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SNSでの「シェア」という行為を考える | にどね研究所

SNSでの「シェア」という行為を考える

哲学

最近、僕(中野慧)の個人ブログであったこの「にどね研究所」で、僕ではなく栄藤(仮名)なる人物が謎の哲学書評連載をしています。彼は20代の編集者・ライターなのですが、「書く訓練をしたい!」ということで相談があり、しかも「哲学について知りたい」ということで今こんな感じになっています。

実はこの「にどね研究所」は最初は友人たちと作った電子書籍・ドキュメンタリー動画の宣伝用に作ったサイトで、せっかく作ったので動かそうと思い、僕が細々と更新していました。

なので僕のソロプロジェクトみたいになっていたのですが、個人ブログとしてやることに特にこだわりはなく、そこで後輩の栄藤くん(仮名)が「なんか書く練習したいんです」と言ってきたので、このスペースを使ってもらうことにしたのですが、そこから、僕と栄藤くんの雑談も記事にしてみようと思いました。テーマは「SNSにおけるシェアという行為について」です。

「SNSで何かをシェアする」のはどんなとき?

ケイ:最近、このサイトで栄藤くんが謎の哲学書評連載をやっていますが、僕も何か喋りたい・書きたいということで、栄藤くんとの雑談を記事にしていてみたいと思います。まず、そもそも栄藤くんは一体何者なのかをお話しいただいてもいいですか。

栄藤:僕は、ケイさんともともと同じ会社で働いてたんですが、2年くらい前に転職して今はPR系の会社で編集者として働いています。「編集」や「書く」ということについていろいろ教えてもらいたいっていうのと、あとは自分が定期的にアウトプットする場所がほしい。でも、一人でやっても続かなそうなので、ケイさんに締切管理してもらいつつ、フィードバックをもらおうと思いました。

ケイ:なるほど。で、僕が今回、テーマとして持ってきたのは、「SNSにおけるシェアという行為について」。これを考えたいなと。栄藤くんは、そもそもSNSで、自分が見かけたり読んだりした記事をシェアとかしますか?

栄藤:自分の書いた記事はあんまりシェアしないんですが、「読んだよー」っていう、自分のメモ的な感じでやってる感じですかね。

たとえば、ケイさんからLINEで「この記事、勉強になるよ」ってURLがポンって送られてくるじゃないですか。で、「あざます」って思って読むわけです。それで一回読んで「なるほどな〜」って思って、それを一応ツイートしておくんですよ。それをやっておくと「こないだなんか読んだな」っていうのを、自分のツイートを見て思い出せるんで。

ケイ:一回読んだけど、もう一回読みたい記事を置いとくみたいな。

栄藤:「もう一回読むんじゃないかな」みたいな、メモがわりにツイートしている。

ケイ:それはあれだね、いわゆる「ソーシャルブックマーク」っていう使い方だよね。ソーシャルブックマークって何かというと、代表的なサービスとしては「はてなブックマーク」というものがあるわけです。

「ソーシャルブックマーク」とはなにか?

ケイ:はてなブックマークは、気に入った記事のURLをブックマークして、PCでもスマホでもどのデバイスでもあとで読み返すことができるのね。「あとで読む」とかそういうタグをつけてブックマークしている人がけっこう多くて。「参考になりそうだからあとで読むかー」みたいな感じで使われてて、そもそもそういうサービスとして設計されている。

で、「ソーシャル」ブックマークなので、ブックマークが共有される。でも、そもそもはてなブックマークって……使ってます?

栄藤:使ってないです。

ケイ:な、なるほど。栄藤くんは見た方がいいかもしれない(笑)。はてなブックマークでブックマークした人が多い記事は、サイトのトップとかスマホアプリのトップに表示される。それで多くの人が目にすることになって、「今のネット上で何がバズっているか」がわかるわけです。

たとえば、「Yahoo!ニュース」とかだけ見てても、何がバズってるかとか何が炎上してるかってわかりにくいですよね。基本的に「Yahoo!ニュース」ってニュースサイトの転載であって、ニュース記事以外は拾わないので。

でも、はてなブックマークは今話題になっている記事とかが一目瞭然になってるんですよ。たとえば「保育園落ちた日本死ね!!!」って、匿名日記サイトである「はてな匿名ダイアリー」に載ってた記事だから、Yahoo!ニュースは即時には拾ってくれない。あれは最初にはてなブックマークでたくさんのブクマが集まって、それでバズったんですよ。

栄藤:なんすかそれ……?

