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アウトプットはいいのだが、インプットをどうするか書きながら考えてみた | にどね研究所

アウトプットはいいのだが、インプットをどうするか書きながら考えてみた

アイデア

フィットネスの話を前段で書こうと思っていたら長くなってしまったので前の記事にまとめた。

さて昨日、企画書を1本上げたので、一応直近で仕上げておくべき企画書は残り1本になった。

雑誌やWebメディアでの取材の企画書というのは、そもそも相手が取材を受けてくれるのかわからないので、必要なインプットを全部しきらずに、「ある程度」の方向性まで見えたら企画書にまとめて、まずは依頼先に投げる、という流れになる。そして取材OKが出たら、決まった取材日までに残りのインプットを進める、というやり方がおそらく一般的かと思う。

インプットに時間かけられない問題

もっとも、企画書を仕上げるまでにどこまでインプットをやっておくのかは永遠の課題だ。

会社員としてメディアで働いている場合、この「インプットの時間」の確保がより難しくなる。インプットを長くやって企画書を出して、取材が断られたら「何やってたんだ」という話になる。だから、より効率的にやるにはインプットの時間の最小化が必要になるが、そうなるとテンプレート的な企画書を数撃ちゃ当たる方式で投げることになり、依頼先には「なんかテンプレート的な企画書が来たなと」と受け取られて打率が下がる。おまけに、取材依頼の段階で企画の方向性のグリップができていないので、実際に取材を受けてもらえたとしても、取材後の原稿の調整がめちゃめちゃ大変になったりする。Webメディアではその傾向が特に顕著になる。こうしてデスマーチが生まれてしまう。

自分がフリーランスでやっているのはその問題がけっこう大きい。フリーランスであれば企画書に多少時間をかけてもあんまり怒られが発生しない。その間の報酬は別に出ないからである。だけど企画書が、依頼先にちゃんとミートするものになっていれば取材を受けてもらえる打率はものすごく上がるし、方向性のグリップも取材前の段階でできているので、原稿作成段階での調整もそこまで必要なくなる。

もっとも経済的には圧倒的に不利ではあって、そこは普通に課題である。だが、あんまり考えないようにしている。直感で、今はその方がいいかな〜ということが何となくしっくり来ているからだ。不安ベースで動いても心身の健康にはならない、“しっくりベース”のほうがトータルではマシということを経験的に知っている。相手方(原稿料をくれる主体)にアップサイドを作らずに、自分とフェアな関係性になっているかどうかだけ気をつければいい。

そもそも取材というのはきっちり準備ができた上で臨めば、取材して得られる情報の大きさの方が原稿料以上に大きいので、コストパフォーマンスはそこまで気にしすぎない方がいいと思っている。大事なのは内容、プロセス、次につながるかどうかだと思う。

それと、取材がもし断られたとしても、「そのインプットには意味があった」と思えるようなインプットをしておくのがよい。そうなると「自分が興味があるけれど、ちゃんとその人のことを追っていない」という人、少し無理目な人でも取材依頼のアタックしてみる、短期的なリターンはないかもしれないが、そもそもインプットが目的なので勉強自体に価値がある、みたいな心持ちがいいのではないかと思っている。

出版ベンチャーとIT企業での文化の違い

最近、アウトプットのほうはいろいろ工夫しているのでそれなりにコンスタントに作れるようになった。相当ざっくり言えば「とにかく手を動かせばいい」ということになる。20分なり1時間なり、時間を決めてスマホのタイマーを設定し、パソコンに向かって文章を打ち込むだけ。

ただ、原稿のアウトプットと企画書のアウトプットはちょっと性質が違う。企画書の場合、インプットとアウトプットが入り混じったものになる。インプットしながら、思いついたことを企画書のドキュメントにバーっと打ち込んでいき、「だいたい要素出てきたかな〜」と思えてきたら、あとで削ったり整えたり、ガーッとまとめるというやり方である。

