地味に話題?の爆死アニメ映画『ポッピンQ』をできるだけポジティブに評価してみる

このあいだ、ファーストデーだったので気分転換を兼ねて、アニメ映画『ポッピンQ』を観てきました。なんともう都心近辺では渋谷東映でしかやっていない!ということでわざわざ渋谷へ。

この『ポッピンQ』という作品、アニメ映画としては歴史的な大爆死を遂げたということで地味に話題になっていました。東映制作なので全国200館で公開したそうなのですが、「劇場に2人しかいなかった」「おっさんとオタク男子しかいなかった」というような証言がネット上で続々上がりました。


(画像は『ポッピンQ』公式サイトより)

なのですが、僕は映画館で予告編をわりと目にする機会が多く「うわーこれ絶対滑ってそう」と思うと同時に、何かダメ作品とは言い切れない期待感も感じていて、大爆死の評判にも興味を惹かれて行ったという感じです。このエントリーでは、ネタバレは含みますがそもそもネタバレが重要な映画ではないので、そこはあんまり気にせず書きます。

観終わったあとの感想は、こんな感じでした。

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ポッピンQはどういう企画か

そもそも『ポッピンQ』がどういう企画かというと、東映アニメーション60周年記念作品で、『プリキュア』シリーズのスタッフが関わっている非常に力の入ったプロジェクトです。

で、内容はどういうものかというと……「異世界ダンスバトル部活もの」ということになるかと思います。な、何を言っているのかわからないと思いますが、僕も何を言っているのかわかりません。

予告編をみても、青春ものなのか異世界冒険ものなのかダンス/アイドルものなのかさっぱりわかりません。しかし、結論から言えば「すべてがここにある」ということになるかと思います。

あ、そうだ、この映画を観に行く人の多くは、たぶんプリキュアシリーズファンの大友(大きなお友達)ないしオタク男子ではないかと思います。しかし、僕はプリキュアシリーズはあんまりよくわかりません。(※) なので、プリキュアの知識のない(わかってない)人が書いている感想になります。

とりあえず順番に『ポッピンQ』を解説していくと、まず序盤の10分では卒業式前にいろいろ悩みを抱えている5人の女子中学生の姿が描かれます。その後、約10分でオープニング映像が始まります。

『ポッピンQ』は、製作側が「爆死」評に危機感を持ったのか、劇場公開から数日後にYouTubeで冒頭の17分が見られるようになっているので以下にリンクを貼ります。再生開始位置はオープニング映像部分に設定していますので、まずはそこを観てもらえればと思います。電車に乗った不機嫌そうな女の子が出てきたあと10秒ぐらいすると、音楽が切り替わります。その重低音のビートに「お、映画泥棒かな?」と思わせられ、映画館で観るとやっぱりちょっとテンションが上がります。

このオープニング映像のCGダンスはさすがのプリキュアスタッフ、素晴らしいクオリティになっています。まあこのダンスシーンに限らず、『ポッピンQ』は作画・CGともに大変素晴らしいので、そこだけでも観る価値はあると思います。

ちなみに、オープニングのダンス動画のフルバージョンはこれ(↓)です。『ポッピンQ』関連動画を一個だけ観るとしたらこっちのほうがいいかもしれません。

置きに行かずに腕を振って投げた結果大暴投、しかしボールが壁にめりこんでいる『ポッピンQ』

「爆死」だのと酷評されているのは、コンセプトとシナリオがおかしいということに尽きます。

ざっくりと映画のシナリオを要約すると、こんな感じです。

悩みを抱える卒業前の5人のお互い知らない女子中学生たちが突然異世界に召喚され、「ポッピン族」という種族と出会う。彼らに「僕らと君たちの世界が危機に瀕している。世界を救うために、君たちでユニットを結成してダンスを踊ってくれ!そのダンスが世界を救う!」と頼まれる。5人は意味不明なことを要求するポッピン族に反発したり、そもそも知り合いでもなんでもないのでお互いに反発しながらも、それぞれに自分と向き合い、やがてみんなでダンスの習得を目指し、強大な敵にダンスの力で立ち向かっていく。

