学校は、夏休みは代替わり=新チームのスタート時期である)

ところが僕が高2のとき、7月上旬に夏の大会が終わって最上級生になり夏休みを迎えたところで新たな監督が就任した。この監督は、まあ詳しくは書かないがかなり厄介な人物で、監督といってもおっさんとかではなくペーペーの大学生であった。(高校野球の監督にはライセンスはいらず誰でもなれるのだ)

で、彼は若者にもかかわらず「高校野球っぽいもの」が大好きな高校野球フェチであった。「初回に先頭打者が出塁すると必ず2番にバントさせると絶頂」みたいな感じである。まだ得点入ってないのに……。セイバーメトリクス全盛の現代ではめっちゃネット民から批判を浴びそうな戦術を至高とするタイプであった。

そう、若者的なそういう合理性はいっさいなく、「質より量」を掲げる超絶ブラック監督だったのだ。(しかも「量より質じゃなく質より量とか言っちゃう自分、反時代的で最高〜」と思っていそうでかなり厄介であった。まあ高校野球フェチとは往々にしてそういうものである)

当然、「夏休みは午前練のみ」という合理的な形式は即座に廃止され、「高校野球の夏休みは9時〜5時で練習だろ」ということで一日練習になった。我々は進学校の生徒だったので勉強もしなければいけないし、できたら予備校の夏期講習なども行ければよかったのだが、そんな選択肢は即座に吹っ飛んだ。「遊びも勉強も部活も!」という進研ゼミ的な楽しい夏休みの夢は露と消えた。

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というのはさておき、年々、夏の過酷さが増すなかで、僕は「意外といけるな」と思うようになった。生死のギリギリの淵から蘇り、そのたびに強くなるサイヤ人みたいなものである。どんどん熱中症になりにくくなるのだ。人間の体ってすごい。

僕らのような弱小校ですらそうなのだから、甲子園を狙うような強豪校で毎日朝から晩までパブロフの犬のように練習し続ける「野球エリート」たちはもっとそうだろう。奴らは長年鍛え上げているので、「熱中症への耐性の強さ」は常人のレベルを遥かに超えている。

だからよく高校野球で、スタンドで応援している女子生徒とかは倒れる(※これは熱中症に起因する意識障害)けど、選手はなかなか倒れないのはそういうことなのだ。ちなみに高校球児は、夏の大会の本番で倒れないように練習のあいだは長袖シャツを着るとかして暑さに慣れる「対策」をしている人もけっこう多い。

とはいえ、夏の甲子園で熱中症が原因の意識障害や、死亡事故が起きる可能性は少ないといっても、試合中にピッチャーに多いのだが「足がつって」交代するケースである。

「高校球児として過酷な練習をしているのに試合中に足がつるなんてどういうことだ!鍛え方が足りん!けしからん!」

と高校野球保守派の人たちは思うかもしれないが、これは「熱けいれん」という熱中症の症状のひとつだと考えられる(参考:高校野球メディカルサポートにおける熱痙攣の発生状況について)。

夏の暑さは年々厳しさを増しており、90年代以降の夏の大阪の平均気温はそれ以前と比べてもかなり高くなっている(参考:東京や大阪の気温は上昇中…100年以上の推移をさぐる(不破雷蔵) – 個人 – Yahoo!ニュース)。

当然ながら夏の平均気温は東京よりも大阪の夏のほうが高い。倒れはしないものの、暑さは確実に彼らの身体を蝕んでいる。

高校野球の全国大会は甲子園でなく旭川スタルヒン球場でやろう

とはいえ「高校野球は甲子園でなくドーム球場でやればいいじゃん」という話もよくあるがあまり賛同できない。

まず、そもそも「たかが高校生が、スポーツの全国大会なんて金のかかること、やる必要ある?」という視点は必要だ。開催するためには場所としての球場を借りることも必要だし、宿泊費や滞在費などべらぼうなお金がかかる。現に、アメリカでは教育的配慮(=「たかが高校生にスポーツの全国大会なんて贅沢なものをさせると勘違いするので教育上よくない」)から全国大会は行われていない。

なのでベーシックには僕は「高校野球の全国大会そのものを廃止すべき」だと思っている。

ただ、これは原理的には正しくても、さすがにラディカルすぎる。日本人は「高校生も全国大会をするのが当たり前」と思っているので、すぐには受け入れてもらえそうにない。夏の甲子園は、日本人の生活感覚にも馴染んでしまっている。

