若者特有の自意識の悩みには『孤独と不安のレッスン』(鴻上尚史)が効くと思う

■「自意識がどうのこうの」と言われたときの対処法

「自意識」という言葉は今やもうすっかり市民権を得た。
なにかこじらせてしまった痛い若者に対しては「自意識過剰だからお前はダメなんだ」「他人の目を気にするな!」とよく言われるし、「自意識があるのは恥ずかしい」「あいつ自意識がダダ漏れでダメだよね」なんてことを、他人を見下げるときに使ったりする。

いろんな人間の悩みに対していつも思うのが、「◯◯なのはよくない」と多くの人が言うけど、その「よくない」というドグマばかりが共有されてしまっているということだ。「よくない」という言い方には、「私は他人を批評しています」というメタメッセージ、さらに言えば「私はあの人より高みに立っています」というメタメッセージが含まれている。要するに何も物事が前に進んでおらず、そこにあるのは「あいつより自分は上だ」という不毛なマウンティング合戦だけだ。

冒頭に述べた「自意識過剰だからお前はダメなんだ」「他人の目を気にするな!」という言い方は、人間関係にそういう上下を持ち込んでいる時点で、実に “他人の目を気にしている” 。

……というようなことをよく考えていたが、結論としては「痛い」なら「痛いなりにやりきる」べきなんだろうと思った。「ああいうふうになるのはよくない」とスタートラインのかなり前からあらかじめ自制をするよりは、中二病なら中二病でそれをきちんとやりきって、中二病である自分を受け入れ、開き直りではないかたちでの自信を持てるようにしたらいいということである。

この文章を読んだ人には、何を言っているのかよくわからないという人もいるだろう。なので、鴻上尚史さんの『孤独と不安のレッスン』という本の紹介をしてみたい。

■「ニセモノの孤独」と「本当の孤独」というものがあるらしい

現代人の悩みの原因はほとんど、「寂しい」ということに尽きると思う。
「友達がいない、恋人がいない、親兄弟ともわかりあえない」
「でも友達や彼氏や彼女がいないのは恥ずかしい」
「いや、恥ずかしくない!いなくたって◯◯してれば楽しいんだ!」
などなど、いろんな感情があるだろうけど、それらはつまるところすべて「寂しい」という感情を見つめていないからこそ生まれる自意識なんじゃないか。こういうものを鴻上尚史は「ニセモノの孤独」と言う。

最近、『寂しさの力』『君に友達はいらない』というような、この「寂しい」というものに向きあおうというメッセージの本が出ている。
一方で鴻上尚史の本は初版は2006年に出たものだ。
題名からして全然違うと思う。『孤独と不安のレッスン』である。
「俺は友達がいなくても大丈夫なんだ!」という開き直りというか、無理やり思い込むようなメッセージも入っていない(それはそれで理解できるけれど)。なにせ『レッスン』なのだ。
このタイトルから感じられるのは、「自分は寂しい。でも開き直るんじゃなくてそれを受け入れて、何か辛いことがあっても乗り越えられるような人間になりたい」という思いだと思う。

鴻上尚史は「ニセモノの孤独」ではなく「本当の孤独」を味わうことで、「自分はほんとうは何がしたいのか」を感じられるようになり、そうなると人間関係も変わってくるという。いまいる場所で誰からも認められていなかったとしても、「自分はほんとうは何がしたいのか」がはっきりしてくれば、そのための人間関係も新たに見つかってくる。それは新しい出会いかもしれないし、もしかしたら旧い友人との再会というかたちかもしれない。
じゃあその「自分はほんとうは何がしたいのか」を感じるために必要な、「本当の孤独」ってなんなの?と思う人は、『孤独と不安のレッスン』を読むと、考えるヒントがいろいろ転がっている。鴻上尚史は「こうしなさい」とまでは言わないので、気軽に読めるのもこの本のいいところだ。