編集者・ライターとして働き始めた最初の頃――PLANETSでやっていたときとか――は、大量の事務処理、進行管理、編集業務があったため、「企画を立てるときのインプットは業務時間外でやらないといけない」と思い込んでいた。たとえば寝る前、休日とかに本を読んだり、ネットで調べたり、である。これをやるとワークライフバランスの「ライフ」が無になる。まあ当時、デスクで本を読んでいたとしても何も言われなかったと思うが、少なくともその時の自分は、それがダメだと信じ込んでいた。先輩社員的な人もいなかったし。

そのあとIT企業に入ってみて、デザイナーやエンジニアとかは週に1〜2時間とか、インプットの時間を業務時間中に取っているという話を聞いた。なるほどな〜と思って自分もやってみたが、そもそもデザイナーと編集ではカルチャーが違う。編集の人たちは、デスクで堂々と本を読んだりということはあまりしていなかった。パソコンになにか打ち込んだり手を動かしながら調べ物をしたり、もしくは打ち合わせをしていたように思う。何かが間に合ってないでインプットをしていると、年上の人とかから「何やってんの?」と言われたりする。これは出版ベンチャー→ITに移って初めて言われたことではある。年収は向上したものの、業務的なクリエイティビティという意味では後退だと感じられた。実際、PLANETSのときはいい企画や書籍をけっこう作れていたし社会的にも経済的にもプラスを作れていたと思うのだが、ITに転職後はかなり少なくなってしまった。

出版社の人の場合、会社のデスクで本を読んでいてもあまり何も言われない。しかしITの場合は「何やってるんだ?」とみなされてしまう。まあ今思うと、たぶん本を読みながらでもPCを開いて何かキーボードで打ち込んだり、参考資料をたくさん広げたり、ノートにペンを走らせてメモしたりしていれば、「やってる感」は出せたのかなとは思う。そういう工夫は、自分のやりやすさを作り出すためには案外、大事だとも思う。実際、とりあえず紙になんか書くというのは、自分を柔軟にするためにはけっこういい。

スパークが生まれるとき

じゃあ、創造性への理解のある企業で自由にインプットに時間を使えればいいのではないか?というと、それも個人的な実感とはちょっと違う。いくらフリーダムな企業でも、業務時間中にずっとNetflixでドラマを見ていたら怒られるのではないかと思ってしまう。

自分のやりたい企画とか、その企画と世間的ニーズのすりあわせが考えつく、一見関係のない物事に関連性を見出す、発火する、スパークする、みたいなことがわりと大事なのかなと思う。

スパークが生まれるときの状況というのは、そう簡単に一般化できない。人と雑談しているときもあるし、生み出さないといけない企画とは何の関係もないドラマや映画を見ているときに生まれることもあるし、ウォーキングしているときもあるし、あとは野球の練習をしているときもある。ドライブしているときもあれば、知らない土地を訪れているときもあるし、楽しみにライブやスポーツ観戦に行ったり、美術館やギャラリーに行ったり、動物園とか海とか公園に行ったりするとき、などなど。気分転換がいいのかもしれない。そしてテレビを無意識に見ていたり、SNSを漫然と眺めているときとかも、意外とそういうことが起こったりする。

ここまで書き出してきて思ったのが、義務感で「企画を生み出さなきゃ…!」と思っているときはあんまり良い状態ではない。「インプットのために、映画館や美術館に行くんや!」「本を読むんや!」も、ちょっと違うかなと思う。決断的である。

いいのは、楽しんでいるとき、リラックスしているとき、漫然かつ無意識に何かやっているとき、などなど。それで生まれた企画が、最終的に実現できて、ちゃんと数字として結果も伴うと、楽しいし、お金がちゃんと入ったりもする。あ、これって、『暇と退屈な倫理学』でいうところの「退屈の第二形式」か。

漫然とした「インプット(?)」

ここまでで書くのを忘れていたが、企画を立てるとき、執筆を進めるとき。ここの段階ではすでに方向性は生まれているのだが、より練っていくためには、必要なインプットのリストのようなものは作ったりもする(単に頭のなかにあるだけという場合もある)。「読むもの」でいうと、代表的なのは以下のような感じ。

