1998年長野五輪と、90年代日本の「子ども向けメディア」
僕は86年生まれなので、日本で開催されたオリンピックというと98年の長野五輪が印象に残っている。なぜなら小学校の先生が授業を無しにして、教室にテレビを持ち込んで、金メダルを獲ったスキージャンプ団体戦を見せてくれたからだ。そんなことは過去一度もなかったので、教室ではものすごい盛り上がりだった。僕も、スピードスケートで金メダルを獲った清水宏保や、船木・原田をはじめとしたスキージャンプの選手たちの活躍は非常に印象に残っている。
自分は小4ぐらいまで友達もろくにおらずいじめられっ子だったが、小5からはたまたまクラスのメンバーが良かったのか、友達ができて、それまで行きたくなかった小学校が楽しくて仕方なくなっていた。長野五輪の開催された2月はちょうど中学受験が終わったばかりで、確か年が明けてから受験準備のため休んでいた小学校にまた行けるのが、とても嬉しかった。
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今日、ふと仕事をしながら、長野五輪より少し前、90年代前半の感覚を思い出していた。iPhoneでB’zの「愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけない」をふと聴いて、玄奘三蔵法師役が宮沢りえという今思うと衝撃な一夜限りのスペシャルドラマ『西遊記』のテーマソングだったのを思い出し、そこから宮沢りえ、若貴ブーム……と、連想が膨らんでいった。若貴ブームというと、それに影響された内館牧子脚本の朝ドラ『ひらり』も印象的だった。主題歌だったDreams Come Trueの「晴れたらいいね」も良かった。
自分が幼児〜小学生だった90年代前半は、今思うと妙にハッピーでピースフルな雰囲気が日本を包んでいた記憶がある。調べてみると、有効求人倍率が底を打ったのは1998年なので、90年代前半は就職氷河期が本格化していく下り坂だったとはいえども、急に暗くなったわけではないようだ。
90年代前半当時は、メディア的に「子ども」が現代よりも大切にされていた印象がある。『となりのトトロ』や『魔女の宅急便』など、子ども向けのアニメ映画作品が子どもたちの間で大人気だった。『トトロ』の「さんぽ」もそうだし、ドリカムの「晴れたらいいね」の歌詞も、「子どもという存在」を祝福するようなものになっていた。当時はテレビにも、「子どものため」の番組がたくさんあった。土曜ゴールデンタイムのアニメ枠もあり、小中学生向けのドラマである『家なき子』や『金田一少年の事件簿』などもやっていた。
いま思うと、90年代前半〜半ばの時代は、俗に言う「戦後民主主義」が高度に完成していた時代だったのではないかと思う。戦後民主主義という言葉は非常に多義的ではあるのだが、「日本国憲法」と並んで「教育基本法」がその象徴とされるように――そして1997年の『もののけ姫』以降に物語のトーンが暗くなる前のジブリが『トトロ』や『魔女宅』で日本社会を席巻していたように――、「子どもを大切にする、その存在じたいを祝福する」というのは一つの特徴だったと思う。
それが、95年のオウム神理教事件と『新世紀エヴァンゲリオン』で「若者と自意識」の問題が浮上して、97年の神戸連続児童殺傷事件で「子ども」をめぐる戦後教育への疑義が生まれ、98年の『新ゴーマニズム宣言 戦争論』の大ヒットで戦後民主主義への「信仰」という安定が、ぶっ壊れた感じがある。
しかし、90年代前半のジブリ映画を中心にした「子ども」への圧倒的祝祭感、戦後民主主義的なオプティミズムは、過剰だったとは思いつつ、あの過剰なオプティミズムにはあんまり反省の余地などないようにも思うのだ。
米津玄師の「パプリカ」が描いているもの
ところで、2020年東京五輪関連のコンテンツでは、米津玄師が作曲したNHKの五輪応援ソング、「パプリカ」がダントツの出来だと思う。
「パプリカ」は、幼稚園、保育園、小学校ではとんでもないブームを巻き起こした。うちの実家にいる姪も大好きで、一昨年ぐらいはずっと家で歌っていた。
