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人類が求める戦いの興奮は「サトシからピカチュウへ」回帰していく? エリアス『スポーツと文明化』を読み解く(4) | にどね研究所

人類が求める戦いの興奮は「サトシからピカチュウへ」回帰していく? エリアス『スポーツと文明化』を読み解く(4)

カルチャー

さて、これまでノルベルト・エリアス、エリック・ダニング『スポーツと文明化』について解説してきました。今回は4回目です。(これまでの『スポーツと文明化』の記事一覧はこちらへ)

スポーツの発展過程

さて、少し間が空いてしまったが、前回までは古代ギリシアにおける美の基準と「徳」ということを見てきた。ここからは主にスポーツについて述べた部分に注目して考えていきたい。

「スポーツ」特有の行動をしている選手たちのルール、組織、関係、集団の際立った特徴が時間が経つにつれてどのように発展したのであろうか。これこそ明らかに、時間的経過のなかで、集団関係、集団活動の特殊な構造が、個人としてあるいは集団として参加している人々がだれも長期にわたる自分たちの行動の結果を意図し、予測したわけではないのに、何代にもわたって多くの人間の行動や目的の合流によって発展することになったまさにあの過程のひとつであった。したがって、もしスポーツの出現を単に歴史的な問題としてではなく、発展的な問題と見なすなら、それはただ単に表現の方法だけではないのである。歴史の本では、スポーツの歴史はしばしば、少数の人々による一連の偶然に近い活動や決定の偶然として説明されている。ゲームの「最終的な」、「成熟した」形態に至るように見えるものが脚光を浴びている。「最終的な」パターンとは違っているもの、それと対立するものはしばしば無関係のものとして忘れ去られている。スポーツの成熟した形態の発展は、お分かりのように、もしそれをごく少数の名前の知られた人間や集団の活動や決定の偶然の寄せ集めと大雑把に見なすなら、十分に説明することはできないのである。

(ノルベルト・エリアス「スポーツと暴力に関する論文」『スポーツと文明化』224-225ページ)

これは一見何を言っているのかわからないように思えるが、意外とシンプルである。要するに、ここでは「スポーツ創世神話」に批評が加えられているのである。どんなスポーツでも、Wikipediaでその歴史を検索してみると、何かしら創始者がいて、その人の功績が讃えられている。これは要するに「政治史」としてみるか「社会史」として見るかの違いである。

多くの場合、歴史を学ぶというのは「偉人の名前を覚える」ということを意味する。大ざっぱにいえば、人名で記述される歴史が「政治史」である。しかし歴史というのは、一人の人間の意図や行動だけで進むわけではない。さまざまな社会的状況、人類史的な過程のなかで、うまく状況と折り合いをつけた現象が大きくなっていく。そういった動態を見ていかなければ、歴史を知る、考えるとは言えない、というわけである。

ゲームがその発展過程において独特の均衡状態で達するかもしれないということは、この種の研究を進めているうちになされた発見のひとつであった。そして、このような段階に至ったとき、ゲームのそれ以上の発展の全体的構造は変わるのである。というのは、ゲームが「成熟した」形態に、あるいはそれがどのように呼ばれようとも構わないが、ともかくそのような形態に到達したということは、発展がすべて終わったことを意味しているのではない。つまり、そのことはただそれが新たな段階に入ったということを意味しているだけである。

(ノルベルト・エリアス「スポーツと暴力に関する論文」『スポーツと文明化』226ページ)

ここでもやはり、スポーツというものを「動態」として捉える視点が提示される。野球を例に考えてみると、野球の直接的な祖型は中世イギリスまで遡ることができるが、約100年ほど前にアメリカで、ほぼ今のルールに整えられた。100年間、大まかなルールは変わっていないとも言えるが、この100年で野球は大きな発展を遂げ、その様子はおそらく100年前と比べてかなりの変貌を遂げているはずである。

こうした変化の速さは、言語の変化の速さとも似ているかもしれない。100年前の書物はも読めなくはないが、ある程度古文や漢文の知識がなければ読み解くのが難しい。そういった基礎知識を勉強していない人からすれば、相当読み解くことが難しいものにはなってしまう。

スポーツも、文化として見たときに100年前とはかなり違うものになってきている。動態として、つねに動き続けているのである。

勝利至上主義の発生

現代のスポーツをめぐる言論でしばしば問題になるのが「勝利至上主義」である。スポーツ本来の価値よりも「勝利」だけを追求してしまい、暴走するという構図はよく見られる。エリアスは勝利至上主義の発生を以下のように描写する。

 比較的小さな地元の選手団、あるいはその後援者が自分たちのルールを作ったときのように、スポーツの試合が発展の初期段階にあったとき、選手が観客の要求に応じてルールを改正することは比較的易しかった。ところが、国家的組織がルールの制定者になったとき、選手のルールに従おうとする傾向と、それを巧みに回避し乱用しようとする傾向の両極性は、その相対物を新たなレベルで、ふたつの異なる集団、つまり一方では国家的組織の中心におけるルールの作成者、他方では選手たち自身の両者の両極性のなかにもつことになった。前者は、ゲームの全体的な状況、およびそれと一般の観客との関係を考慮してルールを制定した。しばしば権力の中心から離れ、ゲームに勝つ自らのチャンスに関心を抱いている後者は、逃げ道を捜したり、ルールの制定者の意図を巧みに回避したりして、すべての言葉による規則の融通性を利用した。

(ノルベルト・エリアス「スポーツと暴力に関する論文」『スポーツと文明化』229ページ)