  • 本(Amazonや国会図書館サーチなどで検索する。Wikipediaの記述の参考文献なども見たりする)
  • Web記事(インタビュー記事など。「取材したい固有名+インタビュー」などで検索する)
  • 俯瞰的な批評が書いてある本、Web連載など。

あとは、「これもいいかな〜」という映像・音声メディア。まず、関連しそうな映画のタイトルを集めておく。最近よく接しているのは音声メディアで、TBSラジオのSessionのページは毎日チェックしている。あとは気になったネット番組やYouTube動画を、ウォーキングや食材の買い物、トレーニングのとき、風呂に入るとき、自転車に乗っているとき、ドライブしているときなどに聴いている。

テレビ番組でいうとNHKの『100分de名著』をけっこう見ている。気になった本がテーマになった回は、アーカイブを探すと普通にあったりする。NHKオンデマンドのAmazon Prime版に入っているのでいつでも見られる。あまり集中して見ているわけでもなくて、料理や風呂、食事のときなどに漫然と見ている感じ。

アウトプットとインプットの割合

組織で働いているときに本質的にキツかったのが、アウトプット過剰になってインプットがほとんどできないことだった。会社員のときはアウトプット9割、インプット1割以下という感じ。しかもその9割のアウトプットも痩せ細ったものだった。

本質的にインプット大好きなので、インプットが最低7割はないと耐えられない。理想はインプット9割、アウトプット1割だ。ただ、それをやると経済的に崩壊する。

とはいえ最近はそういう感じでやっている。自分はまだまだ勉強不足だし、人生そのものを楽しみきれていない。なので、経済リスクはほぼ無視して「楽しい」にほとんど全振りするようにしてしまっている。

とはいえ高強度(high-intensity)なインプットも必要だ

個人的にきついと感じるのが、古典とされているけれど意外と読んでいない本を読むこと、あと映画を見ることだ。

現時点で最も自分にとって楽なのは、『ゲーム・オブ・スローンズ』を見ることである。これは1度通しで見ていて大筋は把握しているし、2周目だと細かなことに気づくし、物語として普通にめちゃくちゃ面白い。知っていても、先が気になるのでどんどん見てしまう。こないだ「そっか、タリー家とターリー家は違うのか! どうりでキャトリンはサムのこと1mmも気にかけないよなぁ〜!」という気づきを得た。最近はもろもろ終えた夜の時間に見るようにしているが、あっという間にシーズン6まで来てしまった。GOTおそるべし。

これは超低強度のインプット(?)の例だった。ただ好きなだけかもしれない。

とはいえ高強度(high-intensity)なインプットも必要である。最近は、他の多くの現代人と同じように、集中して本が読めない。

経験的に一番本が読めるのは通勤通学の電車の中で、次に寝る前のベッドの上である。しかし最近はほとんど電車に乗らない。乗るときはなにかしら読んでるけど。余談ながら、最近郊外に引っ越してよかったと思うのが、都心に移動するときに20〜30分程度、電車に乗っているのでその時間に読書できることである。都心に住んでいたときはほとんど自転車生活をしていたし、電車に乗るにしても乗っている時間が短かったので、本を読む機会は少なかった。だから読むにしても、だいたい家で寝っ転がりながら読んでいた。

本というのは、情報という意味ではもっとも優れたものだと思う。早送りや巻き戻しをするのにボタンは使わないし、机の上に出しておけば物理的な存在感があるのでつねにリマインドされる。読まないといけない本は机の上に出しておく。その他の今は読まなくてもいい本は本棚の中に片付ける。本を手に取るにはそうしておけばいい。

本を読むにはどうするか

かつて「本を読むには」というテーマをLIGブログに書いたことがある。

【読書が苦手な人へ】読書家っぽい雰囲気を醸し出す方法7選 | 株式会社LIG(リグ)