最初このMVを見たとき、僕はこれが東京五輪と何の関係があるかよくわからなかった。でも、姪をよく見ているうちに、今の子どもたちがこの曲をなぜ大好きなのかがわかってきた気がした。この曲のメッセージは、子どもたちが「子どもの季節を過ごしていること」への祝福なのだ。そしてそれは、米津がジブリ作品からの影響を公言していて、しかもそのジブリ作品が戦後民主主義の象徴の一つである「岩波少年文庫」の強い影響下にあることも併せて、かつての戦後民主主義的な価値観との連続性を、わずかに感じさせる。
この曲のYouTubeでの説明欄を見ると「2020年とその先の未来に向かって頑張っているすべての人に贈る応援ソング」と書いてある。
そう、この曲には、「一体感」とか「感動をありがとう」という旧来式の五輪応援ソングにありがちな要素が入っていない。そういう集団主義が嫌な人、またはスポーツが苦手な人のことだって、まったく疎外していないのだ。
雨に燻(くゆ)り 月は陰り
木陰で泣いていたのは誰
一人一人 慰めるように
誰かが呼んでいる
こんな歌詞もあるように、実は旧来的な「集団主義」の要素はかなり薄い。
じゃあ「パプリカ」は誰を応援しているのか? 当然、「オリンピックに出場する選手だけ」ではないように思う。
宮藤官九郎脚本『いだてん』第二部の主人公・田畑政治が言い放った五輪の「本質」
「パプリカ」ともうひとつ、数多く作られた五輪関連コンテンツのなかで出色だったのが2019年の大河ドラマで、宮藤官九郎が脚本を手掛けた『いだてん』である。放映当時は低視聴率ばかりがメディアで取り沙汰されていたが、ドラマファンのあいだでの評判はすこぶる高い作品だ。
僕は放映当時はあまりちゃんと見ていなかった。そもそも仕事が忙しかったこともあるし、当時はいろいろ落ち込むことがあり、心の余裕がなかったなぁと思う。だが今年2021年に入って、自分がいま書いている連載にも役立つかなと思い、見始めた。
『いだてん』は前半・後半で主人公が交代する。前半は「日本マラソンの父」であり日本最初のオリンピック出場選手である金栗四三を中心に明治〜大正期が描かれ、後半は日本水泳のプロデューサーであり、幻に終わった1940年東京五輪、そして戦後に開催に成功した1964年東京五輪の立役者である田畑政治を中心に大正末期〜昭和戦後期までが描かれている。
『いだてん』は(いや、『いだてん』だけでなく、去年やっていた朝ドラの『エール』もそうなのだが)、ただの東京五輪のプロパガンダではない。五輪とはなにか、スポーツとはなにか、その光だけでなく影の部分にまで鋭く迫っていった作品だ。『いだてん』について書こうと思うと長くなるのでここではやめておくけれど、「パプリカ」のことを考えていて連想したのが、田畑政治が1932年のロサンゼルス五輪に日本選手団を派遣するに際して、政界の実力者・高橋是清に五輪の意義を説いたシーンのことだった。こんなやりとりである。
高橋「そのオリンピックとやらは、お国のためになるのかね」
田畑「お国のためには、なりませんな」
高橋「ならんのかね!(呆れて席を立つ)」
田畑「しかし! 若い者には励みになります。日本の若者が、世界の舞台で飛んだり跳ねたり泳いだりして、西洋人を打ち負かす。その姿を見て、俺も、私も、彼らのように頑張ろうと立ち上がる! 」
このときの田畑のプレゼンが功を奏して、結局高橋も「それなら」と、政府として五輪派遣にお金を補助することに同意する。昭和初期の当時はまだまだ日本国民は欧米コンプレックス、「日本は後進国だ」という意識が強かった。だから、日本の若者が欧米の若者と伍して戦っている姿を見たとき、たしかに勇気づけられる者が多かったのかもしれない。
これと似たやりとりは、1940年東京五輪招致に向けた取り組みでも再燃する。東京五輪招致のために日本オリンピック委員会が開いた記者会見で、記者から「オリンピックは、お国のためになりますか」と、詰め寄られるのだ。答えに困った会長・嘉納治五郎に代わって、田畑はこう言う。「国のためじゃない。若い者のためにやるんです」と。