ケイ:「保育園落ちた日本死ね!!!」、知らない?

栄藤:……そんな炎上しました?

ケイ:めちゃくちゃ炎上したし、なんなら国会とかで取り上げられて……。要は、保育園に子供を預けたい女性がいるんだけど、子供が保育園入れなくて、それで「私働けねーじゃねーか、ふざけんなよ」っていう怒りの匿名ダイアリーを書いたんだけど、それが炎上……炎上っていうかバズって、それを衆院予算委員会で民主党(当時)の山尾志桜里議員が取り上げて、「安倍政権どうなんですか」って。それでめちゃくちゃ話題になりました。そういうのが、はてなブックマークを見てるとタイムリーにキャッチできる。

でも、はてなブックマークってちょっと敷居が高くて、昔からわりとエンジニアとかがよく使ってるんですよね。2005年ぐらいからあるサービスで。似たようなものとしてはPocketとかがあるんだけど。

はてなブックマークは、その記事に対してコメントが書き込めるんですよ、そこで大喜利みたいに、「この記事をどうやってうまくいじるか」っていう競争が行われている。

栄藤:じゃあコメントはみんなに見られるんですか?

ケイ:そう、鍵とかかけてなければ、みんなに見られる。まあヤフコメとちょっと近いんだけど、どっちかっていうと2ちゃんねるのノリに近い。「半匿名の人がどうやってこの記事を面白くいじるか」みたいな競争をしている、って感じですね。

「記事をシェアしたがる」心理について

ケイ:で、「SNSで記事をシェアする」ってことの心理を考えた方がいいと思っていて。なんでかっていうと、いまはよく「Webで記事をバズらせるにはSNSでシェアされることが重要だ」と言われてますよね。

栄藤:まあ。

ケイ:ツイッターでの口コミを生むとかFacebookでシェアされるとかだけど……どっちかっていうといまビジネス的に注目されているのはツイッターって感じになっていて、「ツイッターでシェアされることが重要です」と。

で、ツイッターでコメントがつきやすい記事って何かっていうと、共感性が高いものなんですよ。「あ、わかる〜」「共感します〜」みたいな。そういうのをコメント付きでURLと共にシェアする、って感じですよね。

でもちょっと前、5年前とかだと、Facebookとかツイッターでシェアするときの心理って、「この記事をシェアすることで俺を頭よく見せる」っていうか、「こんな記事にこんなツッコミをしちゃう俺って頭いいだろ」、っていうアピールとして使われてた。

栄藤:わかりますよ、それしたい気持ちわかります。

ケイ:したい気持ちわかるんだ(笑)。でも、なんでしたいと思うの?

栄藤:そりゃあ、みんなに頭いいと思われたいじゃないですか。

ケイ:な、なるほど。そんじゃまあ、「頭よく見せる」っていうのがシェアするときの動機としてあったと思うんですが、でもそれって元ネタがあるんですよ。って、……聞いてます? 反応がほしいんですけど……。

栄藤:「えっ、元ネタ!?!?」みたいな感じで返した方がいいんですか?

ケイ:いや、それは何か違うかもしれない、ごめん……。

栄藤:いやいや、興味ありますよ、普通に。単にそのまま聞きたかっただけなんですけど(笑)。

ケイ:そう、元ネタがあって、ツイッターが流行り始めた頃って、意識の高いジャーナリストみたいな人たちが「キュレーション」とか言って、役に立ちそうな記事とかを毎朝シェアしてたんですよ。

代表的な人としては、佐々木俊尚さんっていうIT系のジャーナリストがいて、もともと毎日新聞社の記者ですよね。その佐々木俊尚が「朝キュレ」とか言って、朝、キュレーションするわけですよ。「この記事は参考になる」とかって。

あともうひとり、鈴木謙介っていう社会学者――「チャーリー」ってニックネームで呼ばれてるんだけど――が似たようなことをやってて、「この記事は勉強になるよ」とかそういう紹介をしていた。多分あのへんが元ネタだと思うんですよ。

