テヘランから日帰りで行ってちょっとした旅行気分が味わえるところにシャフレ・レイがあります。ここはシーア派の巡礼地でもあるのですが、私がテヘランに住んでいた時にも何度か訪れていました。今回はシャフレ・レイについて書きたいと思います。
レイとは
シャフレ・レイは広い意味でのテヘランの中に含まれている地区ですが、行政区分上は、テヘランとは異なる都市(シャフル)で、単にレイとも呼ばれます。
その歴史はテヘランよりもはるかに古く、紀元前6000年から人が居住していたとされています。11世紀には、レイはセルジューク朝の首都にもなっており(1043–1051)、シルクロードの交通の要所でもありました。一方、テヘランはサファヴィー朝時代には皇帝(シャー)の避暑地であり、遷都したのはガージャール朝時代(1796-1925)になりますので、レイの方が古いわけです。
聖廟と巡礼者
レイには、シャー・アブドルアズィーム廟というシーア派の巡礼地があります。イランの国教である十二イマームシーア派では、イスラームの預言者ムハンマドのいとこで娘婿であるアリーの血統をムスリム共同体の指導者(イマーム)として尊重してきました。
十二イマームシーア派は12人目のイマームがお隠れになり、将来再来することを信じる宗派なのですが、イマームの子孫も、人々の間で尊敬されてきました。彼らはイマーム・ザーデ(産んだもの)と呼ばれて 人々の間で尊敬されてきたわけです。そんなわけで、豪華絢爛に作られたものから簡素なものも含めて、イマーム・ザーデの墓がイラン中にあります。レイにある シャー・アブドルアズィーム廟もその一つです。
現在、シャー・アブドルアズィーム廟にはテヘランから多くの巡礼者が来ます。赤い線で表示される、メトロの一番に乗り南に向かえばシャフレ・レイ駅に着きます。駅から廟まで歩いても行けないこともないですが、少し距離があります。駅からは路線バスが頻発しており、廟のそばのショッピングモールの手前まで連れて行ってくれます。シャフレ・レイにはアフガニスタンからのハザーラ系の移民が多く暮らす地区があります。そのためバスに乗っていても、それとわかるモンゴロイド系の顔つきをした人を見かけます。
聖廟の敷地の中に入るとき、女性はチャードルを着なければなりません。普段から黒いチャードルをまとっている人はそのままですが、まとっていない人には入り口で薄手の白い布に柄の入ったチャードルが貸し出されます。
巡礼者は、聖廟の建物に入るときに靴を脱がなければなりません。入り口で靴を預けるか、靴を持ち歩くための袋をもらいます。聖廟の扉には聖なる力があるとも信じられており接吻する人もいます。聖廟の中は、幾何学的な形に切り取られた鏡が模様になるように貼り巡らされています。これは、アーイネ・カーリーという建築の技法なのですが、聖廟の以外にも王宮の装飾にも使われています。聖廟の中には石棺があり、その周りは金属製の柵で覆われています。巡礼者たちは壁に触れて接吻しようとします。人が多いときには押し合いへし合いになります。
聖廟を出て中庭に出て、入り口とは別の方向に行くと屋根のついたバーザールがあります。バザールには衣料品や雑貨、食堂などがあります。ちなみにその一角に、イートインできるデザート屋があるのですが、そこでの巨大シュークリームとサフラン味のアイスクリーム入りニンジンジュースのコンボは最高です。
レイにまつわるタアーロフ
ペルシャ語にタアーロフという表現・慣習があります。 タアーロフとは他者に勧める行為を意味します。これはやや義務的な行為でもあります。
例えば、複数人でいるときにお菓子を買ったとします。そういう時には周りの人にまず勧めてから自分で口にします。また、扉の前でもどちらが先に入るかで譲り合います。このようなことをしない人は「自己中」である=人格的に未熟な人であると見なされるわけです。つまり、タアーロフには他者への寛大さを周りに誇示するという社会的な機能があるわけです。
ただし、話がややこしくなるのは、勧められた方もすぐに受け取るのは無作法であり、またしばしば拒否することが勧めた人の側からは予期されている、ということです。そのような場合、あとで「タアーロフを本気で受け取った」として嘲笑の対象になってしまいます。そのあたりの見極めは非常に難しく、時にはイラン人をも悩ませることがあるようです。
さて、タアーロフに関連して、「シャー・アブドルアズィームのタアーロフ」という表現があります。これがどういう意味なのかを説明したいと思います。かつてテヘランの現在のイマーム・ホメイニー広場からシャフレレイまでは汽車が通っていたのでした。そしてテヘランに住む人は巡礼のために汽車の割引の往復チケットを買って祝日である金曜日にレイに巡礼に来ていたのでした。
そこでレイの地元の人は巡礼者たちに自分の家に泊まっていくように勧めました。とはいえ、彼らはもちろん巡礼者がその日にレイに泊まらないことを知っていました。というのも、巡礼者はテヘランに戻る汽車の券を持っているため、その日のうちにテヘランに戻らなければならなかったからです。レイの人々はそれを知りながらも、わざわざ自分の家に泊まっていくように勧めたのです。こういうわけで、「シャー・アブドルアズィームのタアーロフ」というのは、あらかじめ相手が断ることを知っていながら、あからさまに何かを勧めること、を意味するようになっています。
観光地化していない落ち着いた雰囲気
テヘランの滞在中、シャフル・レイには何回か行きました。私自身は巡礼そのものが目的というわけではなかったのですが、聖廟とそれを取り巻く雰囲気がなんとなく好きだったのです。それなりに人が集まるにも関わらず、観光地化しているというわけではなく、バーザールでは吹っかけてきたりしつこく絡んできたりする人もいませんでした。
また、居住区としてはテヘランの街の中心よりも値段が落ちるからか、そこかしこに庶民的な雰囲気が漂っています。例えば、イランには、キャバービー(あるいはジギャラキー)と呼ばれるナンとキャバーブだけを出す店があります。以前紹介したジュージェ(鶏肉)やクービーデ(ひき肉をこねたもの)の他、レバーやハツなどの内臓も食べられます。それに加えて、テヘランの南部やレイでは、羊の大腸(ルーデ)や肺(ジギャレ・セフィード)といった珍しい部位のキャバーブもあります。イラン版のホルモン焼きですね。
巡礼地であり、庶民の街でもある。ちょうど東京で言えば、浅草や上野と似た雰囲気かもしれません。そんな異国ながらもどこか懐かしさを感じさせる雰囲気こそが私に何度も足を運ばせた理由なのでしょう。
次回は、イランのトイレについて書きたいと思います。
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