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“暴力の周期”、あるいはスポーツマンシップとはなにか――エリアス『スポーツと文明化』を読み解く(1) | にどね研究所

“暴力の周期”、あるいはスポーツマンシップとはなにか――エリアス『スポーツと文明化』を読み解く(1)

カルチャー

さて、前の記事で予告していた読書ブログ、一発目はノルベルト・エリアス、エリック・ダニング『スポーツと文明化: 興奮の探求』(大平章訳)法政大学出版局、1995年(Norbert Elias, Eric Dunning 1986 QUEST FOR EXCITEMENT, Blackwell Pub)である。

原著の正式タイトルはQUEST FOR EXCITEMENT: Sport and Leisure in the Civilizing Processである。よりニュアンスを汲み取って日本語にするなら、『エキサイトメントをめぐる冒険の旅――「文明化の過程」のなかのスポーツと余暇』といったところだろうか。

エリアスは1897年にドイツ東部、現在のポーランド領ヴロツワフのユダヤ人家庭に生まれた。戦前はドイツで社会学の研究をしていたが、ナチスの迫害を逃れてイギリスに亡命、レスター大学などで教えた。イギリス時代の教え子にアンソニー・ギデンズがいる。

社会学の分野ではウェーバー、マルクス、フーコーは現代でもしばしば参照されるが、エリアスの主著『文明化の過程』もそれらの学者の著作と同じくらいには重要な研究だといわれる。

エリアスはしばしば現代のスポーツ社会学者たちから参照されるが、エリアス自身はスポーツ社会学者というよりも「社会学者・哲学者」だったと思われる。というのも、彼の『文明化の過程』は、スポーツが主題ではなく「礼儀作法や慣習の変化」が照準されているからである。

これは一般的な定義のイメージとずれるかもしれないが、スポーツにかぎらず「文化に親しむ」というのは、実は礼儀作法や慣習に合わせるということでもある。そういった「行為」のレベルで文化を捉えるというのは、なかなか面白い視点だと思う。おそらくゴフマンの議論とも影響関係にあるはずだが、エリアスの場合はより文明史的なアプローチである。

一般に文化研究は、内在批評(作品そのもの構造や技巧に着目して読解をすること)、または外在批評(作品の置かれた社会環境に着目しながら読解すること)、そのどちらか、ないしは合わせ技で行われる。そういった分析は非常に「静的(static)」なものである。一方で文化現象は「動的(dynamic)」なものであるので、行為のレベルで考えるという、いわば人類学的な視点も必要である。しかしそのような問題意識は、これまでの批評の秩序のなかであまり注意を払われてこなかった。

今回取り上げる『スポーツと文明化』は、彼の主著『文明化の過程』のやや派生的な作品で、要はスポーツに関する論文を集めたものだ。エリアスと弟子のダニングの共著というかたちになっている。さっそく本文から適宜引用しつつ、読み解いていきたい。

社会学者であるエリアスは、なぜスポーツに着目したのか

エリアスは独特のやり方で「スポーツ」に着目する意義について論じている。

20世紀の間に「スポーツ」と呼ばれる高度に規制された形式で人々が競って肉体を行使することが国家間の非暴力的、非軍事的な競争形態の象徴的な現れとして機能を果たすようになったという事実があるからといって、スポーツがまず第一に、競争者に重傷を負わせるような暴力行為をできるだけ排除する人間の競争的努力であったし、依然としてそうであるということを我々は忘れていいわけではない。スポーツにおける国家間の競争の自己増大する圧力のために、競技に参加する選手が無理な努力やステロイドの使用によって自分自身に害を及ぼすように仕向けられるということが現段階の特徴的な展開である。それは、国家の地位の象徴としてスポーツにおける業績の重要性が増大していることを暗示している。

ノルベルト・エリアス「序論」『スポーツと文明化』 33ページ

エリアスはスポーツを、暴力との関係で捉えている。それはなにも、スポーツの現場で行われる体罰のような具体的暴力のことを示しているわけではない。ここでは、人類史における暴力をめぐる発展過程のなかで、ある種、副次的なものとしてスポーツが生まれてきたという理解が示されている。

「政治とスポーツは別」と言われるが、民主政治の発達と同時期にスポーツが生まれてきたという点は見逃せない。政治というのは人類史の大半の期間・場所において、暴力によっておこなわれてきた。今、西側の民主主義国家でふつう政治に暴力は直接的には用いられていないように見えるが、それは人類史的にみれば例外的な事象である。

