ブレストの正解が何なのか本当にわからない。
「アイデアを否定しない」というのをルールにすると、明らかに無用なアイデアと良いアイデアが等価に扱われるのが問題だ。
かといって「ガンガン否定しあおう」を、そこまで気心が知れていないメンバーでやるとつらい雰囲気になる。
大学のゼミでの話
思い出すのは一橋大学での、政治学ゼミでの体験だ。
僕の行っていた片方のゼミでは、基本的に筋の通った意見を言うやつがすごい、というコンセンサスがある。したがって、誰かが誰かの意見を批判したからといって、まあちょっと傷つきはするけれども「人格否定された」なんて思わない。
このゼミでは卒業後も飲み会をしたり勉強会をしたり、OBOG会の主催もしたりしているのだが、お互い議論に慣れているので無駄が非常に少ない。まあこれはお互いのことをある程度よく知っているからというものあると思うけど、別に大学生のときからそうだった。
そんなことがあるので、僕は一橋大学の人たちはすごく好きだったりするのだが、すごく引いた目でみると恵まれすぎていたのかもしれない。
しかし……
ひるがえって一般社会で、いろんな人と一緒に働くとなると、共通している知識的なバックグラウンドが違いすぎるので、生産的な議論に発展しないことが非常に多いなと思う。
冒頭で述べたように、普通に「否定しないブレスト」をやると、クソみたいなアイデアが単に量産されるだけである。個人的には、ブレストにおいていったん「否定しない」というルールを定めるのはぜんぜん良いことだと思っているけど、参加するメンバーのレベル感が開きすぎていると、その「否定しない」というルールが足かせになってしまうのだ。
でも一方でじゃあ、大学のゼミみたいに「お互いを批判しまくる」というのを、「これは人格否定ではないですよ」というエクスキューズを入れてやるのかというと、それもまぁ違う気がする。
ここまで書いていて結論が全然出ていない。
今のところ僕が考えているのは、「ブレストをやるにしてもメンバー選定だけは慎重にやるべき/『とりあえず参加してもらう』はナシ」ということだ。ろくでもないアイデアを出して、そのアイデアのろくでもなさにすら気づかないという人も必ずいるので、ひとまずそういう人ではないかどうかをブレスト主催側が慎重に吟味しておくしかない。
でも、それだとちょっと選抜主義的すぎて、なんかかんたんすぎるなぁと思うのだ。
このへんはやはり先行研究を参照するのがいいのかなという気はする。
『佐藤可士和の打ち合わせ』は途中までは読んだけど、読み切ってないので、そこからなにかを拾ってこようか。
あと、川村元気Pの『ブレスト』という本もある。
ほかにも発想術、会議術系の本はたくさんあるんだけど、まずはこのあたりをささっと読んでみようかなと思っている。
読んだらなにか書こうと思います。笑
今回はこのへんで!
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