IT Mediaでこんな記事が出ていた。
「なぜ私たちはいつも締め切りに追われるのか」──東大松尾教授が2006年に出した論文が話題
この話題について自分のなかで少し整理する必要を感じたので、ちょっと書き出してみたい。
中島聡氏の提唱する「ロケットスタート」
この種の話題で自分が思い出したのが、中島聡氏の著書『なぜ、あなたの仕事は終わらないのか スピードは最強の武器である』(文響社)である。この本の中で、中島氏は「ロケットスタート」を推奨している。
「締め切りに迫られていないと頑張れない」のは多くの人々に共通する弱さですが、先に述べたように、仕事が終わらなくなる原因の9割は、締め切り間際の「ラストスパート」が原因です。
ですから、10日でやるべきタスクだったら、その2割の2日間で8割終わらせるつもりで、プロジェクトの当初からロケットスタートをかけなければなりません。初期段階でのミスならば簡単に取り戻せますし、リカバリーの期間を十分に持つことができます。
とにかくこの時期に集中して仕事をして、可能な限りのリスクを排除します。考えてから手を動かすのではなく、手を動かしながら考えてください。崖から飛び降りながら飛行機を組み立てるのです。
中島聡『なぜ、あなたの仕事は終わらないのか スピードは最強の武器である』文響社
「ラストスパートではなくロケットスタートが重要」……これは読んだ記憶があるが、今でもなかなか実行できていない。
「早めにやっておけばよかった」ではなく「もっと集中すべき」
そこで、IT Mediaで紹介されていた松尾豊氏の論文「なぜ私たちはいつも締め切りに追われるのか」を読んでみよう。この論文はのっけから文体がユーモラスで、実際に学術的なものなのかどうかはよくわからないが。
自分の課題は、着手が遅いことであった。最近は「とりあえず着手」を心がけていて、文字起こしだけはけっこう早めにやってしまう。ライターの仕事としては、取材後に文字起こしをして、それをもとに原稿を作っていく(これを構成という)のだ。自分の場合、文字起こしはできても、構成の着手がやや遅い。
松尾氏も論文のなかでこのように言っている(ネルー値とは、n日寝てしまっても締め切り等に影響がない状態がnネルーであり、今日締め切りの仕事をまだ達成していない状態は0ネルーである、とのこと)。
ネルー値を上げると、結局、タスク処理のパフォーマンスが低下して、再びネルー値が低い状態に戻る。高いネルー値を維持することの有効性は、ネルー値の如何に関わらず、パフォーマンスは一定であるという前提に基づくものであったが、この前提が成り立っていないようである。結果として、ネルー値が低い状態で平衡してしまう。これを解決しない限り、我々は締め切りに追われることから逃れられない。もちろん、人は怠け者だから追い込まれないとやらないというのもあるだろうが、事務系の人に比べて特に締め切りに追われる我々はいったい何なのだろうか?
松尾豊「なぜ私たちはいつも締め切りに追われるのか」
さらに松尾氏はこうも指摘する。
研究者は、やらなくてはと思っているタスクの締め切りが迫ってきて、あーもう間に合わないかもしれないと思いながら、頑張ってなんとか間に合うという経験をすることも多いだろう。これは、このモデルによれば、時間がなくなる→集中力を上げる→仕事の効率が意外に上がるというプロセスによって成り立っているわけである。そして、それは、研究(執筆やアイディア出し)というタスクの性質に依存している。もし集中力を上げても仕事の効率があまり上がらないようなタスクであれば、間に合わないものはどうあがいても間に合わないわけであるから、我々は「計画をたてて余裕をもってやる」というのを学習するしかないはずである。研究者がこれを学習できないのは、それで何とかなるから学習する必要がないのである。
松尾豊「なぜ私たちはいつも締め切りに追われるのか」
たしかに締め切り直前になって火事場の馬鹿力、超サイヤ人的な集中力が生まれて何とかなってしまう、ということはあった。自分の場合はそれでも後ろにズレてしまうことが多いのだが……。
しかし、忘れてはならないのは、創造的な仕事は、集中しなければ進まないことである。集中力は多くの場合、時間の制約がなければ上げにくいものであって、締め切りはそれに寄与しているから、我々はいわば締め切りのおかげでパフォーマンスを出せるわけである。しかし、締め切りの直前にやることが重要なのではなく、集中力を上げることが重要であると理解する必要がある。反省すべきは「早めにやっておけば良かった」ではなく、「もっと集中すべきだった」である。追い込まれなくても集中力を上げるために自分なりの方策を編み出していくことは、研究者が健康で文化的な最低限度の生活[日本国憲法]を送る上で、欠くことのできないスキルではないだろうか。
松尾豊「なぜ私たちはいつも締め切りに追われるのか」、太字引用者
つまり、「もっと早めに計画的にやっておこう」では足りない。計画的に早めに着手した上で、その時間でダラダラとやるのではなく「もっと集中すべき」ということらしい。
根性論は重要?
