今回はペルシア語の学習について書きたいと思います。ペルシア語は現在、イランやアフガニスタン、タジキスタンの公用語であり、周辺の一部の国でも話されています。
私はイランで人類学をやると決めたので、ペルシア語は必須でしたが、学部時代にはペルシア語はおろかアラビア文字にも全く触れていませんでした。そこから、日本にいるときに文字と文法をすこし学び、イランの語学学校の初級のクラスから始め、また、イラン社会のなかで使っていくことで、それなりにペルシア語ができるようになりました(修士論文をペルシア語で書き、口頭試問も終えました。……それでも、ペルシア文学やイランの歴史の研究者ほどゴリゴリと読解することはとてもできませんが……)。その学習の過程について書いていきたいと思います。
イランに行く前のお勉強
イランに行く前、つまり日本で修士課程にいたときですが、まずそもそもイランというよりも人類学のゼミの英語文献購読の課題が非常に重く、それについていくのがやっとという感じで、他の言語にはなかなか手が回りませんでした。
それでも、大学に「アラビア語初級」という授業があり、そこで文字と簡単な単語を学びました。アラビア語とペルシア語は文法的には異なっていて、アラビア語はセム語族、ペルシア語は広い意味では英語やスペイン語、ロシア語と同じインド・ヨーロッパ語族に分類されています。
ただし、歴史的な経緯から、ペルシア語はアラビア語で使われるアラビア文字(を拡張したもの)を用いており、またアラビア語からの借用語も多いです。また、アラビア語では異なる子音を表す文字が、ペルシア語では同じ音を表すということがあるので、アラビア語をかじっているとペルシア語の学習は楽になる面はあると思います。
アラビア語では三つの子音からなる語根を変形させることで派生語を作りますが、この原理を知っていると、ペルシア語でも単語を見た時に意味を推測できる、ということがあります。ちょうど、日本人が漢字の部首を見て意味を推測できるのに似ているかと思います。
テヘランの語学学校に通う
その後、2013年からテヘランの北にあるテヘラン大学付属の語学学校に8か月ほど通いました。語学学校は当時は全部で6つのレベル(初級、中級、上級のⅠ・Ⅱ)に分けられていて、初級のⅠから始めました。
文字から始まり、現在形、過去形…と時制を順番に勧めていくのですが、初めに文法だけやるのではなく、読解、会話、作文がバランスよく配分されるかたちでカリキュラムが組まれていました。
このカリキュラムは、日本で私が受けてきた外国語教育(特に英語)とは異なっていたので、その違いについても考えてみたいと思います。
まず、語学学校では初級Ⅰ以降のクラスでは、基本的にペルシア語だけで説明されるという方針でした。新出単語についても、教員がペルシア語で言い換えをしていくという形式でした。学習のなかで一つの進歩となったのは、「~はつまり、何(どういう意味)?」というフレーズを覚えたことでした。15から20人ほどのクラスで、授業中でもわからない語があればこのフレーズで聞いていく、ペルシア語で言い換えていくことで、他の語も次々に身についていくという感じでした。
単語を別の言語で訳すというのは、確かにすぐに理解できるのですが、単語同士が有機的につながっていかない、ということがあると思います。私は英語を話すときはどうしても、頭のなかで日本語の文章をまず英語の単語に置き換えて、それを文法の知識で配列しなおすということを行ってしまいます。しかしペルシア語では、ペルシア語で考えて話すということができているように思います。ただまあ、英語に関しては研究のなかでは「話す」よりも、「論文を正確に読む」ということのほうが大事ではあるので、そこは一長一短なのだと思います。
語学学校で接したいろいろな国の人々
また、語学学校では言葉の学習以外にもいろいろな発見や出会いがありました。
語学学校に来ている人はいくつかのパターンに分けられます。
イランに仕事で滞在している人の家族、イラン人の配偶者、中東の近隣の友好国(イラク、レバノン、シリア)からイランの大学に留学する準備として学ぶ場合、日本や欧米、トルコの大学でペルシア語を勉強している大学生という感じです。最近は中国の市場進出が目覚ましく、特に初級の授業では半数が中国人ということもありました。
印象的だったのは、欧米で普段は小学校の先生をやっている人が長期の休みを取ってペルシア語を学びにイランに来ているということでした。日本から来ている場合には、すでに語学を学んでいたり仕事や研究で使うからというふうに比較的目的がはっきりとしていて、もちろんそれはそれで良いことです。しかし、そういう明確な目的がなくても、イランについての関心だけでイランに実際に滞在して言語を学びに来るというのは、そういうことを許容する社会も含めて文化的な豊かさなのだなぁと思ったのでした。
語学学校で、いろいろな国から来ている人と話すというのも興味深い体験でした。とはいえ、基本的には休憩時間になると、欧米人は欧米人で固まって英語で会話し、中国人は中国で、日本人は日本語で、といったようにグループが出来てしまいます。それでも、せっかくイランに来ているのだからペルシャ語で会話しようという高い意識を持った人はどこの国にもいて、私もそういう人たちと話そうと努めていました。
印象に残っているのが、この記事のアイキャッチ画像にある、北朝鮮から来ていた少年です(日朝友好のために握手しました)。
彼は親が大使館で働いているらしく、語学学校に来ていたのでした。ピョンヤンのきれいな夜景の写真を見せてくれたのと、「正男」について聞いたら、「知らない」と言われたことを今でも覚えています。国家内の権力闘争は中の人には隠されているのでしょうかね。それ以上のことはわかりませんでした。
街中で言語を学ぶ
現地で滞在することの利点は、語学学校の外でも言語を学べることです。もちろん国によっては、英語が公用語になっていて現地語を使う機会がないとか、日本人や英語が通じる人と一緒にいてしまうために言葉を使う機会が少なくなる、ということがあり得ます。
その点、イランは英語を話す人も少ないですし、また街の人も外国人を見れば興味本位で気さくに話しかけてくるので、会話に困ることはありませんでした。というか、はじめのうちはそれで良かったですが、次第に面倒に思うこともありました。というのも単調で同じやり取りの繰り返しになるからです。「どこから来たのか」「何をしているのか」といったことから始まり、日本から来たとわかると「日本のビザを取るにはどうすればいいのか」といった面倒な質問になることもあります。
また、よく聞かれる質問に、「日本とイランどっちが良い?」というものがありました。「何だよそのよくわからない質問は」と思いながら、それに答えながらペルシア語で説明する力をつけていったのでした。おかげで半年ほど経ったときには、それなりに会話ができるようになっていたと思います。
次回は、テヘラン大学の修士課程の話をしたいと思います。
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