で、佐々木俊尚とか鈴木謙介ってわりと純粋に「有益な情報をシェアしよう」っていう考え方だったと思うのね。たとえば佐々木俊尚って、昔それこそ僕が面白いと思ったのは、『Google 既存のビジネスを破壊する』っていう本と、あと『ブログ論壇の誕生』って本が2000年代後半ぐらいに出てて、そこに書いてある内容って……意識高いんですよ、基本的に。「ネットを通じてもっとみんな政治に関心持ってほしい」とか「社会に関心持ってほしい」とか、そういう意識のもとでGoogleに可能性を感じて、ブログに可能性を感じて、SNS、ツイッターとかに可能性を感じて、「それで意識の高い市民が育つんじゃないか?」っていう、そういう思いでやってたと思う。

で、それがたぶん頭良さそうに見えたと思うんですね。「佐々木俊尚さんって頭良さそう!」「チャーリーさんって頭良さそう!」みたいに思ったフォロワーがそれを真似し始めて……だけどその人たちは結局「自分が頭いいと思われたい」っていうことの方が先に来てるから。

要はマーケティング用語で言うところの「イノベーター」「アーリーアダプター」みたいな人がそういうことをやったら、劣化版みたいなのが出てきちゃって、SNSでシェアするっていう行為は自己顕示欲に堕していった、みたいな。

栄藤:えー、どうなんかなー? そうなんかな!? と思いますけどね。

ケイ:なるほど、ハイ。

栄藤:いや、ちょっと反論が思いつかないんですけど、まあそういう人もいるんやろなと思うんすけど、今それをやってる人が元ネタからの派生と言われると……そうなんかなっていう。

ケイ:今やってる人は元ネタは知らないと思う、もはや。

栄藤:そうっすよね。え、じゃあ、「元ネタがあるんですよ!」っていうのはどういうことですか? 

ケイ:要は、シェアするとかって、もともと高い理想のもとにやってたことなんですよ……。

栄藤:その人たちが出てくるまでは、そういう文化はツイッターとかになかったんですか?

ケイ:なかったと思いますね。そもそもツイッターが日本で流行り始めたのって2009年ぐらいだと思うんですけど、最初から彼らはそういうのをやってた。佐々木俊尚、鈴木謙介、あと津田大介さんとかが「ツイッターで社会が変わる!」とか「動員の革命」とか言ってて。で、「シェア」って言葉が一般化しはじめたのも、2010年ぐらいにNHK出版から出た『シェア <共有>からビジネスを生みだす新戦略』(レイチェル・ボッツマン、ルー・ロジャース[著]、小林弘人[監修・解説]  、関美和[訳])って本がヒットしてからじゃないかな。

でも今のSNSってどっちかっていうと共感と罵詈雑言っていうか……そういうふうになってきている。いまSNSでバズるものって、絶対共感系になってますよね。

反論のための「降臨」という手段

栄藤:でも、共感だけじゃなくて、反感を買う系もあるんじゃないですか?

ケイ:反感を買う系もあるよね。何も考えてなくて素朴に炎上しちゃうやつとか。狙って炎上してる人もいるかもしれないけど。たとえば、前にこのサイトで僕が書いた「大学でちゃんと勉強してない人」っていう記事は、炎上?バズった?んだけど、あえて反感を買うために書いてるというか……。

栄藤:あれはどんぐらい炎上したんですか?

ケイ:まああれも2万PVぐらいかな、せいぜい。

栄藤:なんか記事の下にも、ツイートに対する反論とか書いてましたよね。

ケイ:そうですね。普通、記事がバズるときって、はてなブックマークの数に比してツイッターのツイートの数って2、3倍以上にはなるんですよ。でもあの記事って、はてなブックマークは200ぐらいあるのに、ツイッターでの言及は80ぐらいしかない。何でかっていうと、ツイッターであの記事をシェアして一言コメントで野暮なこと言うと、僕が見つけて引用RTで反論してくるから、それがウザそうだったから、やる人があんまり多くなかったのかな……と。

