年末に退職エントリを会社のブログで書きましたが、12月は有給消化といいつついろいろ忙しかったです。年が明けてようやく自由の身になりました。
今はフリーランスとして5社の仕事をしています。しばらく仕事しないで休みつつ執筆しようかと思っていたんですが、パタパタと入ってきたのと、この先もこんなにすぐ依頼があるのかわからないので、できるだけ全部受けることにしました。その結果、年末から今日まで、休みらしい休みがほぼないまま終わっていきました……。
部屋の配置換えをしてみたら……
あと、部屋の整理とか配置換えをしました。
前はベッドを窓のそばに置いて、部屋の真ん中が通路になるようにしていたんですが、今は下の図みたいな配置にしてみました。8畳の部屋の真ん中付近にベッドをどーんと置くというものです。
これにしたら、なんかよくわかんないけど幸福度が上がった&家がすごい好きになりました。
ベッドは安眠のためにセミダブルサイズにしてるんですが、それゆえに「ベッドはデカイから部屋の隅っこに置かなきゃ」という意識に囚われていました。今こうやって真ん中に置いて生活してみて気づいたのは、ベッドが真ん中にあるとベッドが寝るだけじゃなく生活空間になるんですね。あぐらをかいて本読んだり、寝っ転がってiPadで動画見たり、もしくは枕の後ろ側が完全に壁なので、壁にもたれかかって本を読めるのも良いです。ベッドの背後は完全な壁にすべきでした。
あと、服はなるべくクローゼットにしまってるんですが、この配置だと起きてすぐアクセスできるのもよいです。「ベッドとクローゼットの隙間が無駄なんじゃないか」と思ってたんですが、これはクローゼットへのアクセスのしやすさを保つためです。クローゼットには一日に2〜3回はアクセスするので、やはりここの「廊下」はとても重要で、スペースとして確保しておく意義があるなと。
あと、ベッドのすぐ横にワークデスクを配置したので、ベッドであぐらをかきながらPCでカチャカチャできるのもよいです。
あとは本棚も買い足して、巨大な本棚になりました。前は「本棚が多いと本をどんどん買っちゃうだろう、本はあまり買わないようにしたい」と思って、無印のユニットシェルフを3段×3段にしてたんですが、結局本は増える。で、本棚の上に横向きにうず高く積んでたんですが、横向きの本がうず高く積まれてるのっていま思うと精神衛生上よくないです。
で、25,000円もする3段×2段の本棚を買い足して、本をできるだけ縦に並べたら、それもすごい幸福度上がりました。本は横向きではなく縦に並べないとダメです。縦に並べると「立ち読み」をする時間も増えました。やっぱり書名を一覧できるので、すぐ手にとっちゃいます。
部屋の配置で考えたこととか
上のようなレイアウトで気にしてるのは、それぞれの空間の役割の分離です。
食事やテレビを見るのはリビング・ダイニングテーブルでするし、仕事はワークデスクでするというので机を真反対向きに分けています。でもピアノは気分転換にすぐやりたいのでワークデスクのそばにしてます。
あと、僕は寝たり起きたり仕事したりの区別があまりないタイプなので、ベッドとワークデスクは近くて良い。むしろベッドが近いほうがサボらないなと思いました。
でも、本当は、「リビング」「書斎」「ベッドルーム」が分かれている家に住めたほうがいいのかな……。今のところ全然不満を感じてないですが。
それと、自分のなかでは「ホテルみたいな部屋に住みたい」という気持ちがあって、それをなるべく再現しようとしてます。ホテルってけっこうベッドがドーンと真ん中にあるレイアウトが多いと思うんですよね。あれがけっこう気持ちいい気がしています。
そんな感じで、いままで仕事に追われすぎて生活環境を良くすることに注力できてませんでしたが、いまのタイミングでこれができて良かったです。
年末年始のその他
他には、年末年始はジブリ最新作で宮崎吾朗監督の『アーヤと魔女』、あと『逃げ恥新春スペシャル』、それと見逃してたんですが超評判のいい『ブックスマート』がアップリンク渋谷で再上映してたので見ました。
『アーヤと魔女』
『アーヤと魔女』は劇場公開はされず、今のところテレビ放映だけなのかな? めちゃくちゃ良かったです。孤児院の女の子が崩壊家庭(しかも魔女)に引き取られるという、明らかに悲劇っぽい舞台設定なんですが、主人公アーヤが権謀術数(笑)を用いてその家を攻略していく……という、ジブリ版デスノートみたいな話でした。
「ジブリ版デスノート」って書いててなんじゃそりゃって思いますが、本当にそんな感じで、アーヤはデスゲーム系の主人公ですね。あとは、随所に宮崎吾朗なりの「宮崎駿批評」が差し込まれてくるのが良いです。「父のことDisってんの!?」という感じですがそれがなぜか不思議と「今の時代の児童文学っぽさ」を獲得している。シナリオは詰め込みすぎて破綻しているところはありますが、キレイにまとめるよりも、ブレーキを外してコーナーを曲がろうとして曲がりきれず壁に激突している感じも良いです。
