少し思いついたことをメモ的に。あとでどこかで、これをヒントに文章にまとめるかもしれない。
小松成美の『中田英寿 鼓動』は名作なのだが、続編の『誇り』はなんとなくダメだった。サニーサイドアップの広報的側面が強く出ていた印象がある。そもそも中田がブログを書いていたnakata.netは「メディアにコントロールされたくない」というオウンドメディアの走りでもある。
「小松成美の功罪」は検証するのが難しい。スポーツノンフィクションとしては山際淳司よりもマシだと思うけど、当初は「スポーツ選手の神格化→人間化」みたいなベクトルだったものが、結局のところ「芸能人のPR課題の解決」に回収されてしまっている。スポーツ選手は芸能人なのか?
スポーツ選手は芸能人かといわれるとそうとも言えるけど、違いは、スポーツの娯楽・健康増進という意義を広める旗頭という意味合いも、最初はあったということ。
芸能人にも「演じること、歌うこと、踊ることの楽しさを伝える」という側面もあってもいいとは思うけど、現状ではそれはあまりない。スポーツ選手と芸能人は、ほぼ一緒だと思うけれど、社会から期待される活動の内容が少し違っていたということかな。
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