中島氏の本にも、実は似たようなことが書いてある。
プロジェクトに関わる人全員が自分に割り当てられたタスクは「必ず期日以内に仕上げる」という強い意志を持って仕事にのぞむことが必要です。スケジュールの立て方・仕事の進め方の段階から、締め切りを守ることの大切さをきちんと認識すれば、何があっても常に締め切りを守り続けることは十分に可能なのです。
中島聡『なぜ、あなたの仕事は終わらないのか スピードは最強の武器である』文響社、太字引用者
ここではサラッと「強い意志」という言葉が書かれている。実は中島氏の本を最初に読んだとき、なるほどとは思ったものの「根性論っぽいな」と思ってしまいちょっとピンと来なかった。自分の場合、約10年にわたる野球部生活で「体育会系」的な根性論を本能的な部分で拒否してしまう部分がある。
(余談)「体育会系」出身者には、根性論アレルギーが非常に強い人が(自分のように)ときどきいる。だから、非体育会系の人が、「体育会系」出身者に対して「この人は根性論だろうな」という予断を持って接するのは危険である。非体育会系の人は「自分はリベラルである」という自意識を持つ傾向にあるが、そういうコミュニケーションをしていると「体育会系」出身者からは知らず知らずのうちに「この人は自分のことをリベラルだと自認しているけれどそれは口だけで、実は個々人を見ずにラベルで判断する差別的な人なんだ」と思われているかもしれない。
これは先日公開された、ライターの稲田豊史さんの文章にも似たニュアンスのことが書いてあった。この連載は「文化系男子が親になる」ということが主題なのだが、書籍編集者の男性の話としてこんなことが書かれている。
困ったのは嫁が勤務先からLINEで僕に、頻繁に家事の指示を飛ばしてくることでした。お昼にスーパーに行ってこれとこれとを買っといてほしい、15時になったから洗濯物を取り込んでたたんでおいてくれ、といったような。
でも、こっちは一日にいくつものオンライン会議があるし、その合間にゲラを読んだり、企画書を書いたりもしています。それがぶつ切りになることによって、まとまって何かに没入できる時間がほぼなくなりました。これが、ものすごくつらいんです。
こういう話をすると、洗濯物を取り込んでたたむなんて15分もかからないんだから、大して仕事を侵食してないだろう、会議や作業はその前後にスケジュールしとけばいいじゃないか、っていう人がいるじゃないですか。全然、わかってませんよね。嫁もわかっていませんでした。
インプットにしろ思考にしろ、没入状態というのは一度途切れると、すぐには元の「場所」に戻れません。この仕事は没入が本当に大事なんです。本の企画や売り方を考えるにしろ、原稿を精読するにしろ、没入が仕事の質を担保します。
没入というのは、ひとつづきのまとまった時間が確保できなければできません。細切れの15分、30分が一日のうちに何回あったところで、意味がないんです。
2時間なり3時間なり、途切れなく思考しつづける、没入することによって、初めて到達できるものがある。得られるひらめきがある。実際、僕はそうやっていい企画を立ててきました。
妻子と別居した40代男性「ぼくにとって、子育てはハンデだ」仕事で“戦えなくなった”日々のこと【Case#01 栗田将/前編】
うーむ。これ自体が非常に興味深い話題であり、このあとに出てくる「文化系男子=個人戦」という視点も面白い。言われてみればたしかにそうかもしれないし、自分の経験との違いを言うと体育会系はチーム戦なので楽な部分はある。
話を戻すと、要するに中島氏のようなプログラミングの仕事も、書籍編集者氏のような文化系の仕事も、結局「強い意志」「集中力」=つまり「根性」的なるものが必要、ということなのではないか?
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