まあ特に「ダンスが世界を救う」あたりが本当に意味がわからないですね……。

ネットを巡回して判明した、酷評の理由はおおむね以下のようなものになります。

(1)誰をターゲットにしているのかわからない。「プリキュア」のメイン視聴者である女児をターゲットにしているわりにはキャラデザが深夜アニメっぽいし、ファミリー向けにしても中途半端。結果として大友しか集まっていない。
(2)シナリオがご都合主義的。ダンスが主題なのか異世界冒険が主題なのか青春ものなのかはっきりしないが、それを強引につなぎ合わせている。
(3)やりたいことはわかるがあまりにも尺が足りていない。省かれている描写が多く、オリジナル作品なのに総集編のようになっていて感情移入しづらい。90分の劇場アニメではなくテレビシリーズでやるべきだったのでは。

ちなみに、僕はキャラデザとガジェット(衣装など)は非常にいいと思いました。ひとつ目を惹くのは、メインキャラ5人の「同位体(本人の分身みたいな感じだけど人格は独立しているのでツッコミとかアドバイスを入れてくれる)」と言われるポッピン族たちです。こいつらも、5人のヒロインに教えるために劇中でダンスを踊るのですが、これがけっこうかわいいです。

前に新海誠監督の『君の名は。』を公開初日に観て感想をざっくりと書きましたが、そこではわりと低評価しました(箇条書きみたいで稚拙な書き方ですが)。僕は新海監督はけっこう好きなんですが、『君の名は。』に関しては「置きに行ってるな」と思ったからです。一方この『ポッピンQ』は、一切置きに行かずに全力で投げて大暴投しているものの、その球の勢いはすさまじく、キャプテン翼のごとく球が壁にめりこんでいる感じです。

なぜダンス? なぜ異世界?

なぜめり込んでいるのか。これには色んな理由があると思ったので、順番に説明してみたいと思います。まず、酷評理由の大きなものに「なぜダンス?なぜ異世界?」という疑問があります。これは劇中できちんと説明されているとは言い難いです。

しかし僕はパーフェクトに理解したつもりになっています。製作側が本当にそう思っているかは不明ですが、ひとつの解釈として提示してみたいと思います。

結論から言えば、「ダンス」という要素を我々があまり消化できていないのだと思います。そこで「ダンス」というものがどういう意味を持つのかを因数分解する必要があります。

現在、なんとなくダンスというもの自体は流行っています。AKB48をはじめとしたアイドル、EXILEや三代目、E-girlsなどのダンスボーカルユニットの活躍、「踊ってみた」の流行、プリキュアや特撮番組でのEDダンス、真央ちゃんや羽生くんなどのフィギュアスケート選手たちの活躍、それに最近の『逃げ恥』の恋ダンスなどなどです。2008年に中学校保健体育でダンスが必修化され、若者文化のあいだでダンスの存在が大きくなっているということもあります。

若者のスポーツ文化のひとつとしてダンスが大きくなっているのは、いくつかの理由があると思います。まず、これまでの若者スポーツではパワーやスピード、反射神経や持久力などの指標が重要でした。ところがダンスはそれらのパラメータの重要性がそこまで大きくなく、むしろリズム感や表現力などが重要で、ガチムチの男ばかりが活躍してしまう旧来のスポーツとは違ってサイバネティクス的な力量が問われ、そこが新しい文化として魅力なのだと思います。

そういったダンス文化の隆盛と同時期、やはり2000年代後半からアイドル文化が盛り上がりを見せました。現在は『ラブライブ!』などのアイドルアニメも多く作られて人気を博しているようです。

非常に個人的な感想ですが、いわゆるライブアイドルやアイドルアニメの表現には、難しい課題があると思います。それは、アイドルのダンス表現にはどうしても「異性のファンにかわいく見てもらえるか」という評価軸が強いのではないか、ということです。

これは『ラブライブ!』のダイジェスト動画ですが、これなんかを見るとダンスには非常に「女の子的な動き」が強く取り入れられています。もちろん「女の子的な動き」があること自体はいいのですが、その度合いをどう見ればいいかが難しい、ということです。

別の角度で考えてみると、たとえばE-girlsは非常にダンスがうまく、ライブアイドルやアイドルアニメ的な「媚び」の要素は薄いのですが、逆にそこには「ダンス技術を見せつける」というか、ある意味男性的な「オラつき」のニュアンス「も」見られる、ようにも思えます。