でも、はてなブックマークって反論できないんですよ、システム的に。コメントがつくじゃないですか。それに対して俺が反論するっていうのが基本的にできない仕組みになってる。だからあの記事では、はてなブックマークのコメントを晒して反論するみたいなことやったんだけど……。要は、はてなブックマークって批判に対して反論することができない、言いっ放しができちゃう。

栄藤:へー。それはつらいっすねー。本当に匿名でやり続けられる。

ケイ:2ちゃんねるだったら逆に、自分が叩かれてるスレに降臨とかすればいいじゃないですか。

栄藤:(小声で)2ちゃんねるのシステムがよくわかってない……。

ケイ:2ちゃんねるって、スレッド式だから、誰でも書き込める。たとえば勝間和代だったら2ちゃんねるに本人が降臨とかして……いや、勝間さんじゃないや、それはひろゆきだったわ。

栄藤:「降臨」ってなんですか?

ケイ:2ちゃんねるって基本的には「便所の落書き」って言われているんですよ。

栄藤:ふーん。

ケイ:本人がいない場で、欠席裁判みたいなことが平気でできちゃうんですけど、そこに本人が来るってことを、そこに書いてる人たちは基本的に想定していないんで、本人が来たらビックリするわけですよ。

栄藤:あー、なるほど。

ケイ:「こいつ見てないと思ってたのに!」みたいになる。勝間和代さんってすごい面白くて、勝間さんは10年ぐらい前はヒット作いっぱい書いてたけどアンチも多くて、Amazonに星1とかのレビューがつくんですけど、それで本人的にムカつくじゃないですか。で、なんかね、Amazonってレビューに「コメント」って機能があって、そのレビューに対して反論できる。そこに勝間和代が降臨してきてマジレスするっていう光景が繰り広げられてて……。

栄藤:へへ(笑)。

ケイ:それがけっこう面白かった(笑)。っていう仕組みが、Amazonの場合はあって。2ちゃんねるの場合も降臨は可能なんですよ。2ちゃんねるだと、ひろゆきの話題になってたときにひろゆきが「本人です」みたいな感じで出てきて。

はてなブックマークは一切それができないから……ツイッターは一応はできるけど、2ちゃんねるやAmazonレビューでの「降臨」みたいな面白さはないよね、ツイッターだとあまりにも手軽にできすぎちゃうから、「ここに来るんかーい!」っていう驚きとか面白さというか……ユーモアがない感じになっちゃう。勝間さんやひろゆきの「降臨」の仕方って、ちょっとユーモラスだったと思うんですよ。

まあでも降臨って、いまはもうみんなやんないよな……。前はちょっと新しかったんですよ。あ、すみません、しゃべりすぎましたかね……。

栄藤:いえいえ。何の話でしたっけ?

ケイ:え、だから反論できないってことに対して、ツイッターは一応反論できるけど、でも、もうそういうことやってるのも若干レガシー感があるのかもしれない。SNSとかで炎上したときに、それに逐一反論してくみたいなのも古いのかなって。で、「もはや無視するのが正しい」みたいになっちゃってるかな。

だからSNSでバズるみたいなのが、共感だけになってる。でも、「◯◯に共感しました!」みたいなのって、学びはないわけじゃないですか。その記事を読んでその人が学んだことって特になくて、共感してたんだから、自分と同じ考えなんだから。そこを狙うのって情報としてダメなんじゃないかなって。

栄藤:無価値ですもんね。「そうだよね」って情報を広げてるわけですもんね。

ケイ:だから、学びがあるとか考えさせられるとか、そういう情報がむしろSNSだと広まらないっていうか、そういう感じになってきてる。SNSマーケティングをやるってことが、共感に寄せないとSNSマーケティングできないから、もう「SNSマーケ」って言われてるもの自体がオワコンなんじゃないか、っていうことを思ってる。

栄藤:なるほど。

「勉強になりました!」「考えさせられました!」型のシェアはダメなのか

ケイ:で、もういっこあって、よくSNSで、それこそ僕もけっこうやってたことなんですけど、なんか記事を読んで面白かったなとか勉強になったなとかあれば、「勉強になりました!」「考えさせられました!」っていうツイートしているやつがいると。

で、そういうのを「何も考えてないんじゃないか」って批判する勢力がいたんですよ。たとえば中川淳一郎さんとかもそういうこと言ってたと思うし。「勉強になりました!」「考えさせられました!」って記事シェアする、それがダセェと。