政治とは、本来的には紛争の調停である。あるテリトリーのなかで二者間の利害が対立した場合、調停をおこなう役割を果たす機関、それが国家である。そして対立した者たちに言うことを聞かせるための強制力として、警察力や軍事力などの暴力装置が国家によって独占されていくようになった(いわゆる「暴力の独占」)。そのようにして近代国家というものは成立してきたのだ。そして国家間の対立というのは、暴力によって解決されるケースが多かった。

しかし、人類史のなかで暴力に対する感受性が増大してきたこと――暴力が野蛮なものだと認識すること、さらには何を野蛮な行為と見なすかという一般常識の変化――によって、議会政治などの非暴力的な利害調整の手段が発達してきた、というのがエリアスの見方である。

「暴力の周期」という概念

エリアス研究のなかでそれほど注目されているわけではないが、僕が重要だと思うのが「暴力の周期」という概念である。

イギリスにおける暴力の周期は、そのような周期がある特定の年代に始まったといえる限りでは、1641年に始まった。そのとき、国王チャールズ一世は廷臣たちの先頭に立って下院に突入し、彼の要求に反対していた何人かの国会議員を逮捕した。国会議員たちは逃げることができた。ところが暴力を行使しようとする国王の企ては別の側から暴力を引き起こした。かくして、国王が清教徒たちによって処刑されることになる革命の過程が始まったのである。清教徒の指導者であったクロムウェルが国王に取って代わった。さらに、クロムウェルの死後、国王の息子が王座に返り咲き、上流階級の多くの人々が中流、下層階級の清教徒たちに抱いていた憎悪、恐怖、不信感を和らげる試みがいくつかあったが、暴力の周期はさほど猛烈で爆発的なかたちをとらなかったとはいえ、さらに広がった。敗北を喫した清教徒たちは法律上の無資格を受け入れざるを得なかっただけでなく、しばしは多いに嫌がらせを受けたり、迫害されたり、時折、暴力的な攻撃にさらされた。彼らの状況はアメリカの植民地への移住に強い刺激を与えた。本国に残った人々、つまりイギリスの「非国教徒たち」はかれらの革命的過去と隣り合わせに住むことを学んだ。彼らの権力の機会は多いに減っていたが、土地を所有している上流階級の多くの人々は清教徒たちを反乱の考えられるうる陰謀者と見なし続けた。

ノルベルト・エリアス「序論」『スポーツと文明化』38-39ページ

この一連の記述はピューリタン革命〜名誉革命へと続いていく17世紀イギリスの歴史のことを指している。絶対王政を敷こうとしたステュアート朝の国王チャールズ一世は、暴力を用いてピューリタンたちを屈服させようとし、ピューリタンは暴力によってそれに応え、最終的に国王を処刑した。

するとさらに暴力が起こり、クロムウェルの政府は打倒され、チャールズ一世の息子チャールズ二世が即位して、ピューリタンたちは迫害される。そこで新天地を求めたピューリタンの一部はアメリカに移住し、そこからやがてアメリカ独立戦争へとつながっていくわけである。

一方でイギリス国内で専制を志向するステュアート朝の王たちは、やがて貴族たちによって追放され(名誉革命)、非暴力を基調とする議会政治システムがやがて確立されていく。

「暴力の周期」というのは「やられたらやりかえせ」を周期的に繰り返していくことで、相手に暴力的ダメージを与えたらその分を相手も返そうとする、その一連の動態のことであると思われる。

やられたらやりかえされないためには、相手に対する暴力的ダメージを逓減させ、あるいは無にしなければ、自分の身の安全も守れない。そういった合理的な理由によって、議会政治がだんだん定着していったと捉えることができるだろう。

政治とスポーツの関係

ちなみにこれは心理的なダメージにもいえることであって、他者に対し身体的あるいは心理的にダメージをできるかぎり与えずに(「やりかえす」インセンティブを与えずに)いかに心情レベルで納得してもらうか、ということは、おそらく大文字の政治にかぎらず、人間同士の関係などミクロなものも含めた「政治(Politics)」の本質であると思われる。