孤独と不安のレッスン
孤独と不安のレッスン (だいわ文庫) 文庫 – 2011/2/9 鴻上 尚史 (著)

■一人暮らしをすることのメリットについて

最後に自分の話をして終わってみたい。この本で僕が特に心に残っていて、読んでから数年経って実行できたのが「一人暮らしをする」ということだ。一人暮らしは、家に帰っても誰もいない。当たり前のことだが、この感覚を若い期間にしっかりと味わっておくことが「本当の孤独」を知るためのヒントになると鴻上尚史はいう。
今はシェアハウスもブームであるし、僕が大学生だった2010年前後はその前夜で、僕も友人とシェアハウスをすることを試みたことがある。でもいろいろ考えて、実行には至らなかった。「一人暮らしするほうがいいな」と感覚的に思っていたことがある。
僕は大学生の期間は長かったのだが、家から1時間半かけて大学には通えたので、寮に1年ぐらい入っていたぐらいで一人暮らしをほとんどしていない。そのあとは姉と一緒に世田谷に住んだりしたが、どちらもあまり得るものはなかったなと思う。
今は毎日働いていて経済的にも余裕が出てきたので物件探しから家具を揃えることからなにからすべて一人で選択して住んでいる。しかし何か工夫をして大学生の早い段階で一人暮らしをしておけば、もっと早く色んなことに気づけたのではないかなと思う。

親と暮らしていると、何事にも罪悪感が伴う。異性と付き合ったり、より親密になったりしても、「悪いことをしているんじゃないか」という感覚が抜けない。異性と付き合うとは、親兄弟ではない誰かと超仲良くなることであって、同性の親友ですらも教えてくれない、自分の知らない世界を深く知ることができる。そうすることでちょっと成長したり、じんわりと幸せを感じたりすることができる。それが世間で「恋愛はいいものだ」とされる理由だと思う。恋愛至上主義のように「恋愛はしなければならない!できなければ人間として価値がない!」と強迫的に考える必要はないけど、合理的に考えて恋愛にはそういうメリットがある。親と暮らしていると、奇妙な罪悪感にとらわれて、自分が罪悪感に絡め取られていることに気づかず、「恋愛なんて気持ち悪い」「◯◯のほうがいい」のような感じに僕もなっていた。(とはいえ、鴻上尚史は「一人暮らしならではの、寂しさからの逃避としての恋愛」にも気をつけようと言っているが、「でも一人暮らしはしたほうがいい」とのことだ。)
そういう恋愛とかの側面以外にも、親元暮らしをしていると「自分はほんとうは何がしたいのか」に気づきづらいし、「やりたいことがよくわからない」という悩みをそのままにしてしまうリスクがある。

「いつまでたっても親元にいるなんて情けない」というのは昭和の保守的なおじさんおばさんが言うことだから、「そんなのうるせえ!」と思う気持ちも僕にはあった。親元にいれば経済的に困窮することもないし、貯金もどんどん貯まる。だからそっちのほうがトクじゃん!(こっそりしか言えないけど、炊事・洗濯・買い物・掃除・税金の支払いのような面倒ごとも両親がやってくれるし)というわけなのだが、そういうわかりやすいメリットは、実はメリットではないと思う。結果的に失うものが予想以上に大きい。(そもそも若者向けの住宅政策が充実していないという日本という国の問題もあるが、それは個人としてはどうしようもないのでここでは脇に置きたい。)
逆に言えば、一人暮らしは金銭的に失うものは多いけど、それ以上のメリットをもたらしてくれるものだと思う。こういうことに、なるべく早い段階で気付いておけばよかった。と最近よく思う。だから学校や職場が実家から通える人でも、なんとかいろいろ工夫をして、一人暮らしをするようにしたらいいんじゃないか。特に、親との関係で悩んでいるひとには。そういうことをこの『孤独と不安のレッスン』を読み返してみて思った。

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