夏の甲子園が中止になった件

(Do) Sports

コロナの影響で、今夏の甲子園が中止になったそうだ。

夏の甲子園大会は中止 代表49校を決める地方大会も:朝日新聞デジタル
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夏の全国高校野球 戦後初の中止決定 新型コロナ影響 | NHKニュース
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それに伴い、甲子園の予選にあたる各地方大会もなくなる。高校3年生にとっては最後の夏の大会なので、集大成の場がなくなってしまった。

僕も元高校球児なので、3年生にとってはたしかに残念なことだろうなぁ、とは思う。

しかし……という話をしたい。

でも、気になる、「させてあげたかった」という表現

この種のニュースへの反応で気になるのが、「させてあげたかった」というものが多いこと。高校野球にはこの表現が頻出する。

「させてあげたかった」

「やらせてあげたかった」

ここに実は、今の高校野球の問題が凝縮されていると思う。

そう、高校野球とは「させてあげる」ものなのだ。自分で掴み取って、やるものではないのだ。

スポーツなのに、なぜ???

そういう当たり前の疑問が、大人たちにも、球児たち自身にも、浮かんでこない。それが一番の問題だと僕は思う。

高校生のときに気づかなかったこと

夏の大会は、都道府県大会から、大きな球場でプレーできる。

僕は神奈川県だったのだが、秋と春のブロック予選では高校のグラウンドを使用し、ブロック予選を勝ち抜いて県大会に出るとようやく、球場で試合できる。

しかし、夏の大会はすべて、球場での試合だ。

プロが使う球場だけでなく、立派な地方球場を予約して試合をするのは大変。そういったことは、都道府県の高野連のおじさんたちがやってくれているのだ。そして「高校野球だから」とみなが協力してくれる。

だが、たとえば大学になると、大学野球は基本的に学生主導で、スケジューリングや球場の予約もやる。

大人の軟式野球もそうだ。グラウンドの抽選に参加し、対戦相手を募る。大会があれば自分たちで参加し、結局スケジュールやグラウンド予約もやる。

僕がそこで感じたのが、そういった裏方仕事も含めてスポーツなのだということだ。

なかなかうまく試合が組めないなかで、同じリーグのチームの主務と相談しながら、なんとか開催に漕ぎ着ける。そこで試合をする。試合が終わって、勝った負けたは決まるが、そういう過程を経ると、試合をしてくれた相手は「敵」ではなく「仲間」になるのだ。

綺麗事に聞こえるかもしれない。しかし、こういった感覚は、スポーツの素晴らしさを構成する、もっとも重要な要素のひとつだと思う。

だが・・・僕が中学生・高校生のときは全部、大人たち、または先生たちに「やってもらっていた」。

夏の大会が中止。じゃあどうする?

僕はこの答えは明確だと思う。

自分たちで大会をやればいいのだ。

・・・おいおい、高野連の判断を無視するのか? という話になるかもしれない。

しかし中止の判断は、「全国大会」はやめようということだ。規模が大きくなればなるほど、移動の量も多くなるし、全国大会なら宿泊も必要になる。

「プロや、大学や実業団野球を目指している子たちの発表の場がなくなるじゃないか!」

そんな意見もあるが、プロになるかなれないか、という高校球児は、本当にごく一握りだ。また、そもそも、プロ野球はまだしも、「野球」で大学や企業チームに行くというのも本来はちょっと変な話のはずだ。大学は勉強をしに、会社は仕事をしにいく場所なのだから。

まあ、そういう原則論は置いておいても、そうやって「野球で進路が決まる」のは一握りであって、そういう人たちのためには、プロ・大学・社会人がそれぞれ、テストの場を設けるだろう。

大多数の高校球児は、そういうものとは縁がない。

でも、せっかく高校で2年と何ヶ月か頑張ってきたのだったら、発表の場がほしいのだったら、「自分たちでつくる」ということに、挑戦してみてもいいのではないかと思うのだ。

・・・・・・・

ちなみに、高野連自体は、各都道府県で独自の大会を行うことを妨げない、または可能なら財政的支援もするのだそうだ。

夏の甲子園中止で高野連 独自開催の地方大会財政的支援約束 - スポニチ Sponichi Annex 野球
 日本高野連と朝日新聞社は20日、「第102回全国高等学校野球選手権大会」(8月10日から16日間、甲子園)の運営委員会(web会議)を開き、同大会と出場49代表を決める地方大会の中止を発表した。新型コロナウイルス感染拡大から、選手、関係者、観客などの安全と健康を守るための決定。理事会で中止決定を承認した。

だからおそらく、各都道府県での地方大会は開催されることになる。

でも、たとえそうであっても、せっかくなら、高校球児たちが自分たち自身の手で、大会の運営に携わる機会にしてみたらどうだろう。

自分たちでやってみたら、自分たちが当たり前に享受していた野球の大会が、開催するのがいかに大変なことかが実感を持って理解できるはずだ。そうやって、スポーツの大変さと素晴らしさに気づける、そして自分たちがいかに、いままで周囲の大人たちに支援されていたか、そういうことに思いをめぐらす機会になる。もし高校野球が「教育の一環」なのであれば・・・僕はそういうことも検討してみていいのではないか、と思う。

(追記)

そうそう、書いていて思い出したのだが、甲子園やインターハイは運動部の全国大会だけれども、文化部の全国大会では「全国高等学校総合文化祭(総文)」というものがある。こちらは、「生徒実行委員会」というものがあって、生徒たちの手で運営されているようだ。

野球だって、自分たちの手でできるはずなのに……こういう高校生自身での取り組みがあることをふまえると、高校野球はふだん偉そうな顔をしているわりには、自分たちでできていないので、なんかちょっと恥ずかしいなぁとも思ってしまう。

(さらに追記)

Twitterでちょっとバズったので宣伝……というのもあれですが、実は過去に、上記のような問題意識をもとに、PLANETSで「文化系のための野球入門」という連載を書いていました。しばらく塩漬けにしてしまっていましたが、ようやく構想がまとまってきたので、近々連載を再開できればと思っています。再開したらぜひそちらも読んでいただけますと嬉しいです!(もっともっとまとまったものになる予定です)

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