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野球にまつわる90年代の記憶――野茂、イチロー、プレイステーション、『メジャーリーグ』そしてマシンガン打線(文化系のための野球入門 番外編①) | にどね研究所

野球にまつわる90年代の記憶――野茂、イチロー、プレイステーション、『メジャーリーグ』そしてマシンガン打線(文化系のための野球入門 番外編①)

カルチャー

今回は少し、自分と野球の個人史的な関わりについて、おそらく「文化系のための野球入門」には文量的に入れられない話も含めて書いておこうと思う。というか、この文章はあらかじめある程度まで書いてあったのだが、パーソナルすぎて使えないし、かといってまったくどこにも公開しないのももったいないので、改めてまとめてみました。

アイキャッチの写真は、2013年にアメリカ南部・西海岸を周遊していて、サンフランシスコのAT&Tパーク(現オラクル・パーク)を訪れたときのものです。表情が固くてすみません…。

運動の苦手な小学生が好きなアニメ=『セーラームーン』『幽遊白書』、そして…

僕はもともと子どものときから本が好きでインドアな子どもだった。保育園は外遊びが推奨されるところだったのだが、他の男の子の強そうなタイプの子たちの乱暴な感じが嫌いであり、室内のほうが好きだったのである。

小学校に入ってからも、背が低く運動神経もよくなく、運動会のリレーの選手に選ばれたことは一度もない。

小学校に入学したのは1992年。ちょうどJリーグが始まった年である。周囲ではサッカーが大ブームとなっており、もともと運動神経の悪い僕は、サッカーにもあまり馴染めなかった。

しかし、読書や漫画・アニメは好きだったので、放課後は友達と遊ぶこともなく、地域の図書館で本を借りたり、家で漫画を読んだりして過ごしていた。母親が厳しく平日のアニメはなかなか観れなかったが、週に一回、土曜日の夜だけ母親が習い事でいないので、アニメを見ることができ、そのときに『セーラームーン』や『幽遊白書』などを好きになったのだが、あるとき同じ枠でスポーツアニメが始まった。『SLAM DUNK(スラムダンク)』である。

『SLAM DUNK』を見て僕のスポーツ観は一変した。スポーツというものが、現実の小学校のように、単に「運動神経がいい子が威張るためのイベント」ではなく、スポーツそのもののなかに、さまざまな楽しさや学びがあることを知ったわけだ。

やがて自分でもスポーツをやってみたいと思うようになり、ボールを買ってもらって、公園でバスケの練習をするようになった。当時『SLAM DUNK』は大ブームだったので、僕の周囲でも、男の子たちで集まって昼休みや放課後に小学校のコートを使って「草バスケ」をやっていた。そこに混ざるようになって、練習の成果もあってだんだんゲームで活躍できるようになり、友達もできた。「運動神経が悪くても、足が遅くても、練習すればそれなりにうまくなれる」「スポーツで友達ができる」ということを初めて知ったわけである。

1995年前後の「野球」をめぐる雰囲気の記憶

これは1994〜1995年頃の話で、日本野球史でいうと、オリックス・ブルーウェーブのイチロー選手が、その個性的な「振り子打法」を批判されながらも、当時歴代最高の210安打を放ってブレイクしたのが1994年。その年のオフに近鉄バファローズ(当時)のエースで、これまた個性的な「トルネード投法」がトレードマークの野茂英雄投手が、揉めに揉めたうえでメジャーリーグに移籍し、日本の野球界やマスコミから「裏切り者」と、壮絶なバッシングを受けていた時期だった。

野茂英雄のメジャー移籍への批判の言葉をデザインしたナイキの新聞広告。
野茂が移籍後に「凱旋」しておこなわれた日米野球のときの新聞広告(読売新聞1996年11月1日付)。野茂の移籍当初、日本のメディアは非常に攻撃的な批判を行っていた。その批判の言葉をデザインに入れているわけである。非常にアイロニカルでありつつも、スポーツ選手のチャレンジを応援するという意味で、スポーツメーカーのスタンスを社会的文脈のなかで表現した、よくできた広告であると思う。

野茂は1995年、移籍先のロサンゼルス・ドジャースで大活躍し、新人王を獲得した。その年の終わりには、昭和最後のスターで巨人軍の四番打者を務めた原辰徳が引退。今思うと、まさに野球の「昭和」が終わり、ようやく新しい時代が始まろうとしていた時代だった。