つまり、現実世界を意識したときにダンスはつねに他者の目線を意識しなければならないというのが、難しい課題なのだと思います。まあざっくり言えば承認欲求の問題とダンスの問題がごちゃまぜに存在している、ということではないかと。主体となる人たちが「承認欲求から自由であろう」とあがいても、やはりそれから完全に自由になるのは、現実世界を前提にしたとき非常に難しいものにならざるを得ないと思います。

しかし、たとえばダンスをカジュアルなスポーツのようなものと捉えたとき、ニュアンスは若干変わります。どんなスポーツでもそうですが、観客は必要不可欠な要素ではなく、なくても構わない。他人に認めてもらわなくてもかまわない、自分たちが「気持ちのいい動き」ができればそれでいいわけで、もし観客がついたとしても「勝手に見ているだけ」という順番になります。

そこで言うと、『ポッピンQ』のダンスの位置付けは「日常からの解放」「自由の表現」にできていると感じられます。ここでは、おそらくダンスというものに、他者の視線や承認欲求にまみれた息苦しい現実世界からの解放、という性格を見ているのではないかと。

『ポッピンQ』の場合、彼女たちの「ファン」は存在しません。せいぜい自分たちの分身である「同位体」のポッピン族が見守ってくれるだけです。そこではダンスに込められるものが、「自分のために踊る」「仲間と世界のために踊る」になっていて、自己完結的でありつつも、自己と仲間をベースに外部へと開かれているものとして「ダンス」が位置づけられているわけです。

「自己完結的である」という言葉にネガティブなニュアンスを感じる人もいるかもしれません。しかし僕は基本的に「自己完結的」という言葉をポジティブな意味で使っています。誰にもコントロールされない、自由を得るにはまずもって自己完結的であることが必要だ、という感覚です。ダンスなんて日常に必要のない「無駄な動き」ですが、その無駄にこそ気持ちよさや自由の感覚のようなものが宿るのではないか、と思います。

そして、だからこそ市場的な評価の視線を気にせずに済む「異世界」という舞台が選択されたのではないかと思います。そこにはダンスの素朴な魅力、「日常からの解放」「自由の表現」が発生する余地が十分に生まれています。

その他のシーンについて(1)「コンプレックスを解消せず大人になる」というホラー

まあそんな感じで、〈ダンス〉と〈現実〉の位置付けがこの作品は非常に興味深いと感じました。以下は他の部分についてざっくり感想を書いてみようと思います。

まずひとつめは、終盤でメインキャラの一人、沙紀の大人になった姿がラスボスとして登場するところ。沙紀はあることがきっかけで他人を信じられなくなってしまい、劇中ではそのことに悩んでいるわけですが、このラスボス大人沙紀というのは「他人を信じられないままに大人になってしまった沙紀」です。コンプレックスを克服しないままに大人になる、自分が子どものときはこんな大人になりたくないと思っていた大人になってしまう、というホラー。現実世界にはたとえば親子問題の葛藤を乗り越えられていない大人とかがけっこう溢れていたりするので、リアルなホラーだなと思いました。

大人沙紀は、もうひとつ少女たちに「老い」という問題を突き付けています。大人沙紀はこれ以上老いたくないから、時間を操れる力を手に入れようとするわけです。まあこれ自体は少女向け作品ではよくあるパターンなのかもしれませんが。

その他のシーンについて(2)ダンスだけでなく「走り」をカッコよく描く

あと、ネットでは「『ポッピンQ』はプリキュアからちょっと対象年齢を上げて、ティーンの少女向けを狙っているんだろうが滑っている」という意見が多く見られましたが、むしろ内気な男の子とかが見ても共感できるように思います。ひとつ思ったのは、少女が主人公のほうがティーン向けの成長物語はやりやすい、ということです。たとえば少年の主人公が自分のコンプレックスと向き合うようなものって今の時代はなかなか成立しづらい(必要以上に「痛い」ものになりすぎる、『惡の華』等。僕は好きですが)んじゃないか、ということを思っています。

クライマックスで、主人公の伊純が桟橋を駆け抜けるシーンがあるのですが、そこが「ご都合主義的」「ダンス関係ないじゃん」という批判がけっこうありました。まあご都合主義的なのはこのシーンにかぎらずその通りだと思いますが、僕はむしろ「走る」ということの作画がとてもカッコイイと思いました。「走り」をなぜあんなに力を入れて描いたのかというと、そもそもダンスを描いたのだって、「女の子がカッコよく動くというシーンを描く」というコンセプトがあったからではないかなと。だからこそ「ダンス」だけではなく「走り」についてもカッコよく描く必要があったのだと思います。でも、まあ説明不足なので唐突に感じられるのはやむを得ないでしょう。