ここでいう国家的組織は、サッカーのルールを最初に定めたイングランドサッカー協会(FA)のことが念頭に置かれているのだろう。どの競技スポーツも今は、中央的な競技団体が存在し、そこがルールの制定をおこなっている。ローカルルールのようなものは、本来もう少し自由に存在してもいいはずだが、「国家的組織」の存在を誰もが無意識のうちに前提しているいま、そのようなことはなかなか起こらない。オリンピックに入るような種目は特に、である。

一方、スケートボードやスノーボード、パルクールのようなストリートカルチャーの場合、球技などにくらべて意外とそのあたりのルールが融通無碍であったり、あるいは「そもそも中央団体のような組織がルールを決めるのは邪道」という認識もあったりする。脱中心性(分散性)、ローカリズムを志向しがちなのである。

だが球技をはじめとした近代スポーツの場合、ほとんど中央団体のようなものがあり、ルールも比較的厳格だ。そのため、選手たちはルールの抜け穴を探すのに躍起になる。中央集権的な統制は、むしろ「勝利への欲求」を高め、勝利至上主義が亢進してスポーツの文化性が後退していく端緒にもなりうる、といえるだろう。さらにいえば、こうした勝利至上主義の亢進と、スポーツの商業性の拡大はパラレルな関係にあるようにも思える。中央団体のあるサッカーや野球はビジネス的にもとんでもない規模に拡大している。だか、ストリートカルチャーであろうとしているものは、あまり商業的な拡大を見せないのである。

エリアスはなぜ狐狩りに注目するのか?

エリアスがスポーツの原初形態として注目するのが、イギリスで近世におこなわれていた「狐狩り」である。

狐狩りの習慣は、狩猟家がいかなる武器も使わないことを要求した。狐を打つことはなぜ重大な社会的罪とみなされたのか。武器を使うことはなぜ狐狩りをする紳士にたちにとって相応しくないと思われたのか。狐狩りをする紳士たちは、いわば代理人をもって狐を殺したのである――つまり狐を殺す作業を猟犬に委任したのである。

(ノルベルト・エリアス「スポーツと暴力に関する論文」『スポーツと文明化』234ページ)

狐狩りすなわちスポーツハンティングのクライマックスは、普通の人であれば「狐を仕留めるとき」であるとイメージするだろう。ところが、ある時期からイギリスの狐狩りはクライマックスを猟犬に委ねるようになった。

エリアスは以下のようにも述べている。

獲物を追い詰めて殺す機能の重要な部分を人間が猟犬に委任することによって、さらに狩りをする紳士が綿密で、自ら課した抑制の規律に従うことによって、狩猟の楽しみの一部は視覚的な楽しみになったのである。自分が狩りをすることから引き出される快楽は、だれかに狩りをさせるのを見る快楽に変わったのである。
 イギリス式のキツネ狩りの習慣と初期の狩猟携帯を比較することによって発見される狩猟方法の変化の方向は、文明化の勢いの一般的な方向を非常に明確に示している。肉体的力の行使、特に獲物を殺すことに対する抑制がますます強化されること、さらに、これらの抑制の表現として、暴力を行使する際に得られる快楽を暴力が行使されるのを見る際に得られる快楽に置き換えることは、人間活動のほかの多くの領域における文明化の勢いの徴候として観察される。これまで示されてきたように、それらはすべて国家の中枢機関の代表による物理的権力の増大、もしくはその増大する有効性、およびその独占に関連する一国家のより多くの和解を促す動きに結びついている。それらはさらに、国家の内部的和解と文明化の最も重要な側面の一つと結びついている――つまり、これらの中枢機関の支配を巡ってくり返し行われる闘争から暴力の行使を排除すること、さらに、それに伴って生じる良心の形成と結びついている。

(ノルベルト・エリアス「スポーツと暴力に関する論文」『スポーツと文明化』235-236ページ)

「良心の形成」という観念は重要であると思われる。狐狩りの時代の人間たちは、自分たちも馬などに乗って肉体を行使はしていたが、とどめは猟犬に委ねた。残酷な行為そのものは自分でおこなわずに動物に代替させたわけである。良心のレベルが時代を追うごとに上昇した(あるいは、してしまった)からである。

狐を殺すことは簡単であった。狩猟のすべてのルールは、狩猟をあまり簡単にしないように、競技を長引かせるように、勝利をしばらく延期するように考案された――それは、狐を即座に殺すことが不道徳で、不公平だと感じられたからではなく、狩猟それ自体の興奮が狩猟に加わっている人々にとってますます快楽の主な源になったからであった。狐を撃つことは厳しく禁じられていた。(中略)狐を撃つことは、それが紳士たちから狩猟の緊張を奪うがゆえに、罪であった。それはかれらのスポーツを台なしにしたのである。

(ノルベルト・エリアス「スポーツと暴力に関する論文」『スポーツと文明化』241ページ)

こうした狐狩りのなかで重要なのが「緊張の持続」というものである。いきなり狐を猟銃で打って殺してしまっては、すぐに終わってしまうので緊張が持続しない。人間たちと猟犬がともに狐を追いかけ、最後に猟犬が狐を殺すことによって狐狩りはクライマックスを迎える。狩りのはじまりからクライマックスまで、ある程度の緊張の時間が持続しなければ、クライマックスの「解放」の喜びを味わうことはできない。そういった感覚をベースにして、狐狩り以降のスポーツの楽しみは、ルールの制定などによってしだいに固まっていくわけである。

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