小学生だった僕は原辰徳のことを、引退のニュースが話題になるまでまったく知らなかった。小学校のクラスではこの話題で盛り上がっていたが、「なぜそんな話題を、みんなが知ってる前提で盛り上がらなければいけないのか」という反発心すら持っていたように思う。一方、イチローや野茂に対しては原辰徳に感じたような反発心はなく、「へぇ〜」と思っていた。

ちなみに少年野球というと、当時の僕の感覚では「ちょっと特殊な人がするもの」「親が野球好きで、子どもにやらせたいから入らされるもの」であって、そうでなければまず入るものではなかった。サッカーやバスケと比べると、野球は「敷居が高い」イメージがあった。そのときですら、すでに野球は「そういうもの」として見えていた。

プレイステーションの発売

1994年は、もうひとつ文化史的な「事件」があった。のちに世界中で1億台以上を売り上げることとなるソニーのゲーム機「プレイステーション」が発売されたのである。

我が家はアニメとともにゲームも禁止だったので、それまでゲーム機がなかった。しかし兄・姉や末っ子である僕の度重なる嘆願により、1995年のクリスマスにようやく導入された。そこで初めて自分の家でさまざまなゲームをプレイしたのだが、特にハマったのが『ワールドスタジアムEX』というナムコの野球ゲームだった。これは要するに『ファミスタ』のPS版である。

YouTubeにプレイ動画が上がっていました。

それまで野球はルールすらわからなかったのが、ゲームを通してルールを覚え、「松井とイチローという選手がすごい」ということを実感し、やがて実際に地上波テレビで中継している巨人戦や、それとうちにはいち早く衛星放送が導入されていたので、NHKのBSで放送されているオリックス戦を観るようになった。

1996年のプロ野球は、長嶋巨人が11.5ゲーム差の大差を逆転して優勝した「メークドラマ」の年である。松井秀喜・落合博満という球史に名を残す名打者、エース斎藤雅樹や新人王を獲得した仁志敏久の活躍、そしてバリバリのメジャーリーガーでありながらMLBスト(当時、年俸問題で球団側と選手側が揉めたことで長期ストライキに発展していた)や円高ドル安の影響などで巨人に移籍してきていたシェーン・マックなどがいて、ドラマチックな展開に満ちていた。テレビで見る当時の巨人の野球は、たしかに魅力的であったと思う。

弱小チームの曲者たちの逆襲を描いた『メジャーリーグ』

この時期にもうひとつ印象深いのが、映画『メジャーリーグ』である。弱小だったクリーブランド・インディアンスの落ちこぼれ選手たちの逆襲を描いたものだが、元ヤンキーでキレやすい豪腕投手「ワイルド・シング」ことリッキー、アラフォーのロートル捕手ジェイク、勝手にキャンプに潜り込んだが「足が速い」というだけで入団を許されたウィリー・メイズ・ヘイズ、熱心なブードゥー教信者のセラノなど、曲者ばかりが登場する。今思うと『ROOKIES』の元ネタでもあるのだなと思う。

『メジャーリーグ』は1989年、『メジャーリーグ2』は1994年の作品。U-NEXTで見ることができる。

そしてこの作品の続編『メジャーリーグ2』では、石橋貴明演じる日本人選手、タカ・タナカが登場し、ほとんど主人公級の痛快な活躍を見せる。特に、球団オーナーを丁寧な身振りで、日本語で罵倒するシーンがかなり面白い。

『2』の公開は1994年、つまり野茂の移籍前で、日本人のしかも投手ではなく野手がメジャーで活躍するというのは当時想像もできなかったが、その直後に現実になっていくわけである。

円高、日米貿易摩擦、MLBのストなどで、この時期のメジャーと日本プロ野球の格差は過去最小になっていただろう。MLBストで人気が低迷したアメリカ野球界に颯爽と登場した野茂は、現地でも「NOMOマニア」を生み出すなどブームを巻き起こした。野茂は「MLBの救世主」でもあったのだ。

さて、ここから先もそんなに大したことは書いていないのですが、一応有料にします! 有料マガジンについての考え方についてはこちら(サイト内でcodoc有料マガジンを始めます&Webにおける無料/有料コンテンツについての基本的な考え方)に書きました。基本的には応援的な感じで、「中野がなんかやってるみたいだから、毎月330円の激安ビール1杯ぐらいならおごってやってやるか」という方がいたら、ぜひ課金してください。

「守り抜くのではなく、打って勝つ!」マシンガン打線の精神性

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