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実際、64年の東京五輪で、当時子どもだった人々が「勇気づけられた」という証言はけっこう聞く。田畑が奔走した40年東京五輪は日中戦争の激化などもあって開催権返上というかたちになり、同年は結局オリンピックは行われなかった。それが24年後、再び田畑たちが奔走したことによって、64年東京五輪が実現したのだった。敗戦から立ち直り、復興を成し遂げていくときに、64年東京五輪での選手たちの活躍が、当時の子ども・若者たちを勇気づけたというのは想像に難くない。
今の日本において、子どもは圧倒的なマイノリティになりつつある。毎日新聞の記事によれば、2021年以降の出生数はコロナの影響を受け、これまでよりもさらに急降下する見込みであるという。毎年の出生数が100万人を割ったのは2016年だが、2021年は75万人、2022年は70万人台を割り込むそうである。(特集ワイド:少子化の未来予測 コロナ後、出生数急減も 人口減少対策総合研究所理事長・河合雅司さん | 毎日新聞)
再び、「パプリカ」が描いたもの
米津玄師は「パプリカ」の誕生秘話を、柴那典さんによるインタビュー記事でこう語っている。
「「応援ソングを作ってほしい」と言われたときに、果たして自分にできるかどうかを考えたんです。わかりやすい、大きな応援ソングというものに対する嫌悪感が、子供の頃からすごくあったんです」
「わかりやすく大きなもの、広いもの、壮大なものに対する不信感はまず第一にあって。たとえば、いろんな応援ソングを聴いても、すごくいい曲だけど、あそこで歌われてる歌詞を、俺は信じられないんですよ。そういう人間として生まれ育ってしまったんです。だから、自分はそれとは違う応援ソングを作らなければならない。そういうデカいものじゃなくていいと思ったんです」
米津玄師、子供たちへの祝福を願った「パプリカ」誕生秘話 (1) | マイナビニュース
ここにはやはり、「集団主義」ではないかたちでの価値が語られている。そしてこのインタビューでは「祝福」という言葉がキーワードになっている。
「小学生のときに見ていた番組とか、その時に聴いていた音楽っていまだに覚えてたりするんですよ。今になって聴き返したりすると、結構、大変なことをやってたりするんですよね。ある種のサブカルチャーのニュアンスというか、作ってる側が面白いと思っているものを、子供におもねるんじゃなく、ちゃんと提示していた。そういうものを受け止めてきたんだなということに最近気づいたんですね」
「子供の頃に見ていたものに祝福されながら、それが今作っている音楽に還元されているわけだし。そういう小さな物語、小さいものを作ろうとしたんだと思います。」
米津玄師、子供たちへの祝福を願った「パプリカ」誕生秘話 (1) | マイナビニュース
前述の田畑のセリフ、そして「パプリカ」のMVが示唆しているのは、おそらく「五輪とは、若者・子どもに向けたものだ」ということだ。そしてもっと言えば、コンセプト文にあるとおり「2020年とその先の未来に向かって頑張っているすべての人」を応援するものなのだろう。本来的には。
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自分が子どもだったころ、長野五輪のあった90年代は、まだメディアが子どものほうを向いていた。しかし2021年現在の日本社会は、徹底的に子どものほうを向かなくなった。
しかし、そんななかでも米津は「パプリカ」で、自分が子どものときに受け取ったものを、今の子どもたちに送り返そうとしている。子どもを子どもとして、その存在を祝福するということ。それが今の時代にすっかり欠けてしまっているものだったからこそ、「パプリカ」はあれだけ子どもたちの「嬉しさ・楽しさ」を引き出すことができたのではないか。
かつて戦後民主主義が疑われていなかった時代には、「子どもの存在を祝福するというのは、未来を祝福するということだ」という共通了解があったのだと思う。
しかし、すでに述べたように、今の日本において「子ども」はすっかりマイノリティになった。90年代前半が過剰だったのかもしれないが、メディアはコンテンツとしてもジャーナリズムとしても、「子ども」のほうを向かなくなった。
