今週もいろいろ仕事が忙しく、なかなか執筆なども進められていないのですが、「忙しい」を理由に家に引きこもっているのも効率が悪いなと思い、朝から自転車で神保町に向かい、岩波ホールでドキュメンタリー映画『ゲッベルスと私』を観てきました。
まずは予告編を貼っておきます。
ヨーゼフ・ゲッベルスというのはナチスの宣伝大臣で、ヒトラーのプロパガンダやメディア戦略立案を担当したことで有名な人物です。ナチスはとにかく宣伝がうまかったわけですが、その中核的な役割を果たしたのがゲッベルス。
そしてナチス政権下でそのゲッベルスの秘書を務めたのが、この映画の主人公であるブルンヒルデ・ポムゼルさん。1911年生まれで、映画製作時は存命だったのですが2017年1月に逝去されたそうです。
この人のインタビューをとおして、戦時期ドイツの社会や、ゲッベルスという人物の実像に迫っていこうという企画です。
岩波ホール初体験
この映画が上映されているのは、東京だと神保町にある「岩波ホール」のみ。僕は今回はじめて訪れました。
もともと岩波ホールは、シネコンだけでは拾いきれない「良質」な映画(ヨーロッパ映画など)を上映するというのがコンセプトのようです。
僕が行ってきた際は、館内や予告映像などでジョージア(グルジア)の映画の紹介が行われていました。そもそも「ジョージア映画」というものの存在を知らなかったのでその時点でまずビビりました。予告編みたかぎりではわりと観たいです。
参考記事:51 年の歳月を経て、ジョージア映画の不朽の名作『祈り』 日本初公開! – SCREEN ONLINE(スクリーンオンライン)
岩波ホールの入口はこんな感じ。
七夕なので短冊が飾られているのですが、短冊で「忖度」が批判されていて、「そっか、そういう場所なのか……」と思いました。
入口からすぐの場所にチケット窓口があって、そこでチケットを買って10階に上がります。
客層について
劇場に入ってみると、日曜の午前中ということもあって、半分ぐらいは埋まっていたでしょうか。年配の方が多かったです。なんというか、「岩波文化人」的な感触。これはもう勝手なイメージなのですが、「丸山真男の『日本の思想』は当然読んでいる」、という方が多そうです。絶対に選挙には毎回行っている「意識の高い近代人」だなと。
最近の著者なら小熊英二さんの本とかを読んでいる感じではないかと思いました。
もちろんそういうクラスターが存在するということは知識として知ってはいたのですが、これだけ一同に会している姿はあまり見たことがなかったので新鮮でした。僕のようなアラサー以下のお客さんは本当に数人程度です。
そもそも僕は、この映画が上映されていることを毎日新聞の記事で知りました。
参考記事:特集ワイド:「ゲッベルスと私」 全体主義描いた映画、続々公開 同じ過ちを犯さぬために – 毎日新聞
僕は子どもの頃に手塚治虫の『アドルフに告ぐ』を読んで、それがめちゃくちゃ面白く、今も戦前の日本やドイツの社会に非常に関心が強い人間なので、こういう作品が出るたびにせっせと足を運んでいます。
この映画のタイトルだけでピンと来ているというのは当然、ゲッベルスという人物を知っている人たちです。ヒトラーだけでなく、ゲッベルスやヒムラー、レームやゲーリングやボルマンなど、ナチスの主要人物はなんとなく把握しているという(無駄に)リテラシーの高い層。
まあなんというか、自分も含め、お客さんたちは非常に「意識の高い」層だな〜と改めて感じつつ、「日本社会からちょっと浮いている層」だな、とも思いました。
映画の内容について
邦題は『ゲッベルスと私』となっていて、映画の語り手もゲッベルスの元秘書なのですが、実際に観てみると主題はゲッベルスではありませんでした。
原題が「A German Life」というものなのですが、内容としてはたしかに「あるドイツ人の人生」でした。正確にいうと、「ナチスドイツ政権下で単に仕事をしていただけの平凡な一般人の人生」が語られています。
デートでどこに行ったか、とかですね。ただそのデートに行った場所が、ナチスの集会だったりするだけ。「スポーツ宮殿(Wikipedia)」とかにデートに行ったりしたということが語られていて、「なるほどな〜」となりました。それが当時のドイツ人にとって、本当に普通だったということなのでしょう。つまり、邦題の『ゲッベルスと私』というのは引っ掛けで、主題はゲッベルスというよりも、「ゲッベルスのもとで働いていた普通のドイツ人であるポムゼルさんの人生」なのでした。
あと、事前にネットで、「この人(ポムゼルさん)はすごい無責任だと思った」という感想を見かけていました。
で、実際に見てみて「たしかに無責任だな〜」と思いつつ、とはいえ現代に生きる我々はこの人を責めることができるのか、いやそれは難しいな、というのが僕の感想です。
ポムゼルさんは映画の語りのなかで、「現代に生きる人たちは、『自分だったらナチス政権に対して抵抗できた』と言うが、そんなことは無理だ」ということを再三強調していました。
「アイヒマン実験(または「ミルグラム実験」Wikipedia)」「スタンフォード監獄実験(Wikipedia)」という有名な心理学実験があります。これらの実験はざっくり言うと「特定の状況下に置かれると、人間は良心の呵責なく平気で残忍なことに手を貸してしまう」ということを示しています。
たぶん、ポムゼルさんのような状況に置かれたら、現代に生きる人間の多くは、同じようにナチスの蛮行に対して抵抗せず、手を貸してしまうのではないか。少なくとも、「自分はそうはならない」と簡単に断言できてしまう人であればあるほど、むしろ簡単にポムゼルさんのようになってしまうんじゃないか。そんなことを思いました。
とはいえ、自分でも奇妙なのですが、前半で述べたように、岩波ホールに『ゲッベルスと私』を鑑賞しに集まる「岩波文化人」の「意識の高さ」に対して距離感を感じつつ、こういうものにちゃんと関心をもつって、悪いことはそんなにないなと思ったんですね。
逆に、そういう「意識の高さ」みたいなものに対して、「ハイハイ左翼乙」と脊髄反射的に軽んじるというような感覚のほうが、むしろナチス政権下のポムゼルさん的な心性に近しいのではないか……と。
もちろん、ここに来ている人は「近代人」すぎる。もっとエンタメな映画を観ればいいのに。
……という気持ちはありますが、自分がポムゼルさんにならないためには、こういう「絶対につらい気持ちになるもの」に対しても、ときおり接しておくことって大事だし、単に「自分の気持ちのいいもの」だけに接し続けることを良しとするというのも、なんか違うのかなということを思いました。
おわりに
まあ正直、自分のなかでもまとまりはないです。
「岩波文化人」的な人たちは、(自分も含め)こういう「考えさせられるもの」が好きで、その快楽のためにこういうものを消費しているという側面も、なくはないかもしれない。
とはいえ、人の生き死にについて、政治的なことがらについて、過去の出来事について、ときおり真剣に考えてみる時間というのもまた、(近代人という意味ではなく)きわめて「人間的」な行為なのではないか、ということを思いました。
岩波ホールでは8/3まで上映しているそうなので、もし興味のある方はぜひ。
ちなみに、ナチス政権について時代背景や歴史的展開などを体系的に知りたいという方は、こちらの本がおすすめです。
(了)
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