Notice: Function _load_textdomain_just_in_time was called incorrectly. Translation loading for the wordpress-popular-posts domain was triggered too early. This is usually an indicator for some code in the plugin or theme running too early. Translations should be loaded at the init action or later. Please see Debugging in WordPress for more information. (This message was added in version 6.7.0.) in /home/yutoriotsu/www/wp2/wp-includes/functions.php on line 6114

Notice: 関数 _load_textdomain_just_in_time が誤って呼び出されました。cocoon ドメインの翻訳の読み込みが早すぎました。これは通常、プラグインまたはテーマの一部のコードが早すぎるタイミングで実行されていることを示しています。翻訳は init アクション以降で読み込む必要があります。 詳しくは WordPress のデバッグをご覧ください。 (このメッセージはバージョン 6.7.0 で追加されました) in /home/yutoriotsu/www/wp2/wp-includes/functions.php on line 6114
Rome was not built in a day | にどね研究所

Rome was not built in a day

アイデア

このあいだインプットの話を考えてみた(アウトプットはいいのだが、インプットをどうするか書きながら考えてみた)が、結論としてはこんな感じだった。

  • スマホで20分タイマー設定してとりあえず読む(観る)
  • 手を動かす(パソコンではなくノートに何か書く)
  • 読了していなくても読書ブログを書いちゃう

最近、企画のために、ある一人の純文学作家の作品を読んでいる。

それで思ったのが、いくら企画のためとは言っても、苦行のように文学を読むのは何か違うということだった。

純文学を読む練習

僕は大学生のとき、「カルチャー誌の仕事がしたいな〜」などと若者らしい安易なことを考えていたのだが、いろんなカルチャーに接するようになって思ったのが、いくら時間があっても足りないということだった。その後、実際にカルチャー誌の仕事をするようになってから「コンテンツの消費」を余計に重たく感じるようになった。

たとえばドラマ批評の企画をやろうと思ったら、本当にさまざまなドラマを観ておかないといけない。最近ヒット中の稲田豊史さんの著書『映画を早送りで観る人たち』に、稲田さん自身が仕事のために映画を倍速で観ていたことが書かれている。

Amazon.co.jp: 映画を早送りで観る人たち~ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形~ (光文社新書) 電子書籍: 稲田 豊史: Kindleストア
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この手のことは僕も感じたことがあって、たとえば「映画が好きでこの仕事を始めたはずなのに、いつの間にか映画というプロダクトの『消費』の奴隷になっている」、と感じるようになっていく。

今だって、企画のために短期に大量にインプットをしたりもする。もっとも、「企画のため」ということで、自分の本来(?)の趣味嗜好とは違うものに接して、その良さに気づき、視野が広がるとか、勉強になるということは、長い目で見れば楽しいことではあるのだが……。

ただ、やっぱり生活者の感覚で楽しめているというわけではない。「仕事のためのインプット」と「楽しむ観賞」をどう自分のなかで納得するかは、いまだによくわからない。

そもそも生活者の感覚を失ってしまっては、企画もよりよいものにはならないだろうという直感もある。頑張って頑張って……とやっても、しばらくはできるだろうけど、どこかで頭打ちというか、自家中毒的になって自他の健康を害するのではないかという懸念が、20歳過ぎぐらいのときからずっとあるのだ。

実際、今の「文壇」的な(擬似的な)「中心」の場が、狭いターゲットばかりにフォーカスして、自家中毒気味になっているというのは、どこの業界でも観測できるのではないかと思う。これは、上のような状況に起因するのではないか。ゆるい感覚ではなく「頑張り」によって、誌面や企画そのものがどんどん自家中毒的になっていっているような。

純文学の作品も、特定の作家の作品を一気に読むというのは数日あればできるだろう。そして、それで自分に得られるものもかなりあるだろうということは、経験的にも想像できる。でも「苦行」でいいんだっけ? とも思う。

だったら、「一気に読む」をやるのではなく、もう少しロングスパンで読み続ければいいのかもしれない。楽しめる範囲で、毎日ちょっとずつ続けていくつかの作品を読み、企画書にすればいいのかな。

「ローマは一日にして成らず」は重要

しかし「まったり楽しみながらインプット」だけではいけない。というのも、最近は「受託仕事はぱっぱと終わらせて、『文化系のための野球入門』執筆を頑張ろう」ということを考えていたのだった。

最近、Tarzanで仕事しているということの予言の自己成就的な効果なのか、お腹周りが相当シェイプアップされている。習慣的にキャリステニクスとウォーキングをやっているので、食事制限を一切せずラーメンやお菓子やアイスを普通に食べていても成果が出てしまっている。トレーニングは、一日5分ぐらいやっているだけ。しかも毎日はやっていない。

そういえばイチローが「小さなことを積み重ねることが、とんでもないところへ行く、ただ一つの道」と言っていたが、僕のトレーニングに関しては本当にそんな感じだった。このブログも最近毎日のように書いているので、なんかそれはいい気がする。

まあそうなると、毎日こんな感じでやろうかな。

・野球本の執筆を1日最低20分。

・野球本の難しい系インプットを1日最低20分。(『ホモ・ルーデンス』とか『スポーツと文明化』とか)

・純文学の本を1日最低20分。

これであれば1日の最低限やらなければいけないことは1時間で終わる。それぞれスマホタイマーで測ればいいし。

要は、「ローマは一日にして成らず(Rome was not built in a day)」というやつだ。「ローマ」と無駄に壮大なので、天狗倶楽部的でもあるかもしれない。建設業という身体的なイメージを想起させられるのも良い。よし、この言葉を座右の銘にしよう。

結局、執筆もインプットも一気にやると翌日クタクタになってしまう。一気にやろうとしない。一気に集中してできるというのが甘い考えな気は、実はずっとしていた。

漸進的に毎日ちょっとだけを続けるのを試してみようと思う。

さて今日は、連絡系のタスクやスケジューリングが大まかにできたし、もう17時を回ったので休むことにします。長年積ん読されていた、内田樹の『修行論』でも読んでおくかな。

(了)

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