Notice: Function _load_textdomain_just_in_time was called incorrectly. Translation loading for the wordpress-popular-posts domain was triggered too early. This is usually an indicator for some code in the plugin or theme running too early. Translations should be loaded at the init action or later. Please see Debugging in WordPress for more information. (This message was added in version 6.7.0.) in /home/yutoriotsu/www/wp2/wp-includes/functions.php on line 6114

Notice: 関数 _load_textdomain_just_in_time が誤って呼び出されました。cocoon ドメインの翻訳の読み込みが早すぎました。これは通常、プラグインまたはテーマの一部のコードが早すぎるタイミングで実行されていることを示しています。翻訳は init アクション以降で読み込む必要があります。 詳しくは WordPress のデバッグをご覧ください。 (このメッセージはバージョン 6.7.0 で追加されました) in /home/yutoriotsu/www/wp2/wp-includes/functions.php on line 6114
新海誠とノーラン作品に関するメモ | にどね研究所

新海誠とノーラン作品に関するメモ

映画

三宅香帆さんが「新海誠作品が好きな元彼がいるという文化系女子が非常に多い」という話を(これは前から)していて、Xを見ていて改めて目に止まったので考えたことを書いておく(と、いうか、これに目を取られてしまい無駄に考えて時間を使ってしまっているので、考えるのをやめるためにも書いておく)。

まずこんなことを思う。

「ギャルに好かれるオタクっぽい男子」はここ数年のオタク男性向けコンテンツでは流行りで、一般に幻想のように思われているが、自分が現実に見た光景としては普通に存在し、なんならほのぼのとした日常の一部であった。

一方、自分に文化系女子の友人知人が少ないからなのか、「新海誠好きの元彼がいる文化系女子が多い」という話はピンと来ない(もちろん本当に多いのはそうなのだと思うが)。なぜなら、以下のような認識が少なくとも2010年代前半頃には自分の周囲で確立されていたからである。

『秒速5センチメートル』の公開は2007年で、当時自分は大学生だったがそれなりに話題になっていた。と、いうか、よく考えると新海誠の事実上の処女作である『ほしのこえ』も、自分が在学していた高校(男子校)で人気があったように思う。男子校内では、『新世紀エヴァンゲリオン』の人気の延長線上に『最終兵器彼女』(通称サイカノ)や『ほしのこえ』があった。いわゆるセカイ系というやつである。

セカイ系批評といえば『ゼロ年代の想像力』(ゼロ想)である。2008年出版のこの本で、著者の宇野さんは徹底的にセカイ系の物語構造を批判、病弱な少女を所有する「弱めの肉食系」という男性性が身も蓋もなく概念化された。また、2014年連載開始の東村アキコの漫画『東京タラレバ娘』では「ダークナイトをやたら語りたがる男」という概念が登場、ふたたびこうした文化系男性に対して容赦のない批判の刃が向けられた。

超絶ざっくりまとめると、クリストファー・ノーランも新海誠もほぼ同じような作家である。文化系っぽい衣をまとい、繊細っぽそうな雰囲気を演出しながら、実はめちゃくちゃマッチョで支配欲の強い男性ファンを惹きつけるという点で。ノーランを語りたがる男、新海誠を語りたがる男、これは文化系男性のある種のクリシェであり、多少なりとも文化的リテラシーのある男性であれば「そうは見られたくない」という自意識が働いていたのが、2010年代半ばという時代であった。

並べると怒られるかもしれないが、ゼロ想とタラレバ娘により、「新海誠好き」「ノーラン好き」を公言する男性はほぼ壊滅へと追いやられたーー自分はそういう認識である。それはあなたが評論界隈にいたからでしょ、と言われればそれまでなのだが、とはいえ新海誠作品、たとえば『秒速5センチメートル』を5秒ほど見れば、「あ、これヤバイやつだ」ということがわかるはずだと思ってしまう(と、いうか、いまU-NEXTで見返してみて開始5秒で見事に地雷感が表現されていて逆に感心してしまった)。

不思議なのは、「新海誠好き男性」はすでに2010年代半ばにクリシェと化していたはずなのに、なぜ女性たちのあいだで地雷認定されていなかったのか、ということだ。もっと言ってしまえば、「新海誠好き」という男性を地雷認定するのには0.1秒しかかからないというのが自分の認識であり、その認定に時間がかかりすぎではないか? と思ってしまう。同じように、女性差別的な構造が問題となる村上春樹作品を好む女性読者が少なくないことも気になる。このあたりはどういう力学が働いてそうなっているのかサッパリわからないので誰かに解説してほしい。

なお自分はノーラン作品も新海誠作品もほぼ全作観ている。たしかに面白い作品はあると思う。ノーランなら『ダークナイト』は当然名作なのだが、『プレステージ』の底意地の悪さが特に素晴らしい。ただ『インターステラー』以降はあんまりピンと来ず、『ダンケルク』は体験映画として割り切りすぎ、『テネット』は駄作だと思う。『インセプション』はシナリオはどうかと思うが、役者が生き生きしていて好き(ディカプリオ、エリオット(旧エレン)・ペイジ、ジョセフ・ゴードン・レヴィット)。

新海誠は、初期の『ほしのこえ』『秒速5センチメートル』は気持ち悪いが美しい、という妙な感想を抱く。『彼女と彼女の猫』もかなり気持ち悪い怪作であり、観たときには小品にもかかわらず戦慄した。気持ち悪さという点では『言の葉の庭』が最高である。以降は、『君の名は。』はラストで「その後」を描き切るのはやっちゃ駄目だけどエンタメとしては良かったと思うし、『天気の子』では「セカイ系で何が悪い!」と開き直るのも面白かった。『すずめの戸締まり』は駄作である。

自分にとってはノーランも新海誠も「気持ち悪い」「だがそれがいい」という評価であり、ストレートに評価するものではない、あまつさえ女子の前でそれを公言するのはどうかと思う。一言で言えばフェティシズムと男性向けポルノグラフィの一種であると思うからである。

(追記)

以上を書いてから思ったこと。新海誠好きを女性の前で公言するというのは、すなわちゼロ想という基本文献を読んでいないということだから、それは文化系男子などというものではなく、ただのアホではないだろうか?

「ただのアホ」というと罵倒語のようだが、他に表現のしようがない。したがって、「ただのアホ」という結論でよいと思う。

コメント

タイトルとURLをコピーしました