若者特有の自意識の悩みには『孤独と不安のレッスン』(鴻上尚史)が効く……と思う

「自意識がどうのこうの」と言われたとき……

なにかこじらせてしまった痛い若者に対して、「自意識過剰だからお前はダメなんだ」「他人の目を気にするな!」とはよく言われるセリフだ。「自意識があるのは恥ずかしい」「あいつ自意識がダダ漏れでダメだよね」なんてことを、他人を見下げるときに使ったりする。

そこでは「よくない」という説教的ニュアンスばかりが共有されてしまっている。「よくない」という言い方には、「私は他人を批評しています」というメタメッセージ、さらに言えば「私はあの人より高みに立っています」というメタメッセージが含まれている。「自意識過剰だからお前はダメなんだ」「他人の目を気にするな!」という言い方は、人間関係にある種の「上下関係」をみている。

以上のようなことを大学生ぐらいのときによく考えていた。考えて得た結論は「痛い」なら「痛いなりにやりきる」べきではないかということだった。

「ああいうふうになるのはよくない」とスタートラインのかなり前からあらかじめ自制をするよりは、中二病なら中二病でそれをきちんとやりきって、中二病である自分を受け入れ、開き直りではないかたちでの自信を持てるようにできたら気楽に生きていける気がする。

こういう悩みについて考えた、鴻上尚史さんの『孤独と不安のレッスン』という本があるので、少し紹介をしてみたい。

「ニセモノの孤独」と「本当の孤独」というものがあるらしい

現代人の悩みの原因はほとんど、「寂しい」ということに尽きると思う。
「友達がいない、恋人がいない、親兄弟ともわかりあえない」
「でも友達や彼氏や彼女がいないのは恥ずかしい」
「いや、恥ずかしくない!いなくたって◯◯してれば楽しいんだ!」
などなど、いろんな感情があるはず。それらはつまるところすべて「寂しい」という感情を見つめていないからこそ生まれる自意識なんじゃないか。こういうものを鴻上尚史は「ニセモノの孤独」と言う。

最近、『寂しさの力』『君に友達はいらない』というような、この「寂しい」というものに向きあおうというメッセージの本が出ている。一方で鴻上尚史の本は初版は2006年に出たものだ。だから、けっこう前。

タイトル『孤独と不安のレッスン』には、「俺は友達がいなくても大丈夫なんだ!」という開き直りというか、無理やり思い込むようなメッセージも入っていない。このタイトルから感じられるのは、「自分は寂しい。でも開き直るんじゃなくてそれを受け入れて、何か辛いことがあっても乗り越えられるような人間になりたい」という願いだと思う。

鴻上尚史は「ニセモノの孤独」ではなく「本当の孤独」を味わうことで、「自分はほんとうは何がしたいのか」を感じられるようになり、そうなると人間関係も変わってくるという。いまいる場所で誰からも認められていなかったとしても、「自分はほんとうは何がしたいのか」がはっきりしてくれば、そのための人間関係も新たに見つかってくる。それは新しい出会いかもしれないし、もしかしたら旧い友人との再会というかたちかもしれない。この本には、そういうことを考えるためのヒントがいろいろ転がっている。鴻上尚史は「こうしなさい」とまでは言わないので、気軽に読めるのもいいところだと思う。

孤独と不安のレッスン
孤独と不安のレッスン (だいわ文庫) 文庫 – 2011/2/9 鴻上 尚史 (著)

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それと、一人暮らしをすることのメリットについて

この本で僕が特に心に残っていて、読んでから数年経って実行できたのが「一人暮らしをする」ということだ。一人暮らしは、家に帰っても誰もいない。当たり前のことだが、この感覚を若い期間にしっかりと味わっておくことが「本当の孤独」を知るためのヒントになると鴻上尚史はいう。

今はシェアハウスもブームであるし、僕が大学生だった2010年前後はその前夜で、僕も友人とシェアハウスをすることを試みたことがある。でもいろいろ考えて、実行には至らなかった。「一人暮らしするほうがいいな」と感覚的に思っていたことがある。

今は毎日働いていて経済的にも余裕が出てきたので物件探しから家具を揃えることからなにからすべて一人で選択して住んでいる。しかし何か工夫をして大学生の早い段階で一人暮らしをしておけば、もっと早く色んなことに気づけたのではないかなと思う。

親と暮らしていると、何事にも罪悪感が伴う。

異性と付き合ったり、より親密になったりしても、「悪いことをしているんじゃないか」という感覚が抜けない。異性と付き合うとは、親兄弟ではない誰かと超仲良くなることであって、同性の親友ですらも教えてくれない、自分の知らない世界を深く知ることができる。そうすることでちょっと成長したり、じんわりと幸せを感じたりすることができる。

別に「恋愛はしなければ人間として価値がない」と恋愛至上主義的なことを考える必要はないが、親と暮らしていると、奇妙な罪悪感にとらわれて、自分が罪悪感に絡め取られていることに気づかず、「恋愛なんて気持ち悪い」「◯◯のほうがいい」のような感じになってしまうことも多いのではないか(とはいえ、鴻上尚史は「一人暮らしならではの、寂しさからの逃避としての恋愛」にも気をつけようと言っているが)。

そういう恋愛とかの側面以外にも、親元暮らしをしていると「自分はほんとうは何がしたいのか」に気づきづらいし、「やりたいことがよくわからない」という悩みをそのままにしてしまうリスクがある。

「いつまでたっても親元にいるなんて情けない」というのは昭和の保守的なおじさんおばさんが言うことだ。実家ぐらしのほうが金銭的には合理的である。貯金もどんどん貯まる。炊事・洗濯・買い物・掃除・税金の支払いのような面倒ごとも両親がやってくれる。

でも、そういうわかりやすいメリットは、長期的にはデメリットになる気がする。

逆に言えば、一人暮らしは金銭的に失うものは多いけど、それ以上のメリットをもたらしてくれるものだと感じている。こういうことに、なるべく早い段階で気付いておきたかった。なので学生時代に教育実習に行ったとき、母校の高校生たちに折に触れてそういうことを喋っていた。

このエントリをたまたま見つけた人には、一人でも多く、こういう「寂しさ」のロジックに早いうちから気づいてほしいと思う。

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