イランでのキャンパスライフ

人類学徒のテヘラン修行日記

 今回は、テヘラン大学での学生生活について書いていきたいと思います。

 テヘラン大学はテヘランの真ん中とも言える、エンゲラーブ(革命)広場のそばに本キャンパスがあります。ここは神田神保町のような本屋街でもあります。私が所属していたのは世界研究学部という比較的新しくできたところで、本キャンパスから三キロほど北上したところにありました。

 このキャンパスには外国語・外国文学部が併設していて、この学部には日本語学科があり、ほぼ毎年、ここを卒業したイラン人の学生が日本に国費留学生として来ています。

世界研究科があるアミール・アーバードのキャンパス

 私が入学した修士課程のプログラムは、非イラン人向けに作られたプログラムでした。

 一年目の第一学期、第二学期には英語で授業を行って、また同時に、ペルシア語の授業も別枠で行っていきます。

 そして、二年目の第三学期にはペルシャ語で授業を行い、第四期以降に英語とペルシャ語どちらでも修士論文を書いて出してよいというものでした。

 私自身はなるべく長く滞在したいということもあり、半期延長して第五期の終わりにペルシャ語で修士論文を書きあげて修了しました。この大学での留学の体験は、いろいろと興味深いものでした。

イランの中で非イラン人のクラスメイト

 クラスメイトの出身国はさまざまでした。多い順に並べると、フランス人3名、英国人2名(1人はサウジアラビア国籍も持っていました)、オーストラリア人2名、レバノン2名、中国、トルコ、シリア、ドイツ、スロバキア、エジプト、ハンガリー、オランダそして私の日本です。このうち、そもそも短期の単位交換プログラムとして来ていた人や、イランでの生活になじめずに中退した人もいました。

 全体として女性が多く、年齢も学部を卒業してそのまま来た人もいれば、仕事を何年かしてから来ている人もいました。

 ペルシャ語に関しては、入学前から語学学校や母国である程度やってそれなりに話せるという人が数人いましたが、残りはほとんど初めてペルシャ語に触れたという感じで、イランにも今回初めて来たという人も多くいました。

クラスメイトたちと撮った記念写真です。

 そんななかで、私が直面した困難は英語の問題でした。日本の大学院で鍛えたため、読み書きはそこそこでき、また、聞くのもなんとか理解はできるという感じでしたが、話すことがほとんどできませんでした。特に、1対1であれば、相手も合わせてくれることもありますが、3人以上が集まったときにどうしても会話に加わることができませんでした。

 そういうこともあり、特に第一学期は、2人だけいたペルシャ語を話せるクラスメイトとばかり話していました。それでも第三学期くらいになると皆それなりにペルシャ語を話せるようになったのでクラスメイトとそこそこコミュニケーションが取れるようになりました。

 そのうち何人かはホームパーティーをしたり、一緒に国内旅行をしたりしましたし、今でもたまに連絡をとるような仲です。

 

 興味深いのは、いろいろな国から来ていていろいろな文化の違いもあるにはあっても、それでもそれなりに教育を受けているがゆえの共通点もあった、ということでしょうか。

 その点、街のそのへんで出会ったイラン人に異文化を感じることのほうがありましたし、なんならその距離感は今同じ日本に住む日本人でも、普段の生活でまったく交わることのない人々についても、当てはまるのかもしれません。

一年目は英語がキツかった……

 当初、修士課程は滞在の口実で、大学に籍を置きながら自由に動き回ってイラン社会のフィールドワークに勤しもう……という考えもあったのですが、授業が始まってみるとそうもいかないことがわかりました。

 というのも、特に第一学期にはカリキュラムが週六日でみっちりと埋まっていたらです。英語で行われるイランについての授業が5コマあるのに加え、それ以外の所にペルシャ語の授業が埋め込まれていました。なので、課題や予習をこなすのもきつく、それ以外のことをする余裕もありませんでした。

 授業は基本的に海外で学位を取ったイラン人の教員が行っていました。ゆっくり話すので私にとってはありがたかったですが、逆に英語がネイティブの学生にとっては、少しかったるかったのではないかなぁ、と思うような場面もありました。

 授業では「個人やグループで調べて発表する」という課題もあり大変ではありました。けれども、その数年後に私は日本の大学の国際科の授業のゲストスピーカーとして英語で授業を行っており、それを考えると、英語で発表する練習ができたというのは、今思えばいい経験でした。

 ちなみに、二年目からは授業がペルシャ語で行われるようになりましたが、そうすると今度はイランに来てからペルシャ語を始めた人たちが授業についていくのが大変そうでした。

遠足の思い出

 この修士課程のコースでは授業の他に、テヘランの博物館や国立図書館を訪れたり、非常に安価な値段で他の都市に皆で旅行に行くという機会もありました。

 旅行では、イランの南にあって、ペルセポリスという古い遺跡のあるシーラーズと、ペルシャ湾にある島で経済特区になっているキーシュ島というリゾートの島を訪れました。

 

ペルセポリスの丘の上で記念写真。

 キーシュ島は、車に関税がかからないために外車もたくさん走っていたり、運転の秩序が守られていたりと、イランでありながらイランっぽくないところです。大型ショッピングモールもあり、一緒に来ていた教員の奥さんが衣類の買い物に必死になっていたのが印象的でした。

キーシュ島のビーチ(男性用)

 キーシュ島は男女別のビーチがあって、外部から見えないようになっている女性ゾーンではイランの女性がビキニ姿でいるらしいです。まった、音楽のライブ演奏が行われるレストランもあり、本土とは異なる自由な雰囲気が味わえる場所でもあります。

キーシュ島のレストラン

 この旅行では、企画者であるはずの教員が一番時間にルーズであるという、イラン人らしさ(?)も垣間見えたのでした。

 次回は、寮生活について書きたいと思います。

谷 憲一

一橋大学大学院博士後期課程。W修士(一橋大、テヘラン大)。日本とイランを往復しながら人類学の研究に勤しんでいる。趣味は料理と筋トレ。
研究業績(researchmap) ☞https://researchmap.jp/tkstpauli

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