エリアスは以下のように述べている。

政権を政敵に穏やかに譲り渡すことは、高度なレベルの自制を前提とする。新政権の方でも、敵意を抱き、異を唱える前任者を辱め、駆逐するために進んでその莫大な権力の資源を使わないようにすることが前提となった。その点で、取り決められた規則に従って、むしろ穏やかに競争集団の政権交代が行われる議会政治が十八世紀の間にイギリスで出現したことは具体的な実例になりうる。それは、暴力の周期つまり、ふたつ、もしくはそれ以上の人間集団を相互の暴力に対する相互の恐怖の状態に結びつける二重拘束の過程が、絶対的な勝者も絶対的な被征服者もいない妥協の状態で解決されるむしろ稀な例のひとつであった。両方の側が徐々に相互の不信感を捨て、暴力や暴力に結びつく術策に頼ることを止めるようになるにつれて、かれらはその代わりに非暴力的なかたちの競争に要求される新しい手腕、戦略を学び、実際、それらを発展させた。軍事的手腕は議論、演説、説得の言葉の技術に道を譲り、それらすべては全体的により多くの自制を要求し、この変化を文明化の勢いとして非常に明確に認識した。個人の社会的習慣の反映として、個人の娯楽の発展のなかにも現れているのはまさにこの変化であり、暴力の使用に関するあのより強い感受性であった。イギリスの地主階級の「議会主義化」は彼らの娯楽のスポーツ化のなかにその相対物を持っていた。

(中略)

もしなぜイギリスにおいて娯楽がスポーツの形で発展したのかという問いを発するならば、議会政治の発展、つまり、多かれ少なかれ自己統治的な貴族とジェントリーの発展がスポーツの発展において決定的な役割を果たしたということを省くことはできないのである。

ノルベルト・エリアス「序論」『スポーツと文明化』47-48ページ

ここでは主に暴力を用いた紛争解決を代替する手段として議会政治が発展してきたことが指摘されている。議会政治的な解決が社会習慣になっていくことによって、それまで用いられていた暴力による解決が次第に野蛮なものとみなされるようになっていく。そうなったとき、民衆の生活のなかにある身体を用いた娯楽のなかであっても、暴力的な要素を逓減させようとする心的態度が生まれていく、ということなのである。

その上でエリアスはスポーツの意義を以下のように述べる。

わたしが観察できる限りでは、人間というものは、セックスの楽しい興奮とは別に、他の種類の楽しい興奮も必要としていること、戦いの興奮がそのひとつであるということ、さらに現代社会ではかなり高度なレベルの和解が達成されるときには、そのような問題が、無法的戦いによって、つまり人間に対する傷害を最小限に食い止めることで楽しい戦いの興奮を生み出せるような想像上の状況の中で楽しく演じられる戦いを供給することによって解決されているということを私は発見したのである。

ノルベルト・エリアス「序論」『スポーツと文明化』84ページ

「戦いの興奮」というのは、スポーツがすでに普及してしまった現代では、よりわかりやすい例を挙げることが必要になるだろう。それは、SNS上で繰り返される「レスバ」である。または「論破」と言い換えてもいいかもしれない。

普通、ツイッターのような文字数が短く制限された状況では、生産的な議論ができるなどと考えるほうが不毛である。ある問題について対話しながら生産的な議論をしようというとき、より長文で丁寧なやりとりの応酬によってしか、それは可能にならないだろう。それは多くの人が理解しているはずだ。ところがSNS上での不毛なレスバは止むことがない。

ではなぜ、そのような不毛な行為に人は手を染めてしまうのか。それはおそらく「戦いの興奮」を求めているからである。エリアスが言うように、私たちは「セックスの楽しい興奮」以外のエキサイトメントも必要とする。これまでそれはスポーツで、勝ち負けを決めることによって代替されてきたが、そういったアクティビティに親しんでいない人ほどむしろ――スポーツのような勝ち負けを決める行為を野蛮だと見なす人ほど――無意識のうちに、別のやり方で「戦いの興奮」を求めてしまう。その格好のアリーナが、今はSNSなのではないかと思う。

ところで「勝った負けた」は重要なのか? 古田敦也とのエピソード

やや余談だが、以前『PLANETS vol.9 オルタナティブ・オリンピック・プロジェクト』というムックを制作した際に、元プロ野球選手の古田敦也氏に取材したことがあった。

取材場所にやってきた古田氏が開口一番、「野球はやっぱり勝った負けたですから……」と語り始めたことに、僕は面食らった。

というのも、私はそれまでカルチャー誌であるPLANETSの編集に携わっていたため、すっかり「文化系脳」になっており、そのときは「勝った負けたにこだわるのは野蛮」とすらする極端に陥っていたからだった。そこに古田氏の「野球はやっぱり勝った負けたですから……」というセリフである。「やっぱり古田も体育会系脳なのか!」と、そのときは反発心を覚えた。

以下、残り少ないですが一旦有料に切り替えます。有料マガジンの考え方については、こちらの記事「サイト内でcodoc有料マガジンを始めます&Webにおける無料/有料コンテンツについての基本的な考え方」(無料)に書きました。基本的には「中野がなんかがんばってるみたいだから激安居酒屋でビール一杯おごってやるか」というイメージで課金していただければ、大変幸いです。

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