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テヘランで家を借りた話 | にどね研究所

テヘランで家を借りた話

人類学

 前回は寮生活の話をしましたが、今回は家を借りた話をしたいと思います。

 テヘランで家を借りていたのは約二年間で、二つの家を一年ずつ借りました。どちらもテヘランの中心部よりもやや南西にあるエリアで、一般にガルブ(西)と言われます。

(地図を見ればテヘランはさらに南西にも広がっているために厳密には南西ではないのかもしれませんが、「いわゆるテヘラン」の西ということでしょう。地方の人にとっての「東京」が東京都と等しいわけではないことに似てるかもしれません。「西東京市」みたいなものですかね。笑)

テヘランの地理

 一般に、エンゲラーブ広場を東西に走る通り(アーザーディー通り)よりも南は「南(ジョヌーブ)」と呼ばれています。テヘランは北に山があるのですが、都市自体も斜面になっています。北部の方が地価が高く、南に行くにつれて地価も下がり、また街の雰囲気もカジュアルになっていくということがあります。イランでは女性は外ではヒジャーブを付けなければなりませんが、髪の毛が外部からほとんど見えていて、スカーフを頭の上に乗せているだけというスタイルも散見されます。

ジェイ地区の位置。一般にエンゲラーブ広場あたりを基準に東西南北で呼ばれることが多い。

 その一方では、髪の毛をきちんと覆い隠したり、さらにはチャードルと呼ばれる黒い布で身体全体を覆う人もいます。チャードルを着る理由としてまず挙げられるのは宗教的な理由ということがありますが、それはさらに家族や旦那の方針、地域の目、人間関係、政治的思惑など様々な理由に分類できるでしょう。ともかく、雑感ですがテヘランにおいて、南の方に行けば行くほど、チャードルを着た女性を見る確率が高くなるように思います。

 私が生活することになった地区は、ジェイと呼ばれているところでした。エンゲラーブ広場からアーザーディータワがあるアーザーディ広場まで東西に横切るアーザーディー通りから南に行ったところで、大バーザールのすこし北にあるエマーム・ホメイニー広場と同じくらいの緯度のところです。

 この地区は小さな集合住宅など密集した住宅街で小さな通りには商店が立ち並んでいます。日本人はおろか、外国人を見かけることがないようなところです。街については、また別の機会に詳しく書きたいと思います。

最初に借りた家――クルド人の友人とルームシェア

 さて、このようなテヘランのカジュアルな住宅街になぜ住むことになったのかというと、同じテヘラン大学のキャンパスでイギリス政治の修士課程だった、クルド系のイラン人のSにルームシェアを持ちかけられたからでした。

 彼は、私のクラスメイトの数人とも仲が良くなっており、その関係で数回一緒に公園で話したりしたのでした。ちょうど9月の半ばで新学期が始まるという時でした。

 行ってみると住宅街の中にある二階建ての家の屋上にある小屋を貸しているという形態でした。小屋は六畳ほどで小さなキッチンとシャワーとトイレがあるだけでした。小屋の外にも、屋上の庭のように使えるスペースがありました。

 当時のルームメイトと別れるのは少しつらかったのですが、寮の生活に少し不満を感じていた私はルームシェアすることを即決したのでした。イランにおいて、家を借りるときには通常、前金と毎月払う家賃があります。一年単位で契約するのですが、この家の場合には当時の金額を日本円に直すと、前金が約10万円、毎月の家賃が約1万円という感じでした。彼が前金を払っていたので、当初は家賃の内の8割くらいを私が払うということで合意しました。

コルディスターン州サナンダージ出身のS。タバコ中毒者でした。

 

小屋の前のスペース。バーベルは私が寮生活時代に買ったもの。大家さんもダンベルを並べてくれました。

 Sは私より一歳年下でしたが、テヘラン大の修士課程としては一学年上でした。この地区に家を借りたのも、ちょうど労働者のスポーツ組合の英語の通訳者として雇用されたからなのでした。

 彼は国際政治に詳しく、特にクルドの視点からみたイランを取り巻く国際情勢についていろいろと教えてくれました。また彼はスンナ派ムスリムなのですが、信仰は薄く、礼拝も断食もしていませんでした。また、比較的ものを散らかしておく私とは違って、すぐに整頓するタイプでした。そこで、料理は主に私が作り、掃除や整頓はSがやるといった分業も生じました。

