先日同僚と話していて、「うんうん、そうだよな!」と思うことがあったので、あとで会社のブログに書くかもしれないが、ちょっとこっちでもあらかじめ書いておきたい。
前提として僕、これまで会社の編集職の募集要項書いたり、面接出たりしてきたんですよね。
で、募集要項には「日常的にブログを書いていたりと、アウトプットの習慣があるとよりよいでしょう」って書いてるし、面接時に「ブログとか書いたりしてます?」ってことも聞いたりするんですね。
で、じゃあお前はどうなんだ
と、言われると、たぶん個人ブログは、うちの会社の人のなかでは「書いてるほう」に分類されるだろうけど、それでもせいぜい1ヶ月に1本書けばいいほう。
それ以前はどうだったか、前の会社のときは、なんかいろいろムカつくことがあって負の感情が抑えられなくてブログ書く、みたいなことだったんですね。「情報発信のクセをつけよう!」「アウトプットしよう!」みたいな前向きな感情ではぜんぜんなかったわけです。
まああとは、出版業界の編集・ライターでブログ書いてる人あんまり見なかったってのもあります。はたから見てて「せっかくいろんなインプットして面白いこと考えてるのに、『原稿料もらえないことはやらない』なんてもったいねーな」って思ってたわけです。
そんなかでも、これまで何度かお仕事ご一緒した音楽ライター・編集者の柴那典さんは、よくブログ書いてバズったりしてて、それが今の柴さんの著述活動にもつながってると思ったので、「これいいな」と思ったりした、というのはあります。
とはいえ今、自分がいるWeb業界みたいに「アウトプットは善」みたいなポジティブな気持ちはほぼありませんでした。
アウトプットバカよりも、インプットバカ
で、こないだTwitterにこんなことを書いたんですね。
きのう同僚の編集者と話してて改めて思ったこと。編集やライターの仕事において
・アウトプットバカ
・インプットバカ
どっちもだめなんだけど、もしその両極端の人がいるとして、どっちが可能性があるかって、絶対にインプットバカのほうなんだ。— 中野 慧 (ケイ) (@yutorination) 2019年4月11日
僕も面接とかで「ブログを書いたりとかアウトプットする習慣あります?」みたいなこと聞くけど、それはただのスクリーニングでしかなく、本来であれば1mmもアウトプットしてなくても、死ぬほどインプットしてたらそれでOK。
— 中野 慧 (ケイ) (@yutorination) 2019年4月11日
あまりにもインプットしすぎて一流のものに触れすぎて、アウトプットなんて恥ずかしくてできないと思ってる奴が頑張ってアウトプットしたらいいものになる。逆にアウトプットしかしてない奴は、自分のレベルの低さにいつまで経っても気づかないからその意味でポテンシャルはないのだ。
— 中野 慧 (ケイ) (@yutorination) 2019年4月11日
このツイートでどんな状況を想定してたかっていうと、Webコンテンツ業界で仕事をしてみて、「この世界にはアウトプットバカが多すぎる」ということだったのでした。(「言葉が悪い」とか言われるかもしれないのですが、この言葉が一番ハマるのでこれでいきたい)
まずね、とにかくWeb系は編集者やライターを名乗っているくせに、とにかく本を読んでいない。なんなら、ググればなんでも解決すると思っている。
で、そもそもの前提として、これは当然なんだけど、今まだWeb上にアーカイブされていない情報っていっぱいあるんですよ。でも彼らにとってはWeb上の世界がすべてだから、そのことにすらちゃんと気づいていない。
たとえるなら、食べログやホットペッパーグルメに載ってない美味しい飲食店なんて山程あるわけです。そういう「Web上にまだない情報」をWebにどんどん放流していくってのが、過渡期のいま、凡人のコンテンツクリエイターが取り組むべきことなわけで。
で、本読んでてもせいぜい、そのへんのよくわかんない流行ってるビジネス書とか、NewsPicksうんたらとかそういう、2〜3時間で読み終わって頭よくなった気になれて、二度と読み返さないような本ぐらいしか読んでない。
そんな「役に立つ」とか「生き残り」とか、クソつまんねーことばっか考えてインプットしてるだけで、面白いコンテンツが作れるわけねぇじゃん……と思うんですよね。そもそも他人がやってることと同じことやってたら差別化なんて簡単じゃないわけで。
ロールモデルなんていません問題
あと、これは「そういうもんなのかな……?」とあまり自信なかったんですが、Web系の編集・ライター志望者に「なんか目指してる人とか憧れの人とかいるの?」って聞くと、特にいないか、それかそのへんのよくわかんないインフルエンサーとかの名前が出てくるんですよね。
俺は、「林真理子を倒したい!!!」とか「よしもとばななを超えたい!!!!」とかそういうアホなスケールの話が聞きてぇんだよ!!!!!!
まあインフルエンサーとかが身近で憧れる気持ちもわかるけど、彼ら彼女らはうまくタイミングに乗って離陸できたとかも大きい、つまり偶然性とかがけっこう大きい(もちろんそういうのを「セレンディピティ」とか言うのも知ってますけど)わけで、そういうのに憧れるのって、なんか「宝くじを当ててラクしたい」みたいな話に聞こえちゃう。
(あと、インフルエンサーの人って単価高いけど締切守れなかったりとか基本的なビジネススキルめちゃ低な人もけっこういるし、別にそういうところは目指すべきでもなんでもないだろってのもあるし)
もっと地道に目の前のことに取り組んで、雑魚いタスクからどんどん倒して、それを積み重ねてフリーザ様に挑めるようになるとか、そういうのもカッコいいと思うんですけどねぇ。「俺が古いのかなぁ」と思ってあんまり言わなかったけど、ここ1年、Web業界で頑張ってるデザイナーとかエンジニアの人とかと話してて、自分の感覚ってそんなに間違ってない気がしてきたのです。
ツイートにも書いたのですが、死ぬほどインプットしてて、一流のものに触れすぎて、それゆえにアウトプットなんて恥ずかしくてできないやつが、がんばってアウトプットするときにすげーいいものになるってのはけっこう真理だと思うんですね。
屈託、というかなんというか、そういうのが必要で、そうでなかったら単にレベルの低いものを垂れ流すだけになっちゃう。
まあブログもSNSもやらないよりはやってたほうがいいし、むしろそれってWebコンテンツの世界で働くのであれば「やってないのってちょっと意識低くない?」というか、「自分でやってないと仕事でそういうのの企画運営とか監修ってできないんじゃないの?」と言われたら何も返せないわけですけど。
で、結論としてはこういう感じです。
一流のものに触れて、それに感染して自分もやりたい!できるようになりたい!って思うような根源的なモチベーション、自分以外の誰かへの「憧れ」の気持ちが、この仕事には必要なのです、という話でした。
— 中野 慧 (ケイ) (@yutorination) 2019年4月11日
もっと憧れていこうぜ、そのために一流のものをどんどん知ろうぜと、少なくとも僕は思っております。
(了)
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