でも、それってけっこう重要だったんじゃないかと思うんですよね。「勉強になりました!」「考えさせられました!」しか言えない。ツイッターだと、文字数的にもそうだし、そもそも詳細に感想を書く時間もない。だけど「考えさせられた」とか「勉強になった」ってだけでもいいんじゃないのかなって。だって、それって自分にない考え方とかを得ることができて、刺激を受けて自分のなかでぼんやりと1,2週間とか考えるきっかけになったりするわけじゃないですか。むしろそのほうがいいんじゃないかなって。

栄藤:僕も、まったく同じようなことをツイッターでつぶやいてて。(ツイートを見せる)

ケイ:ああー、これいいですね。そのとおりだと思う。

栄藤:これをこう捉えてる人と、さっきの自己顕示欲の表現にしてる人って、違いがわからないじゃないですか。

ケイ:たしかに、見分けがつかない。

栄藤:だから最終的に、「考えさせられた」ってツイートするのはよくないって結論に至った。見分けがつかへんからこそ、自己顕示欲の人はそうやってツイートする、と僕は思ってるんですよ。だから、それと同じになっちゃうのがイヤだから、やめとこうと。

ケイ:たしかに、「勉強になった」っていうのと自己顕示欲は見分けがつかないのはそうかも。じゃあどうしたらいいんだろう? つぶやかない?

栄藤:いや、どうなんだろうな(笑)。

ケイ:僕はもう、逆になんか、「考えさせられました!」「勉強になりました!」とか言ってツイートしようかなって。すげーアホっぽいけど、それを引き受ける、みたいな。

栄藤:わかりますけど、でも、そういうツイートを見たら、「勉強になったって何を!?」っていっつも思うんですよね。僕もたまに、「この本を読んですごく考えさせられた」ってツイートしちゃうんですけど。

ケイ:考えさせられてるんだったら、いいんじゃないかなぁ。

栄藤:実際考えさせられてるんですけど(笑)、結論が出てないから、結論をツイートできないんですよ。たとえば、『トイ・ストーリー4』を見るじゃないですか。

ケイ:僕は見てないですけど……もしかしてトイハラですか?

栄藤:いやいや、その意図はないですけど(笑)。まあ、見るじゃないですか。で、考えさせられたとする。たぶん1,2,3からの流れもあって、より深く考えさせられたんだけど、何を考えさせられてるのかがちょっとよくわからへん。でも俺は、「ウッディかわいい」「トイ・ストーリーすごい感動したよね、泣けるよね」みたいな、そのレベルではないんだ、と。一応もうひとつ上まで考えてはいるんだけど、結論は出ていないんだ……という、このせめぎ合いなわけで。で、僕は結局ツイートしないんですよ。

ケイ:なるほど(笑)。

栄藤:もしくは、「トイ・ストーリー4見てきた!」以上!これで行って来い!っていう。

ケイ:それはそれで、市井に生きる人間としてはそういうもんでいいんじゃないのかなぁ。僕とかはそのツイート見たら「あ、見たんだ」って思うもん。ちょっと見に行こうかな? って気になるじゃん。

栄藤:なります?

ケイ:若干なると思う。

栄藤:そうなんすね……。最近やっぱり僕、ツイッターは特になんですけど、ツイートの意味をめっちゃ考えちゃうんですよ。なんで俺このツイートすんねん、と。たとえば「トイ・ストーリー4見てきた!」とツイートしたとする。それで誰かに「このツイート、なんでしたん?」って聞かれたら、俺、なんて答えよう? って考えるんですよ。

ケイ:なるほど(笑)。

栄藤:答えられないじゃないですか。

ケイ:なんでツイートしてるんだろう……。自分の行動のログを記録してるんだろうか?

栄藤:だから僕は、「俺がトイ・ストーリー見た話、どうでもええな」と思って結局ツイートしないんですよ。で、結局、メモ的な立ち位置になっちゃう。俺が残したいものを残してるだけだと。

「プラットフォームの仕組みに乗っ取られない使い方」?