 Sとの生活が半年ほどたった時、彼は職場の地下にある宿泊施設で生活することになりました。そこで、前金も全部私が買い取って、全て1人で賄うことになりました。一度ルームシェアに慣れてしまうと、夜には話し相手がいないのが少し寂しいものです。そこで、以前の寮で一緒だったアフガニスタン人の友人やSや、そのほかの友人を頻繁に家に招いて一緒に食事をとったりしました。また、これはいずれ詳しく書きますが、カウチサーフィンというSNSで旅行者を家に泊めたりもしました。

さらに次の新居へ引っ越し

家具を全部持って行った後の小屋。なんとも殺風景でした。

 この家に来てから一年たったのち、家の契約が切れる日がきました。

 大家は小屋を自分用に使いたいらしく、新しく家を探す必要が出てきました。Sに相談すると、Sの知り合いにあたってくれて、同じ地区の大きな道一本挟んだ反対側の4階建ての4回に住むクルド人の青年が、ちょうど家を引き払うところであることがわかりました。そこで彼とも話をし、そこに引っ越すことになりました。新しい家は、前金が以前の二倍の約20万円で家賃は月に約1万2000円でした。

引っ越しの様子。ピックアップトラックを借りて家財をすべて載せました。。

 新居に引っ越すときにはイラン人の友人の一人に手伝ってもらいました。ピックアップトラックを借り、家具を小屋からすべて出し、トラックの荷台に積みました。

 一つの問題は引っ越し先が4階ということでした。

 そこで、荷物を運ぶ労働者を雇うことになりました。住んでいた家の大家に相談するとすぐに手配してくれることになりました。日銭を稼ぐ労働者がすぐ近所にいたわけです。彼らはアフガニスタン人移民であったり、クルド人だったりします。今回の引っ越しで来てくれたのはクルド人でした。

 彼らは、冷蔵庫もロープをかけて一人で担ぎ上げて4階の部屋まで運びました。私は某引っ越し屋でバイトをしたことがあるのでよくわかりますが、冷蔵庫を一人で運ぶのはスゴイことです。

 クルド人の居住地域は開発が遅れており、ペルシャ語が母語のファールスィやトルコ系のアーザリーといった民族に比べると貧しいです。そこで、こうして都会に出て肉体労働に従事したり、なかには――「クールバル」と呼ばれるのですが――イラクのクルディスタンから大型家電などを、山を越え、危険を冒しながら密輸入したりしている人々もいます。また、テヘランで野菜や果物を販売しているのもクルド人であることが多いです。

イランのメディアに取り上げられた、雪山を超えて密輸するクールバルの人々。記事では命の危険があるにも関わらずクールバルにならざるを得ない事情や斡旋する仕組みが紹介されています。また、政府もなんとかやめさせようとしていることが言及されています。一般に、クルド人以外からクールバルに対する目は冷たいです。引用元:https://www.ilna.news/fa/tiny/news-865421

新しい生活

 そんなこんなで、新しい住居に暮らすことになりました。引っ越し先の家は以前の家から大通りを一本超えたところで、直線距離にして100メートルほどだったのですが、私の行動範囲が大きく変わりました。

 まず、通う商店も別の通りになりました。そして、清潔でいい肉を取り揃えている肉屋や、ペルシャ湾から空輸で届く魚を販売している店を見つけました。また以前は一部屋でしたが、新しい家は二部屋になりました。そして以前の家ではシャワーも最大水量が少ないという問題があったのですが、新しい家では存分に浴びることができるようになったのです。

 最初の家や新しい家では、イラン人家庭が普通に行っているようにSや他のイラン人の友人の指導を受けながらキャバーブを定期的につくって皆で食べていました。

 というわけで、次回はキャバーブ道について書いていきたいと思います。

谷憲一のプロフィール

2022年に一橋大学より博士(社会学)。日本とイランを往復しながら人類学の研究に勤しんでいたが、このたび英国オックスフォードに滞在。趣味は料理と筋トレ。
単著☞『服従と反抗のアーシューラー』(近刊)
研究業績 ☞researchmap

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