数年前まで、Webメディアにおいて「PR記事」というのは画期的なツールだった。これまでの雑誌のPR記事(タイアップ記事広告)といえば、だいたいクソほどつまらない無難かつ当たり障りのない「防御のみ」の提灯記事であり、効果測定もろくにできず、読者にとってはノイズでしかなかった。
しかしWebにおけるPR記事は、建前を崩し、「広告であること」すらもネタにすることによって、「広告」と「コンテンツ」をきわめてシームレスにつないでいた。いわゆる「コンテンツマーケティング」というやつである。
まあこのへんの話は、けんすうさんの「テキストサイト文化が生み出した「真面目にふざける」ビジネスモデル/古川健介『TOKYO INTERNET』|PLANETS|note」に詳しいので参照してみてほしい。途中から有料だけど。「TOKYO INTERNET」まとめパックで買って読むといいと思う。
PR記事は飽和しているか
ぶっちゃけ飽和していると思う。Webでは編集者・ライターがかなり増えている実感がある。需要があるのだろう。
宮崎智之さんの『モヤモヤするあの人』でも触れられていたが、そういう新しいタイプのWeb編集者・ライターはPR記事を主戦場としている。
数年前のWebメディアにおけるPR記事はもっと工夫したものが多かったが、おそらくは広告主からの「効果測定をもっと厳密にしてほしい」というオーダーの強まりもあって、逆に、ひところの雑誌の記事広告的な当たり障りのない「防御のみ」のタイプのものが増えているのではないかと思っている。
リスクを取るコンテンツ
そんななかで、先日うちの会社でこんな記事を出した。
視聴者・出演者すべてを裏切った漢。『電波少年』土屋敏男Pに、コンテンツ制作の極意を聞いてみた | 東京上野のWeb制作会社LIG
詳しい数字はさすがに言えないが、この記事はPVの面でも、広告の効果測定としても、しっかりとした結果が出ている。
この記事は自分もライター/インタビュアーとして関わっているが、PR記事制作チームのディレクター2人の力も大きい。
この記事の何が良かったかのか。いくつか挙げてみたい。
まず、インタビューイーの土屋敏男さんがかなり踏み込んだ発言をしているが、炎上していない。PV的にも万単位のものが取れているのだが、はてなブックマーク数は4とかなり少なく、現在のウェブ炎上の主戦場のひとつであるはてブが発火点になっているわけではないのだ。
これがなぜかというと、「PR記事であるから」ということが大きいと思う。今のウェブ炎上を担っている人々のあいだでは、昔ながらの嫌儲マインドが根強く残っており、「火をつけて回る」という指向性が強く、「誰かにダメージを与える」ということが目的となる。
しかし、この記事の場合、土屋敏男という人はいわゆる「レジェンド」であり「炎上上等」な人である。かつ、記事の性質と広告主の商材はほぼ関係がない(無理やり関係を作ろうとしてはいるが)ので、この記事を「炎上」させることで広告主にダメージを与えることも難しい。
この点について制作スタッフは、キャスト・クライアントに対して事前に “Tough Negotiation(タフ・ネゴシエーション)” を行って了解を取っている。もちろん制作スタッフの要望だけではなく、キャストもクライアントもそれにしっかり応えてくれた。
ウェブ炎上の発火点となるファイアスターターたちは「誰かにダメージを与える」ことを目的としているが、もしこの記事を炎上させてしまったら、PR記事なのでPV的には大成功ということになる。そうなると「ダメージを与える」ということにはならない、どちらかというと「敵に塩を送る」ことになるので、彼らの目的は達成されない。
PR記事に残された可能性
この記事をやってみて学んだことをいくつか挙げてみると、まずひとつは、昔ながらの雑誌記事広告もそうだったし、現在のWeb記事広告のトレンドにおいても「防御力最強」が重視されるが、むしろ本当は「PR記事だからこそ論争的・問題提起的な記事をやる」ということに価値があるのではないか、ということだ。
ただしウェブ炎上を担う人々はつねに寝首をかくことを狙っているので、「防御力を最強にした上で攻める」でなければならない。そうなると
- メディア人としての高い倫理観、ジャーナリズム精神
- 広告関連法令に対する本質的理解
- 最高法規たる日本国憲法への本質的理解
- ポリティカル・コレクトネスをはじめとした近年の論争的トピックへの本質的理解と批判的視座
- 上記すべてを高いレベルで遂行しつつも「攻める」姿勢
- クライアント、キャストを納得させる高い交渉力
が必要になる、ということではないかと思う。
「Web記事広告の時代はもう停滞期に入っている」という話があるが、いつの時代にもコンテンツ作りに予算は必要で、クライアントがいないと大きなスケールのことはなかなかできない。
また、ここで挙げた「防御力」とは、単に「空気を読み」「波風を立てず」「無難であることを追求し」「自らの心の安定のみを求める」ということではない。
たとえば「言論の自由」「表現の自由」はメディアづくりに関わる人にとってきわめて重要なトピックだが、そのことについて表面的ではないかたちで「なぜ言論の自由、表現の自由が重要なのか」ということを本質的、かつ深く思考していることが重要になる。
一旦のまとめ
PR記事においてはこれまで、「誰も傷つけない」ということがトレンドとされてきた。しかし「誰も傷つけない」ということは「進歩がない」ということでもある。現状に甘んじ続ければ飽きられるのは当たり前だ。
今の世の中には、「たーのしー!」で「誰も傷つけない」ドラッギーなコンテンツはたくさんある。そういうコンテンツが飽和しているなかで、世の中のことについて考えるということは放棄されがちで、そういった雰囲気のなかでゆるやかに社会全体が地盤沈下しつつある。
社会がどうなろうと知ったことではないという個人的な気持ちはあるが、ドラッギーなものばかりのなかで差別化を図るには、「いかに社会性を持たせるか」ということが大事になってくるのではないかと思う。
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