前回は、本のタイトルにもなっている「アーシューラー」とは何かについて解説しました。今回は、本書での研究がどのように遂行されたのかについて書いていきます。
人類学的フィールドワークの特徴
文化人類学という学問の特徴の一つに長期間のフィールドワークがあります。 最近刊行された『質的研究アプローチの再検討』(勁草書房)で、私は文化人類学の方法論についての短いコラムを担当したのですが、その中で次のように書きました。
人類学におけるフィールドワークとは,予め定められた特定の対象についての調査というよりも、まずは調査者にとっての異文化での生活そのものであり、その中で研究対象を試行錯誤しながら絞り込んでいくこと、あるいは問題とすべき対象が不意に浮かび上がってくる体験自体をも含みこんでいる。フィールドにおいて調査者は現地の人々とのやり取りを通じて、予め抱いていた先入観を修正していく。その意味で、フィールドワークには調査者自身の価値の変容が伴っているのだ。
谷憲一2023「方法論の定式化に抗する人類学」井頭昌彦編『質的研究アプローチの再検討』p. 271、勁草書房。
通常、調査といえば調べる問いがまずあって、それを明らかにするような方法を選択し、データを集めて分析・考察し、問いへの答えを導くというのが一般的です。論文や研究書はそのようなフォーマットで書きますし、私の本の研究もそのように読むことができるでしょう。前回説明したように、現代イランで行われている宗教儀礼に着目しながら国家と宗教の関係を明らかにするという目的に従って、イランでフィールドワークを行い、さまざまな儀礼の参与観察を行ったり、関係者にインタビューをしたり、関連する文献を読んでいった、という直線的な過程として本書は書かれているわけです。
けれども、その問い自体は、私がイランでフィールドワークを始めた時からあったわけではありません。宗教に対する漠然とした関心を抱きながら、イランで生活して人々とかかわりあう中で、問いも具体化し、また調べなければならないことが見えてきたわけです。
そういうわけで、今回はまだ明確な問いが定まっていなかった段階のイランでの生活を振り返ることで、本書ができあがる過程について書いてみたいと思います。
テヘランでの生活とホセイン追悼儀礼との出会い
以前、テヘランで家を借りた話について書きました。2015年から2017年にかけてテヘランの南西部に位置する地区で2つの家を借りて住んだという話です。この地区に引っ越したことは、本書のプロジェクトを開始する決定的な出来事でした。
もちろん引っ越す前から、前回説明したアーシューラーの儀礼について、シーア派の特徴をなすといった知識はありましたし、実際に一部の地区で行われている儀礼を観たり、参加したりしたことはありました。けれども居住した地区で行われている儀礼の規模と迫力は圧倒的で、それまで儀礼に対して私が抱いていた考えを大きく変えるものだったのです。
ちょうど引っ越した時期が、ムハッラム月が始まるときでした。アーシューラーというのはこの月の10日目で、この地区ではムハッラム月が始まった時から街中が装飾されはじめます。鉄パイプで大きく骨組みしたところに、イマームの名前や宗教的なフレーズの書かれた横断幕が張り出され、行進に使われるアラーマトという金属製の器具がおかれます。屋台も設置され、道行く人に紅茶が配られます。
夜になるとあちこちで路上行進が始まります。地元の人々がそれを見に来るので外はとても賑やかになります。私の家のすぐそばでも近隣の人が集まって行進の準備をしていたので、見に行くことにしました。眺めていると、一緒に参加するように声をかけられたのでした。私自身は彼らのことを個別に認識できていなかったのですが、近所に住む日本人の私の存在は、彼らにはすでに知られていたわけです。「テヘラン大学でイランのことを研究している」という自己紹介をしたら、儀礼のことについていろいろと教えてくれたのでした。こうしてアーシューラーの儀礼を外から眺めるだけではなく、参与観察する道が開けていきました。
胸叩き集会への参加
儀礼はヘイアトという血縁や地縁や職業集団に基づく団体によって運営されます。私が住んでいた地区には、各路地ごとにヘイアトがあるのではないかというほどの数のヘイアトがあり、それぞれが独自の活動をしています。アーシューラーの調査をするうえで、一つのヘイアトだけを観察するだけでは、共通点や特殊性がわかりませんので、他のヘイアトにもなんとかして入りこむ必要がありました。
先に取り上げたヘイアトは家が近いということで、すぐにメンバーの中に受け入れられたのですが、他のヘイアトとなるとそうはいきません。いきなり正面から訪ねて行って参加を申し込んで、もしかしたらうまくいくかもしれませんが、よそ者として警戒される可能性もあります。そんな中で偶然にも、とあるヘイアトの成員と親しくなる機会がありました。たまたま家の近くのガフヴェハーネに入って水たばこを吸っていたところ、実はそこは儀礼に参加している男たちのたまり場となっていたのです(「水タバコをめぐるポリティクス―現代イランにおける喫煙の作法と法規制の行方」大坪玲子・谷憲一編『嗜好品から見える社会』参照)。こうして第二章で取り上げている、毎晩、胸叩きを行うヘイアトにも入りこむことができるようになりました。
偶然の出会いから生まれる調査
ここまで、二つのヘイアトとの出会いについて書いてきました。ポイントはどちらも私がテヘランで生活するなかで、偶然調査する機会が生まれたという点です。もしほかのヘイアトと出会っていたら、そっちを調査していたでしょうし、そこで別の種類の儀礼が行われていたら、第二章は胸叩きではない儀礼を取り上げて、全く別の議論をするものになっていたかもしれない、ということです。
冒頭の引用で、「予め定められた特定の対象についての調査というよりも、まずは調査者にとっての異文化での生活そのものであり、その中で研究対象を試行錯誤しながら絞り込んでいくこと、あるいは問題とすべき対象が不意に浮かび上がってくる体験自体をも含みこんでいる」と書いたのは、このことを指しているわけです。フィールドワークをしている段階では、本書とは別な形での調査の可能性に開かれていたわけです。今回の記事は、そんな本書の舞台裏に焦点を当てました。
拙著『服従と反抗のアーシューラー: 現代イランの宗教儀礼をめぐる民族誌』(法政大学出版局)は、2023年4月11日発売予定です。(了)
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