うんまあ、かなりアイロニカルだけど、初級者向けの「飛ばし読みのすすめ」だった。たしかこの記事は、WebディレクターのZIMAさんが「ケイ、俺さぁ、本読みたくても全然読めないんだよぉ〜」と情けないことを言ってきたことがきっかけになって書いた記憶がある。ZIMAさんはぐうの音も出ないほど聖人(いわゆる、ぐう聖)なので、勝手に名前を出したとしても怒らないだろう。

まあそれはさておき「名著」的なむずかしいやつを読むにはどうするか。名著系のものは、飛ばし読みしていくとわけがわからなくなるのが問題だ。現代の新書というのはつまみ読み対応可能なように執筆・編集されていて、それはそれで優れたものだが、議論の深まりというのは案外少ない。たとえば國分功一郎氏や千葉雅也氏の本は、読みやすいのだが、つまみ読みしているとわけがわからなくなる。これらは最初から最後まで読む必要があって、それはそれで新書などと違う意味で優れた本だとも思う。

さて、「名著」的な本を読むための案がいくつかあった。

まず「計画を立てる」。ほかの仕事やタスクと同様に、「この本はこの日に読む」という予定を立てて、スケジュールに書き込んでしまうのだ。しかし、この方法はこれまで試みてきたものの基本的に失敗している。なぜ失敗してしまうのかというと、必要以上に構えてしまうからだろう。「読もう」と思ったらすっと読み始めるのがよい。多分、興が乗らないことが問題だ。

なので、他の仕事やタスクと同様に「20分タイマー」で読み始める、のがいいかもしれない。とりあえずスマホでタイマーをセットして、20分他のことには気を散らせずに読む。直近で読みたい本に『乳と卵』『身体の文学史』『遊びと人間』『ホモ・ルーデンス』『スポーツと文明化』があるが、とりあえずこれらを20分ずつ読むようにしようと思う。

あとは読書においても「手を動かす」というのは案外大事な気がして、パソコンではなくノートに気づいたことをメモしていくというのもいいかもしれない。キーボードに文字を打ち込むというのは、身体的にはとても直線的な動きだ。しかし紙に書くというのはもうちょっと曲線的である。直線ではなく、曲線的な身体の動きのほうが状態がやわらかくなれるのではないかという気がする。

映画を見るにはどうするか

映画も、見たほうが良いけど興が乗らないということがある。これも20分タイマーでいいのではないか…?

本も映画も、興が乗らないと楽しめないが、興が乗ってくればリラックスして、漫然と、無意識で楽しめるようになっていくときもある。

壮大な内容になる気配だったこのブログ。しかし改めて書き出してみて、結局「興が乗らない」のが問題で、それなら20分タイマーでいいのではないか、という気になってきた。たぶん、「一日で一気に読もう」という完璧主義的・理想主義的な感じになってしまわないのがいいのかもな。

あとは、実は読書ブログを書こうかなというアイデアもあった。しかし「読書ブログを書こう」という試みには問題があって、それはすなわち「本を読了しなければならない」という、例の巨大なプレッシャーに立ち向かわなければいけないことを意味する。上でリンクを貼った僕の記事にはこうある。

最近は、2時間ほどで読み終えられるよう設計されたビジネス書が売れているようです。そういう本は、「本は読了しなければいけないものだ」という社会的な強迫観念の上にうまく乗っかることができているのですね。

【読書が苦手な人へ】読書家っぽい雰囲気を醸し出す方法7選 | 株式会社LIG(リグ)

NewsPicks本が売れていたことに対するアイロニーのようだ。

なので仮に読書ブログを書くにしても、「読了せずに途中までで区切ってとりあえず書いちゃう」というのがいいかもしれない。

(了)

編集者、ライター。1986年生まれ。2010年からカルチャー誌「PLANETS」編集部、2018年からは株式会社LIGで広報・コンテンツ制作を担当、2021年からフリーランス。現在は「Tarzan」(マガジンハウス)をはじめ、雑誌、Webメディア、企業、NPO等で、ライティング・編集・PR企画に携わっています。
mail: kei.nakano21■gmail.com(■を@に変えてください)
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