新型コロナに関しては、感染確認者のうち死亡に至る割合は、10歳以下は0.00%、10代も0.00%、20代は0.01%である(出典:厚生労働省「(2021年7月版)新型コロナウイルス感染症の“いま”に関する11の知識」)。なお、20歳以下の死者は国内ではいまだに出ていない。
にもかかわらず、子どもたちの運動会、修学旅行などの行事は軒並み中止、給食もおしゃべり禁止の「黙食」が徹底されている。「子どもが高齢者に感染させるから」ということで、ほぼリスクゼロの子どもたちの生きる楽しみが、何の屈託もなく奪われている。メディアも大人も、「自分たちのことはいいから、せめて子どもたちぐらいは自由にさせてあげよう」なんてことは言わないのだ。ここにも“数の論理”がある。
「マスコット」は何のために存在したか
よく考えると、オリパラがこれだけニュースでもSNSでも取り上げられるなかで、話題にも上らない二人の公式マスコット「ミライトワ」「ソメイティ」というキャラクターもいる。
このキャラクターたちは、「かわいい/かわいくない」という議論すらあまり見かけない。ミライトワとソメイティについて何か議論することすら、なんとなくタブーになっている感じがある。
しかし、このキャラクターたちが生まれた背景には、単純に「五輪で子どもたちを喜ばせたい」という気持ちがあったのではないか。調べてみると、このキャラクターは海外の日本人学校を含め16,769の小学校の小学生たちが投票に参加して決まったのだそうだ。(東京2020大会概要 | TOKYO 2020 for KIDS 東京2020教育プログラム)
少なくともキャラクターデザインの面で大きな破綻はないし、ポケモンみたいでかわいいような気もするし、デザインした側の「子どもたちを喜ばせたい」という思いの純粋さは、少なくとも僕には伝わってくる。
おそらく、オリンピックを自国で開催するということは、本来的にはそういう意義があったのだろう。というか、こう説明されると、高橋是清のように「それなら、まあいいか」というふうになる人も多いのではないかと思う。
もしかしたら、2020年(2021年)東京五輪には、急激な少子化が進み「子ども」がどんどん無視されていく日本社会のなかで、「それでも」子ども・若者、つまり未来のことを祝福したい、という意味があったのかもしれない。すっかり顧みられなくなった「子どもたち」のことを、大人である我々が思い出そう、彼ら彼女らの未来を祝福しよう、ということを思い出すきっかけになったのかもしれない。子どもたちが喜んでいる姿を見たら、「政治に利用されたりお金に走ったりとか、ダメなところはあったけど、まあ、やってよかった部分もあったかもね」「クリエイターたちもそのために、頑張っていたよね」と、思えたかもしれない。
今の子どもたちにとって、「パプリカ」は間違いなく世代的な記憶になるだろう。そして「パプリカ」に熱狂した子どもたちは、この曲が五輪に関連するものだということは知っているはずで、それゆえ「日本で開催される五輪」を心待ちにする気持ちも、少なからずあったのではないか。
しかし果たして子どもたちはどんな気持ちで、今の五輪にまつわる騒動を見ているのだろう。最近はずっと実家に帰っていないので、実家に住んでいる方の姪には会っていない。もう一人の姪にはそもそもコロナ以降全然会えていないが、このあいだ誕生日プレゼントを送っておいたら、狂喜乱舞していたと兄の奥さんから聞いた。
……何を言いたかったんだっけか。あ、そうだ。「パプリカ」もそうだし、『いだてん』も『エール』もそうなのだが、旧来的な五輪賛美とは違う角度から、政治やお金などの「大人の事情」に引きずられずに、五輪のことを再定義しようという意欲的な試みは多くあった。もしかしたらミライトワやソメイティの案出も含めて、日本のクリエイターたちは「お金」や「政治」を越えて、けっこう頑張っていたと思うのだ。
そういうクリエイティブの力と、スポーツの力がちゃんと噛み合うという未来も、今思うと、ありえたのかもしれないとは思う。せめてその労をねぎらうぐらいの気持ちは、自分だけでも持っておきたい。
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