そして、すでに「甲子園」というもの自体に意味性が発生してしまっている。

僕も何度か夏の甲子園に足を運んだことがあるが、個人的には「夏の甲子園」なんてものに魅力はまったく感じない。夏の甲子園球場付近には、無駄に戦前っぽい、伝統っぽい雰囲気が流れているが、戦前史を勉強している者としては「大して勉強せずにイメージだけで作ってるな、表面的だな」としか思わない。そういうものを「伝統っぽい」とありがたがる人たちに対しても、日本社会の歴史にたいする理解が浅すぎてほとほとウンザリする。

ところが多くの高校野球ファンの人たちは、「甲子園でなきゃダメだ、みんな甲子園に出場することをめざして野球をがんばってきているんだから」と言う。僕からすればそんな「創られた伝統」でありフェイクなものに人生の意味を見出すこと自体がナンセンスなのだが。そんなもの、「野球そのもの」の魅力とは何の関係もない。

「夏の暑さから球児を守れ!」という意見にも首を捻ってしまう。そもそも「たかが高校生」に全国大会なんて贅沢なものは不必要だと思っているので、もし彼らを「子ども」として扱い、「教育的に守りたい」のであれば、全国大会をやること自体が教育上よろしくないのだから「夏の暑さから球児を守れ!」という中途半端な意見を言われても全然賛同できない。「子どもとして教育的に守りたいから全国大会を廃止しよう!」なら賛同できる。

 

野球という競技が素晴らしいのは、多様性を受け入れる土壌があることだ。痩せていても太っていても、背が高くても低くても、足が速くても遅くても活躍することのできる素地がある。

もし全国大会をどうしてもやりたいのであれば、暑さ対策をあまり考えなくて済むように、北海道の旭川スタルヒン球場あたりでやるべきだ。(しかもチーム数をぐっと絞り、16チームぐらいで1次リーグはリーグ戦形式でやって、準決勝から1発勝負にすればいい)

旭川は、戦前〜戦後にかけて巨人のエースとして活躍したヴィクトル・スタルヒンゆかりの地だ。スタルヒンはロシア系であり、しかも当時のロシア革命を避けて亡命してきた一家の人間でソ連国籍にはならなかったため、無国籍として過ごした。そんな複雑な背景をもつスタルヒンを日本野球界は受け入れ、その実力を認め、球界の盟主・巨人のエースとして尊重した。日本野球界は特に、スタルヒン、王、張本、金田正一など外国にルーツのある選手も「おらがチームの選手」として非常にリスペクトするところがある。これは端的にいって「よい伝統」である。

そのスタルヒンの名前がついた場所で日本野球のよき伝統を知ってもらいながら、若い選手たちに存分にプレーしてもらえばいい。ついでにみんなで旭山動物園にも行って人間だけでなく動物の多様性にも思いを馳せる。非常に楽しそうだし教育的だ。

旭川には全国から人が集まり、地域活性化にもなる。夏の北海道の過ごしやすさを全国に発信すれば観光客も増えるだろう。野球=地域活性化は現在のプロ野球の展開のなかでも非常に重視されているものだ。高校野球も地域活性化に貢献すべく「移転」してはどうだろうか。

旭山動物園のキングペンギン
▲旭山動物園のキングペンギンたちの様子(画像出典

甲子園球児が夏の暑さに倒れないのはそれを生き抜くだけの訓練を積んでいるからで、とはいえその裏側には、僕のように熱中症になって死の淵を経験したものもいるし、さらにその背後には死に追い込まれてしまった者もたくさんいることだろう。彼らはそれらにたまたま耐えることのできた「生存者」なのだ。

そういったデスゲーム的な側面を、多くの観客は涼しいところから見守り、「夏の風物詩だよね〜」「青春だよね〜」「伝統だよね〜」と適当なことを言っている。まさに『トゥルーマン・ショー』のようなグロテスクな光景であると思う。

逆にネット民は、単に「スポーツ憎し」「野球部憎し」の感覚で、夏の甲子園の季節が来るたびに高校野球関連のニュースに言及し炎上させている。

そしてこういうふうに追い込まれる高校球児たちは、ストレス耐性はつくけど将来的には大した知性もなく驕り高ぶって、でも大半はプロにもなれず、高校時代の栄光を引きずり、労働時間を売りにするだけのブラック企業戦士になってしまう。

誰も本質的なことを言っていないのだ。

ここで述べたことはかなりの極論かもしれない。「夏の甲子園は旭川スタルヒン球場で開催しよう!」なんてめちゃくちゃ暴論だ。そもそもそうなったらもはや「甲子園」ですらない。

だけど、高校野球に関する言説のなかでは珍しく、本質は外していないと思っている。

もっと本質的な議論をしよう。

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