『ポッピンQ』は作品として全体的に『プリキュア』の影響を受けているようですが、この作品が少女たちにとってどのような意味を持つのか、また「大友」たちはなぜ『プリキュア』を好むのか、については堀越英美さんの『女の子は本当にピンクが好きなのか』(Pヴァイン、2016年)という著作で分析されていたので、この本をしっかり読んで、もう少し考えを整理してみたいと思います。

おわりに:爆死したのになぜか続編が待ち望まれる謎作品

さて、『ポッピンQ』でほぼ唯一、観た人が口をそろえるのが「続編予告がよかった」ということです。本編上映終了後に、何やら次回作のダイジェストみたいなのが流れるのですが、これがめちゃめちゃ面白そう。なので、「こっちをテレビシリーズで先にやって、この劇場版は後で公開すればよかったのでは?」ということが言われています。

この続編予告の内容ですが、『ポッピンQ』本編で異世界を冒険して解散し現実世界に帰っていった五人の少女は、無事みな中学校を卒業していきます。ところがどうやらこの5人、偶然にも同じ高校に進学するようです。入学式で「あれ?異世界で会った奴じゃん!」みたいな感じで再会するシーンが描かれ、非常に熱いです。どうやら『ラブライブ!』みたいな展開になっていくっぽいですね。

ただ、面白いのが、伊純は陸上、あさひは合気道・柔道は続けてるみたいで、5人のユニットはアイドル化するのではなく、単に秘密結社的なものになるみたいです。ここにもやはり、ダンスはするけど「異世界」、というコンセプトが貫かれているようです。

さらに、映画では少しだけ悪役っぽい感じで出てきた「レノ」という少年が、高校の生徒会長として登場し、5人はガーンってなります。さらに、伊純の同位体「ポコン」も現実世界に召喚され、しかもそのときにはケモナーではなくショタキャラとして登場するわけです。これは完全に『幽☆遊☆白書』の、地獄にいるときは赤ちゃんだけど現実世界に来たときはイケメソになるコエンマ様でしょう。


(画像:幽遊白書【28】「小さな強敵!鈴駒の秘技」 Poyonのアニメ批評/ウェブリブログ より)

という感じで、なぜか続編予告がガチで熱いわけです。映画でこれだけコケてしまったので続編が実際に製作されるかはわかりませんが、続編部分の作画はもうかなり進んでいるっぽいので、僕も観たいと思います。

なので、このブログを読んで『ポッピンQ』面白そうと思った方は、もう上映館少ないですが是非劇場に足を運んであげてください。劇場リストはこちら。都心ではまだ渋谷TOEIでやってますが、昼過ぎのみの上映で、2/10(金)までだそうなので、頑張って平日中に足を運んでください!(修正前は「土日にいくのがおすすめです」と書きましたが、今週の土日はもう終わってるそうです。ご注意ください!)

(おわり)

(※)なんでなのか無駄にプロファイリングしてみたのですが、そもそも小学校入学とほぼ同時に『セーラームーン』シリーズのアニメ放映が始まり、姉がいたこともあって無印から3作目ぐらいまでは欠かさず観ていたのですが、昔すぎてほとんど内容を覚えていません。小学校低学年の頃、穂山くんという暴れん坊の問題児男子がいて、彼がセーラームーンを観ているということでクラス内で「穂山、男なのにセーラームーンみてるって、エロい〜」と冷やかされるという事件が起こり、「え、セーラームーン好きなんだけど、いけないことだったのか…」と内心びっくりした記憶があります。
で、小学校いっぱいぐらいまではこの種の少女ものやニチアサのアニメなどを罪悪感を感じながらわりと観ていたのですが、中学入学と同時に野球部に入って休日の午前中は部活に行くようになる&家が録画機を全く導入しなかったこともあって、そういったものから遠ざかっていました。プリキュアシリーズがニチアサで始まったのは2004年だそうですが、この時期は大学生でマイルドヤンキーライフを営みつつ野球部をまだやっており、その後ニート期間に突入してから徐々に昔のアニメなどを見るようになって今に至るという感じです。アニメ視聴者としてのライフスタイルをそもそも持っていないので、声優は未だに野沢雅子しか知らない状態です。

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