元日はファーストデーなので毎年映画を観るようにしていて、話題の『THE FIRST SLAM DUNK』を観てきた。
感想としては、上映時間を通してかなり退屈だった。たしかにアニメ初監督の井上雄彦のこだわりが独特の味わいになっているが、何よりも作品全体から伝わってくるメッセージ性の古さがとても気になった。ここからは試論的に「何がダメだったのか」を考えてみたいと思います。
『SLAM DUNK』という作品をめぐる「空気」
まず、Twitterを見ていて、文化人の人たちが「映画で初めてSLAM DUNKに触れた、マンガを読んでみたらめちゃくちゃおもしろかった」と書いているのに驚いた。漫画、アニメには詳しいけれどSLAM DUNKには触れていないというのは不思議だが、いわゆる「文化系」にそういう人は少なくないのかもしれない。
というのも、SLAM DUNKは「体育会系」とか「運動部活動」の象徴的作品であり、そういうものに拒否感を持っている人は無意識に(?)避けてしまうらしい。SLAM DUNKは漫画/アニメ的な文脈でも明らかに名作なので、それを避けてきていつつ「文化系」というアイデンティティを持つという感覚が、個人的にはいまいちピンとこないのだが……。文化系的教養主義を内面化しているはずなのに、「俺は漫画好きだからこそ、この作品を乗り越えなければならない!」「ムカついても読み切る!」とは、どうもならないらしい。
『SLAM DUNK』は、漫画・ゲーム大好きなインドア小学生だった自分が草バスケに混ざるきっかけになった作品だった。引きこもっていたけれど外に出るようになった人にとっての『ポケモンGO』ぐらいには、大切な作品だと思う。今の僕自身はそれなりにスポーツは好きだけれど、一方で大文字の「文化系」の人たちの持つ「スポーツや身体を蔑視していてOK、それで当然」という非対称性はあまりにアンフェアでは? と、常々疑問に思っている。
自分としては「文化系の人の過剰な体育会系蔑視」の意識に、おそらくそうとは自覚されていないのだろうが、非常に昏い差別性を感じる。かれらは普段は「自分たちはリベラル」「差別反対!」と言っておきながら、文化空間(SNSやメディアなど、批評や言論が展開される場)のなかで自分たちが振りかざすマジョリティ特権に無自覚なままである。そのダブルスタンダードに、薄ら寒さを感じてしまうのだ。
『THE FIRST SLAM DUNK』は現在、SNSを中心に「文化系」の人からも絶賛の空気になっている。まるで、戦前には「鬼畜米英!」「ぜいたくは出来ない筈だ!」「一億火の玉!」を唱えていた人が、戦後になって「これからは民主主義だ!」「ギブミーチョコレート!」「アメリカ、ありがとう!」と言い始めたような変わりようである。節操がないというか、何というか……。こういう180度の価値観の変化には、どうしても警戒感を抱いてしまう。
追記:「リアルの空間では体育会系が文化系を差別している」と言う人もいるが、それは果たしてスポーツ系の人のうち、どれぐらいの割合なのだろうか。ごく一部ではないだろうか? そのごく一部の悪質な連中を「体育会系の代表」と見做し、スポーツや身体まるごと蔑視する、ないしスポーツ選手やスポーツファンに対して偏見を持ち、いくら批判を投げつけてもOK、ということにはならないと思うのだが。ただし、スポーツの側も、悪質な「体育会系」の連中に対して、きちんと注意する(自浄作用を働かせる)ことも必要である。
絶望的なスポーツ観の古さ――『タッチ』と『熱闘甲子園』
さて、ここからは、作品の中身について考えてみたい。
『THE FIRST SLAM DUNK』は、事前情報でも出ていたとおり、湘北のレギュラーメンバーのうち唯一と言っていいほど掘り下げの薄かった宮城リョータを中心に据えた物語となっている。井上雄彦もリョータの「掘っていなさ」には後悔があったらしく、原作クライマックスの山王戦と交互に彼の過去が描かれる。
しかし、言っては悪いが「今さら『タッチ』か!?」と、その題材設定の陳腐さに絶句した。しかも、「できる兄を亡くした弟」というモチーフはあまりにストレートすぎる。そもそも『タッチ』では、「できる弟(和也)を亡くした兄(達也)」という、兄弟喪失ものとしてはやや変化球な設定が採用されていたからこそ、重層的な物語が展開されていた。
本来は達也が「越えられるべき兄」であるべきだった――それが真理ではないとしても、達也は世間のそういった「べき論」を完全にはねつけることができなかった。和也が亡くなってしまったあと、関係性の呪縛を自ら打ち破り、一人の人間としてそれぞれ自立していく達也、そして南の物語が『タッチ』だった。
しかし『THE FIRST』では、兄弟スポーツものとして『タッチ』にあったはずのそういった屈託がまったく消失してしまっている。ソータは、リョータの生を意義付けるためだけに、この世に生まれたのだろうか?
もっとも、こうしたプロットが採用されてしまった背景には、「熱闘甲子園的なもの」が無自覚に作り手(井上雄彦や周囲の制作スタッフ)の中に内面化されていることがあるのだと思う。「死んだ○○のために」というのは『熱闘甲子園』で繰り返されるスポーツ美談である。
だが僕の観測では、実際に誰か仲間の死を経験したチームは、現実にはいい意味でもっとドライである。まだ生きている自分たちの生をドラマチックに彩るために、他人の「死」を消費することをしない。それが、故人に対する思いをつなぐことであり、スポーツにとって重要な「リスペクト」の実践でもある、と受け止めるようになってきている。
自分なりの格言的なことを言えば、スポーツは生活であり、生活はドラマではない。仲間の死の悲しみ、それを抱えながらも自分たち一人ひとりの人生を歩んでいくしかない。過剰にドラマチックに自分たちの生を意義付けないこと、しかし亡くなった人も自分たちの記憶のなかで生き続けていること。そういう細やかな向き合いが、スポーツと「死」との関係だと思う。
スポーツの現場レベルでは「熱闘甲子園的なもの」への反省が、非常に自然なかたちで進んでいる。いまだに「熱闘甲子園的なもの」の問題性に無自覚なのは、メディア業界だけである。
NBAを高校生が(いまだに)やっている違和感
『THE FIRST』劇中で展開されるバスケも、日本の高校生としてはレベルが高すぎることに、改めて違和感を覚えた。もちろん原作には屈託がある。90年代当時、日本でバスケはまだまだマイナースポーツだった。だが、「高校生スポーツ」としてなら注目してもらえる。野球は甲子園の注目が高いし、サッカーは高校サッカーへの注目度が高かった。バスケを愛する井上雄彦は「NBAレベルのバスケを高校生がやる」という非現実的な物語を描くことで、その魅力を訴えたかったのだ。
『SLAM DUNK』ファンにはよく知られるように、主人公の桜木花道はデニス・ロッドマン(ないしチャールズ・バークレー)、流川楓はマイケル・ジョーダン、赤木剛憲はデヴィッド・ロビンソン(ないしパトリック・ユーイング)が、おそらくモデルになっているだろう。そして山王工業の沢北は、当時のNBAで破竹の勢いを見せていたオーランド・マジックのアンファニー・ハーダウェイが、ほとんど描かれなかった森重はシャキール・オニールがモデルであると言われている。
ここからは一旦有料にします。最近有料マガジンをやっていて、古典の読書ブログ(最近はノルベルト・エリアスの『スポーツと文明化』解題)などをやっていますが、ときどきこういうカルチャー批評系の記事も上げていく予定です。継続の糧にしますので、よろしくお願いします!
コメント