吾朗さんって、『コクリコ坂から』のときに思ったのが、『耳をすませば』『海がきこえる』的な、その後の宮崎駿が捨て去ったジブリの青春路線とかを拾っていく意図があるのかなと思ってました。『紅の豚』以降の宮崎駿はどんどん自己言及的になっていって、それの極北が『風立ちぬ』だった。『紅の豚』以降、宮崎駿のパーソナリティにどんどん接近していって、それが『風立ちぬ』で骨格だけになってしまった。贅肉がどんどん削ぎ落とされて、宮崎駿の自意識があらわになっているだけで、その外部性のなさがつまらなかったと思います。
『となりのトトロ』『魔女の宅急便』『耳をすませば』あたりのジブリ作品には外部性があった。そこに豊かな可能性があった。
吾朗さんはジブリというものに対する責任感から、父が捨て去っていったものをちゃんと拾っていこうという未来志向があるのかなと。ジブリが『紅の豚』以降、宮崎駿のエゴになっていったことに対する問題意識をもとに、「宮崎駿的なもの」に距離感をとりながら「ジブリ」をアップデートするというのは、たしかに宮崎吾朗にしかできない。
『コクリコ坂から』は『耳すま』あたりを、『アーヤと魔女』はそれこそ『トトロ』的な児童文学の感性を、現代的にアップデートしてやっていこうとしていて、挑戦しているなと感じました。
というわけで僕は、いわゆる「ポスト宮崎駿」のなかでは吾朗さんが一番好きかも。
『逃げ恥新春スペシャル』
『逃げ恥新春スペシャル』は、ファンとしては楽しめたんですが、無理やりな啓蒙モードに入ってる感じが微妙でした。あとはやっぱり、コロナの描写とかもポリコレに配慮しすぎていて、「誰も傷つけない」ということをやり続けるとこうなっちゃうなぁと。
まあ端的に言って、批評性がない。ドラマ放映当時はああいった問題を扱うことに批評性があったと思いますが、今はポリコレ系コンテンツが流行りすぎたんでしょうか。
逆に今、僕が思想的にアツいなと感じるのは家族問題まわりだと「反出生主義」なんですが、『逃げ恥』は、普通に子供つくって育てるって時点で思想的なエッジーさが失われているなと。夫婦別姓も、話題としては出てくるんですが、平匡さんが改姓しなきゃそこは思想的にエッジじゃなくない? と思ってしまいました。
あとは今のコロナのインフォデミックを所与のものとして受け入れてる感じも、全体主義に対して戦いを挑むファイティングポーズがすっかり失われたなぁと。ポリコレは新たな物語を駆動させるためにうまく使えばいいと思いますが、ポリコレが目的化するとこうやって同調圧力・全体主義化・インフォデミックを加速するものにしかならないなと。SNSに媚びて、マーケティングをして、ポリコレを「押し付け」るようになった結果、「誰も傷つけない」けど「一切批評性のない」ものになってしまい、あれだけドラマ期の『逃げ恥』が批評のターゲットにしていた現状追認思想になってしまう。でもまぁ全体的には「二人がんばってんな」ということで楽しめました。
『ブックスマート』
『ブックスマート』。2020年の映画は「シスターフッド」がキーワードだったと思うのですが、シスターフッド的な「肯定し合う」ってとてもいいことだと思う一方、「けものはいてものけものはいない」的な世界に一抹の居心地の悪さを感じてしまいます。僕、のけものでいいんで。というか、のけものでありたいんで。
『82年生まれ、キム・ジヨン』もそうなんですが「男は書き割りでいいよ」というのは確かに尖っててすげーなと思いつつ、自分は男性なのもあって、そこにワーッと喝采を送る感じにはちょっとなれないなぁと思いました。「目には目を、歯には歯を」は最初の問題提起としてはいいと思うんですが、「そこがいいよね」とはなかなかならないというか……。報復主義っぽいものを思想的に肯定することはやっぱりできない。だけど、報復主義を批判する言説自体が今は力を持ち得ないとも思います。それはシスターフッドがひととおりエンパワーされてからなのだろうなと。
従来の男女のラブロマンスが、男性の権力を背景としたものである以上いまはなかなか成り立たない、ホモソーシャルもダメ、だからシスターフッドなんだ。それはそうなんだけど、ホモソーシャルってネガティブワードなわけです。シスターフッドはポジティブワードで、ホモソーシャルはネガティブワード。でも、物事には両面あるわけで、シスターフッドがダークサイドに堕ちるとしたらそれはどんな状態で、それに名前をつけるとしたらどんな言葉なんでしょう。
そして、男性同士の仲間意識のポジティブなものは、じゃあホモソーシャルじゃないとしたら何なのか(僕はなんとなくスポーツマンシップ的なもののように思いますが)。それと、LGBTQとヘテロの恋愛抜きの異性関係ってどういうものなのか? とか、そのへんまで考えられてるとより新しい展開があるように思います。
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