イチローはしばしば「選球眼」ではなく「選球体」という言葉を口にしている。
たとえばノムさんもそのことについて書いている。
イチローはあえてボール球を打ちにいくことさえある。「頭では打てないとわかっていても、身体がひょっとしたら打てるぞと思う」そうだ。だからイチローは言う。
「ぼくにとっては、選球眼より選球体が重要」
目ではなく、身体でストライクかボールか、打てるか打てないかを判断するというわけだ。
野村監督が語るイチロー 私の予想のはるか上を行った天才【再掲】|プロ野球怪物伝|野村克也 – 幻冬舎plus
スポーツ社会学者の山本敦久はイチローのワンバウンドヒットに関して、このように述べる。
投球に対して「このボールは手を出してはいけない」と視覚と脳が判断しても、身体が動き出し身体が「打てる」と判断したら、そのまま体の反応に委ねるというものだ。
山本敦久『ポスト・スポーツの時代』岩波書店、2020年、60ページ
ワンバウンドヒットとは?
実際にMLB公式がワンバウンドの球をヒットにした例を集めて動画にしているのを見つけた。オリックス時代のイチローも出てくる。
これを見てどう思うだろうか?
僕は昔は「曲芸」だと思っていた。つまり「自分には関係ない(なぜならできっこないから)」というわけである。
しかし今思うのは、イチローの言うように「体が反応する」のであれば、そのような「選球体」を作ることも不可能ではないはずだ、ということだ。
素人にもできるビッグデータ学習
ビッグデータの時代になって、プロスポーツではデータ学習がかなり盛んになってきている。トラッキングされたデータをもとに自らのパフォーマンスを修正・向上させていくというものだ。
素人はトラックマンなども持っていないのでできない――と思ってしまいがちだが、実はビッグデータ学習に類することは誰にでもできると思い当たった。それはスマホを使って「動画を撮る・見る」を繰り返すことである。
最近僕は、自分の野球の練習の動きをたくさん動画に撮っている。iPhoneのストレージには入り切らないので、iCloudの2TBの月額1300円のプランを契約したぐらいだ。いつでも使える手軽なスマホスタンドも持っている。
これを定点で続けていくと結構おもしろい。最初は「うわ、自分こんな不格好な動きだったのか」とショックを受けるのだが、続けていくうちにパフォーマンスがだんだん修正されていく。もちろんそれは撮るだけでなく「見る」ことを通じて改善されていくのだが、「撮る」「見る」をしっかりやると、自分の脳内のイメージと、実際の動きがだんだん近づいていく。
そこには、「辛い練習を乗り越える」というような根性物語はまったくなくて、「今日も撮るか〜」と思って動画を撮り、風呂に入っているときなどにそれを見返す(最近のiPhoneは防水なので便利だ)。
見ていくうちに、「ここはこういう意識で動かしているけれど、実際の動きとはこれぐらいズレがあるんだな」ということが理解され、脳内の動きのイメージがだんだん身体化されていく感じがある。動画もデジタルデータだが、自分の身体をデジタル化することによって、脳と身体を〈和解〉させていけるところがあるように思う。
これは何もスポーツだけではなく、ほかの「うまくなる」ことにも応用できるかもしれない。バイオリンの練習、歌の練習、など。
少し前に、ピアノの演奏をしているところを動画に撮ってTwitterに上げてみた。
これを自分で見ると、「案外、そこまで下手でもないな」と思ったり、「ここはもう少しがんばれるな」とか思えたりする。
要するに、スマホというのは、むしろ人間的な手触りだったりを掴むということにうまく活かせるのではないか、ということだ。動画を「撮る・見る」というのは、〈消費〉ではなく、〈浪費〉的に使えるのではないかと思った。
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