最近、意識不明にならないために――つまり、意識が低くなりすぎないように――ドラッカーの『プロフェッショナルの条件』を毎日1ページずつぐらい読んでいる。もちろん他の仕事がメインなので1日1ページぐらいにしている。おそらく連続で読みすぎると意識が高くなりすぎてしまうので、ほどほどに。ある種の筋トレみたいなものだ。
なんでドラッカーを読んでいるかというと、同じようにビジネス書の名著と言われるデール・カーネギーの『人を動かす』を読んで、とても勉強になったからだった。
カーネギー『人を動かす』をめぐる誤解
実はこの本、学生のときに読もうとして挫折している。そもそも題名の『人を動かす』が気に入らなかったという単純な理由が大きい。自分は人に動かされたくないので、「人を動かす技術なんて学びたくない!」みたいなことを思っていた。
ところが最近になって『人を動かす』を読んでみて、内容がぜんぜん違うことがわかった。原題は“How to Win Friends and Influence People”である。つまり、「友人を得、人々に感化を与える方法」なのだ。
ここで僕は、Influenceという言葉に「影響」ではなく「感化」という訳を当ててみた。この本を読むと、カーネギーの言っているInfluenceという言葉には、「他人を自分の思い通り動かす」という意味ではなく、「良い意味での影響を与える」というニュアンスが含まれていることがわかる。そこでInfluenceするのは、「evilなもの」ではないのだ。だから単に「影響を与える」というよりも「感化する」という訳語が、より適切だと思う。
カーネギーは「良き人物になる」ための方法をこの本で説いている。それができれば、仕事も人生も、良き方向に転んでいくだろう、ということなのだ。つまりこの本は、ビジネス書でありつつ、人生論や哲学でもある。
日本語タイトルが『人を動かす』になっているのは、翻訳を出している創元社のマーケティングのうまさでもあると思った。このタイトルであれば、evilな意味での「他人を自分の思い通り動かす」を求める人々に、この本を手に取らせることができる。そして最初はevilなものを求めていた読者も、本を読んでいくなかで、evilな意味での「人を動かす」ことではなく、良い影響を与えることの大事さを繰り返し説くカーネギーにだんだん説得されていく――そういう構成になっている。
ある意味、カーネギーの『人を動かす』も、Podcastで僕がときどき言及しているような人柄主義、人格主義的な本でもあると言える。面白いのは、最近はマンガ版がすごく売れているスティーブン・R・コヴィーの『7つの習慣』でも、同じように人格主義が説かれていることである。コヴィーはたしか、戦後日本企業のことを高く評価していた。そして実はドラッカーの、戦後日本企業に対する評価も高いのである。そんな連想があって、ドラッカーを読んでみることにした。
余談ながら、最近の戦後日本企業は「JTC(Japan Traditional Company)」などと言われ、その後進性が指摘される。たしかに後進的な部分はあるのだろうが、たとえば松下幸之助や本田宗一郎、稲盛和夫といった経営者が、果たして今の「JTC」を良いと思うかというと、僕はそうではないんじゃないか、と感じる。松下、本田、稲盛のような経営者の後継者たちがむしろ後進性を突き進めてしまって、今があるのではないか……。自分はコヴィー、ドラッカーの直感には何か意味があったはずだと思う。かつて戦後日本の経営者は渋沢栄一以来の人格主義を重視していたが、80〜90年代以降に人格主義が衰退したことが実は問題だったのではないか、という仮説を持っている。
ドラッカーの『プロフェッショナルの条件』
そして、ドラッカー入門としてどの本がよいか探していたところ、『プロフェッショナルの条件』が良さそうだと思った。実はこれも20代の頃に一応買ってはあったのだが、まったく読まずに一度、売却してしまっていた。なぜかというと、意識が高そうなタイトルであり、自分の本棚に並んでいるのがちょっと嫌だな……と(そのときは)思ったからだった。
でも今回、読んでみていろいろとなるほどなと思った。最初は時間の管理法を知りたいと思ってPart3の第3章「時間を管理する」を読んでみたところ、平易でかつ当たり前のことを言っているようでいて、一文字一文字に意図があってよく練り込まれた文章であると感じた。これはカーネギーも同じで、ビジネス書の名著と言われるものは一見当たり前のようでいて、大事なことが精密な筆致で書かれている。
僕が学生の頃、カーネギーやドラッカーを手にとってもあまり響かなかった。書いてあることに対して、「何を当たり前のことを」と思ってしまったからだ。それは何も現実を知らなかったからだと思う。企業社会で働いてみて、「当たり前のこと」がさまざま事情でできなくなっている組織、原則や理想を貫くことができなくなっている人々を多く見てきたし、自分もその一人だった。20代〜30代にかけていろいろ「現実」を目の当たりにすると、「当たり前のこと」をだんだん忘れていってしまう。
そしてドラッカーは原則や理想を語るが、「なぜそれが合理的なのか」をさまざまなケーススタディ――歴史的な事件や経済界で起こってきたこと――を参照しながら、抽象的なかたちで本質を取り出して記述していく。これは実用性抜きに、社会批評としても面白い。
ここから先は一旦、有料にします。
コメント