ケイ:俺、千葉雅也って哲学者のツイッターは、わりと好きなの。で、千葉雅也は、ツイッターをうまく使ってる気がする。それこそ『ツイッター哲学』って本を書いてるよね。

栄藤:あ、読んだんですか?

ケイ:パラパラと読みました。こないだ文庫版も出たからそっちも買っちゃった。過去のツイートをまとめてるだけっちゃだけだから、本当にパラパラと読める。

思うに、プラットフォーム……たとえばさっきのはてなブックマークの仕組みとか、ツイッターの仕組みとか、ああいうものの仕組みに乗っ取られないかたちで、SNSを使えたら、いいんじゃないかと思うんですよ。で、それを彼は考えてるはずで、そのエッセンスを少しうまく自分のものにできたら、SNSも多少は、疲れずに楽しく使えるのかもしれないですよね。

栄藤:ふーん……。なんか、『ツイッター哲学』読んだほうがいいのかな? ってなっちゃいましたけど。

ケイ:俺もあんまりうまく理解できてないからなんともいえないんですけど、たぶん彼は、哲学のバックグラウンドがすごいあるからこそ、プラットフォームの仕組みに乗っ取られない使い方ができると思うんですよ。我々は哲学のこともそんなに知らないし、どうやって使えばいいかわかんない。「ツイッターは告知に使うしかないな」とか。だから『ツイッター哲学』をもうちょっと分析的に読んでみて、この人がどうツイッターを使ってるかを考えてみる、のがいいのかなぁ。

栄藤:そういう結論なんですね(笑)。しかし、ツイッター嫌いになってきちゃいますよね。

ケイ:罵詈雑言が飛び交って、あとビジネスマンが「SNSマーケ」する草刈り場みたいになっちゃってるもんね。僕がツイッター始めたのは10年以上前だけど、あの当時はもうちょっと牧歌的な楽しさがあったように思う。でもその「楽しさ」が何だったのか、自分でもよくわからないんだよね。なので、ひとまずは『ツイッター哲学』を読んで、また後日考えてみることにしますか。

〜〜後日〜〜

ケイ:はい、というわけで、『ツイッター哲学』を読んでみたわけですけど、栄藤くんはどういうふうに感じましたか?

栄藤:正直、よくわかんなかったですね……。というか、詩集みたいだなと思いました。

ケイ:詩集!? なるほど……でも、たしかにそうかもしれない……。言われてみれば、あの本は詩集として作ってる感じはある。そして、ツイッターの使い方に関して、学べたところはあったのだろうか。

栄藤:うーん、そういう教訓めいたことを導き出すのがなかなか難しいなと。

ケイ:まあ、詩集だしね……。逆に、こないだ「ツイッターが嫌いになりそう」って話をしてたと思うんだけど、どういうときに「嫌だな」って感じるの?

栄藤:やっぱり、アンチコメントだったりとか、誰かを叩くツイートを見たときですかね……。悲しいっていうか、「そんな言わんでも」って気持ちになる。で、全然当事者でもない、無関係の人がそういうのをやってたりしますよね。

ケイ:はい。

栄藤:なんというか、「あの人はよくないですよね!自分もそう思ってます!」みたいなのって、「私は多数派の側なんだよ」というアピールに見えちゃうんですよ。対象者を落として自分の評価を上げたい、というよろしくない欲が垣間見えるっていうか。「このツイッターというアプリは、そういうことのためにあるのか!?」という感情になる。そういうのの温床にツイッターがなっている感じ、と言ったらいいですかね。

ケイ:なるほどなぁ。たしかにそうかも。そしたら逆に、どういうツイートを見たら面白いとか、楽しいって思う?

栄藤:そもそも僕、フォローしてる人、少ないんですよ。人として興味のある人しかフォローしてない。そういう人たちの日常が垣間見える、超短い日記みたいなのは好きで。

たとえばケイさんだったら「三代目J Soul Brothersのニューイヤープレイリストがイイ」とかツイートしてたじゃないですか。

ケイ:これなのか(笑)。

栄藤:ツイッターって「つぶやき」って言うじゃないですか。単なるつぶやきのツイートはけっこう好きなんですよね。短文だし、ただ単に情景描写っていうか、気付きっていうか。こないだケイさんがつぶやいてた。美容師さんとの川崎のやりとりとか。

