Webマーケ・SEOとメディアについて最近考えていること

京都駅構内をモノクロ化してみた

最近、仕事について考えていることを記録用に書いておこうと思う。

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そもそもWebの仕事をやろうと思った動機

僕はいまWebの会社で働いている。そもそもなぜ今の会社に入ったかというと、「これからはWebだ」などと思ったからでは全然ない(それだとだいぶ遅い)。それよりも「課金型のコンテンツを売ると、どうしても小商いになってしまう」という問題意識があった。

メディアは課金型だけではない。広告や広報というかたちで活用すると価値がつくれる。それは知っていたし、広告案件をやると金額が一桁や二桁違ったりするのだ。

コンテンツを売っているだけではほとんどお金にはならない……というか、ビジネスモデルとして定着させるのは本当に難しい。ましてや、何人もの社員を食わせ続けることは、課金型コンテンツのメディア事業単体ではかなりの離れ業が必要だ。特に歴史ある出版社や新聞社でなければ、ベンチャーでコンテンツ課金型メディアを作るのは本当に大変なことなのだ。

新興のメディア企業で経済的に成功していると言えるのはほぼ日やピースオブケイクくらいだと思うが、ほぼ日はECサイトで、ピースオブケイクはコンテンツプラットフォームであるので、厳密にはどちらも自社のコンテンツに課金してもらうメディア事業をやっているわけではない。

企業活動においてメディアを活用するのであれば、「お金を稼げる」ということに限らない間接的な価値(おもにブランディングになるだろう)に意義を見いださなければ、やっていけないだろう。

実際にやってみて頭をもたげたこと

そして実際に広告・広報の仕事をやってみて、市場感などはなんとなくわかってきたのだが、そうなってくると頭をもたげるのが「選択を誤ったのではないか」ということだ。

課金型コンテンツの世界で、ゴージャスでエキサイトメント溢れることを突き詰めていく道もあったのかもしれない……と思ってしまうのだが、まぁどちらに行っていたとしても何かしら欠乏感を感じるのだろう。

仕事をしてみて、広報と広告で価値をつくることの意味や具体的なやり方は掴むことができたと思う。Webマーケでは、たとえばSEOをどうするとか、サイト構造をどうするとか、そういうことがまずは大事ではある。ただ、これは結局Googleの検索アルゴリズムに依存したビジネスモデルだ。

冷静になって俯瞰的に考えてみると、こういったWebマーケの手法は常に変わり続けるし、その変わり続けるトレンドに常にチューニングし続けなければならない。それはそれで必要な作業だと思いつつ、「基礎体力を作る」というような意味合いはかなり薄いのだろうなと思う。

常にゲームの攻略法を探すことに血眼になっている人たちがこの業界にはたくさんいる。そして「俺は新しいゲームの攻略法を見つけたぜ!」とドヤ顔しているが、一年後にはGoogleの検索アルゴリズムのアップデートの影響を受けてアクセスが激減し、メディアが潰れるなんてことも普通にあるのだ。

「攻略法発見した俺スゲー」みたいな話ばかりで、本質的に「良いコンテンツを世の中に届けよう」というフレームの話がまったくない。Googleの掌のなかで永遠に踊り続けるのだろう。

ちなみに、SEOの攻略法は、要はこの2つだ。

  • 本業で社会的・世間的な定評を得ること(権威性の獲得)
  • それにまつわる専門的なコンテンツを自社サイトにアップし続けること(ブランドジャーナリズムとコンテンツマーケの合わせ技)

クリティカルには、本当にこれだけだと思う。特に2番目が、「メディア野郎」にとっては歓迎できない事態だ。要はGoogleのメッセージは「自社事業に紐づくサイトコンテンツは専門誌化せよ」ということなのだ。

要は新聞や雑誌などは情報の誤配こそが魅力だったのだが、専門誌化をしていくと誤配が起きなくなる。メディアならではのミラクル――「これ知らないし興味もなかったけど楽しい/面白い!」――がなく、Googleの傘の下で専門性を尖らせることに突き進むほかない。現状のGoogleのアルゴリズムの進化の方向性のなかでは、雑誌的な誤配の魅力は「ノイズ」なのだ。

そうすると、メディア企業以外の会社のサイトにアップされるコンテンツは特定の分野に突き進むほかない。もっと最悪の事態を想定するなら、会社が事業のポートフォリオを組むことにも及び腰になっていく可能性がある。

もちろんGoogleがなぜそういう方向に突き進んでいるのか、擁護することは可能だ。彼らはまだ現状、ノイズを拾いそれを評価するところまで手が回っていないのだと思う。そのうち情報のノイズすら適切にインデックスするようになるだろうが、それは10年ぐらい先の話だと思う。まあ10年後は、こういう「Googleの都合でしかない」ことに振り回されるということに対して、アンチを唱える何らかの潮流が起こっている可能性のほうが高いのかもしれないけれど。

タイムレスなコンテンツ

一方で、ある種の伝統的な、SEO等のWebマーケの世界とはあんまり関係のない、「良い文章を書く力」は、周辺環境が変わろうとも常に求め続けられる。ある種の共感性を担保しつつ、独特の切れ味や切り口・視点を感じさせるコンテンツが相対的に再浮上しているのを感じている。

まぁこれはいわゆる、Webライター的な意味ではない意味でのコラムニストやエッセイストの仕事である。昔の雑誌にもよく載っていたファンがついているようなタイプ、例えばブックマークで訪れてくれるような人が多いようないわゆる雑誌的なファンがついている媒体には、こういったコンテンツが載っていることがわりと多い。

言うまでもなく、そういったコンテンツの方が、「すぐに役立つ!」みたいに銘打っているものよりもはるかに、タイムレスで価値がある。

※ちなみにこんなこと考えて書いている直接のきっかけは、ライター・編集者のヒラギノ游ゴさんのDRESSでの連載を週末の夜にパラパラと読んだことである。

しかしWebマーケの文脈では「即効性があります!」と銘打つもののほうが簡単にPVが取れる。(コンバージョンはまたちょっと別である)

率直に言って、僕個人はそれをとても残念なことだと思っている。「即効性があります!」というものはいつでも作れるが、実際にはそんなものは、ほとんど役に立たない。詐欺のようなコンテンツを世の中に流通させるのは、自分のなかの倫理観がそれを許さない。Webの世界に入ってからはかなり妥協点が下がったが、しかしそればかりやっていると読者の信頼を失い、長期的にファンが減っていく。だから結局は、短期的に数字を追い求めて欺瞞を行うべきではないのだ。

それはさておき、今の自分は、タイムレスなものを書く訓練をほとんどしなくなっている。それには、危機感というほどのものではないが、ぼんやりと不安を感じている。緩やかに壊死していくような感覚だ。ただし、そういう訓練の場は今、自分の力で確保している。書き手としてはそれでいいのだろうが、メディア運営をするということはまた別の話だ。

お金になるならないで最初の段階で判断せず、「このコンテンツはいいのか悪いのか」「面白いのか」「興味深いのか」そういった掲載基準を通るようなコンテンツは、やはりSEOやWebマーケの文脈や発想からは出てきえない。

WebマーケやSEOの発想自体を知ることは大事だが、その限界を把握して、オルタナティブを構想しなければいけないと思う。

そして暫定的に言ってしまえば、そういうことをやってもすぐにビジネスにつながるわけではない。そういうものはインディーズというか、同人誌的な空間で実験をするしかないんだろうな、ということを、今はなんとなく思っている。(了)

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