ケイ:ああ、あれ(笑)。

まあでも、なんかわかる気がする。今のツイッターって、みんなが政治的意見の主張とかをやってて、もはや「つぶやき」というか「独り言」ではなくなっていて、誰かに何か〈影響〉を与えようとしている感じはある。

栄藤:たとえば、「記事書きました!」みたいな告知ツイートとかもあんまり好きじゃないんですよ。

ケイ:ふむふむ。まあ、僕、やってますが……。

栄藤:使い方が、ビジネスっぽいじゃないですか。「見てください!」はつぶやきじゃない。URL貼って「この記事おもしろかった!」だったら、見ようかなという気にはなるんですよ。僕は、「つぶやき」のほうがいいと思うんですね。

ケイ:なるほどね。

栄藤:最近、仲のいい友達と、お互いしか見れないSlackのチャンネルをやってるんですよ。で、これの通知をオンにするかオフにするか考えたんですけど、なんとなくオンのほうがいいと思った。リアルタイムで見てもらえるほうがいいなと思って。これはほんと、ただのつぶやきなんですよ。

ケイ:なるほど。なんとなくわかってきた気がする……。僕なりにまとめると、昔、佐々木俊尚とか鈴木謙介とか津田大介とかがやってた、「SNSで意識の高い市民を育成しよう」という試みは、僕は挫折したんじゃないかとちょっと思ってた。でも実はそうじゃなくて、たしかにツイッターはやたらと政治的意見がめちゃくちゃ衝突する場にはなった。それは彼らが意図していたことでは必ずしもないんだけど、「SNSで政治的なことに目覚めよう」という字面だけ取ると、そこはたしかに実現したのかもしれない。かなり最悪のかたちで。

で、SNSが普及するにつれて、「SNSで他者に影響を与えられる」というような気がしてきて、「誰かに影響を与えたい」という欲が出てきちゃったんだろうね。まず政治家がツイッターを「政治利用」するようになって、そんでここ数年は、一般のビジネスマンも「SNSマーケ」をやるようになってきた。ビジネスマンのあいだで「ツイッターがんばらなきゃ」みたいな発言が出るようになってるし。

でも、そもそもSNSって、誰かに何かしらの影響を与えようという「欲」を持った瞬間に、何か仕組みに従属するっていうか、楽しく使えなくなっちゃうのかもね。原点っていうか、ただの「つぶやき」で、ちょこっとした生活とか気づきとか、勉強になったこととか、そういうのだったらいいのかも。というか、千葉雅也もそういう使い方をしている気がする。

栄藤:自分もそう思います。だからあの本から教訓めいたものを導き出せなかったのかも。「こう使うべきだ」っていうルールがないというか。まあ「つぶやき」って本来そういうものですもんね。

まとめ

ということで、なかなか長くなりましたが、この原稿をまとめるにあたって僕自身も学びが多くありました。最近は自分のツイッターでも、ここで話して学んだことを実践してみています。なので、以前よりも(良いのか悪いのかわからないですが)無意味なことをツイートするようになりました。

思い出したのはソクラテスのことです。哲学の祖の一人とされるソクラテスですが、彼は対話、つまり「人と話す」ということを重視していました。そう、そもそも「哲学する」というのは、何も「偉い哲学者の本を読む」「体系的に何かを学ぶ」ということでは必ずしもなく、こういったささやかな問題ですらも誰かと会話しながら、よくよく考えてみる、という営みのことを指していたのです(これは「産婆術」とも言われます。詳しくはググってみてください)。

そして、だからこそなのか、ソクラテスは自身の著書を自分で書いて残す、ということをしませんでした。いまわたしたちが知ることのできるソクラテスの哲学の内容は、弟子であるプラトンが書き残したものです。そしてそれは、必ずしもソクラテスの意図したことではなかった部分も大きいわけです(とはいえプラトンがちゃんと書き残してくれなければ、現代に生きる私たちはソクラテスという人に触れることはできなかった、という側面も間違いなくありますが)。

というわけで、改めて「対話する」ということの重要性を、この記事をまとめることを通じて再認識した、ということも学びのひとつでした。このサイトでも、今後もたまにはこういうことをやってみたいな、と思います。

(了)

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