酒が好きだ。一杯目はビール、二杯目からは焼酎甲類を緑茶で割ったもの。特にキンミヤ焼酎は癖がなくて気に入っている。激安酒場で出てくるような出どころ不明の焼酎に様々なソフトドリンクを混入して飲むタイプのハイはダメ、すぐに頭が痛くなってロウになるから。キンミヤか、せめて二階堂などの麦焼酎にしておきたい。たまにハイボールも頂くけれど、激安ウイスキーも後の副作用が強いのでせめて角やオールドくらいの中の下クラスから飲むようにしている。
世の中の酒好きはおおまかに何種類かに分類され、さらにこれらをいくつか組み合わせてある人と酒の関係が構成されている。
①酒の味が好きな人。これは一般的な食通と同じで舌で酒を楽しんでいる。料理と合わせてマリアージュとか空気を含ませると味がまろやかになるとかそういうことを言う。このタイプの人は概ね文化的な身体性を持っており、味覚の他にも様々なおこだわりを持っていることが多く、たとえば服は山本耀司がデザインしたものに限るとか、横断歩道を渡るときは必ず左足から踏み出すとか、ワイシャツにはいつもきちんとアイロンが当ててあるかもしれない。
思い浮かべてほしい。ダークグレーのジャケットに少し気の利いたTシャツを合わせ、ハットをかぶった年のころ38歳くらいの男なのだが、実年齢は31歳である。性経験が豊富なことは近年では出世や社交にポジティブに働かないとは言うが、現代のインターネット社会では実際のところどうなっているんだろうか。10年前まではEXILEがモテていたが今はアゴの細い韓国風アイドルがもっぱら女性たちの視線を集めているではないか。俺は昭和後半生まれのおっさんのように筋トレやハイブランドの服をまとい若づくりをして、見た感じ俺はヤリまくってます。みたいな下卑たセルフブランディングはしたくない(とは言いつつ会社と自宅の間に所在するスポーツジムで青白い肌を晒しながら週に3回ほど45㌔のバーベルを上げたり下げたりしている)が、ある種のセクシーな人間として、ワンチャンイケてる人間としてモテてみたい。俺はもうサクラやヒマワリではないが、キキョウのようなシャープでクールなルックスを、この素材でなんとか表現できないか。綾野剛。になろうとして、メンタリストDaiGoが出力される。世の中はいいとこどりはできないが、ええ感じには寄せてはいきたい。俺にだって30年のこだわりがある。
インターネットのマッチングシステムを介して都内エステサロン勤務の29歳の女性とデートした際には、トマーティン12年をロックで頂く。できれば一緒に飲んでくれると嬉しいな。無理やり上げた口角が自分の目をまりもっこりのそれと同じ形にする。茶色く輝く長い髪が美しい、明らかに退屈そうな雰囲気を隠さないことから元ヤンであったかもしれないことがわずかに想像される非番のエステティシャンと、硬直したまりもっこりの間にはハイランド地方の風が吹き抜けるのであった。
②酔っ払い。酒というかその中心効用たるアルコールの作用でラリるのが好きな人。私はこれである。このタイプは味へのこだわりがあまりないことが珍しくなく、ある時には素早く、違う時にはゆったりと、自らを抑圧され硬直しきったシラフからハッピーで卑猥な弛緩状態へ変性させる。味へのこだわりが少ないと言うのには少し語弊がある。こいつらは「すべては良いラリりのために」というキャッチコピーの下に酒を経口摂取しているので、酩酊感覚>味覚の優先順位、というか味は鼻を抜けるアルコールの風味も含めて酔いに接続されるべき入り口として捉えている。(この点は酒好きの味覚優先思想となんらバッティングすることはなく、味覚派も、そうだよねー。鼻の奥からハイランド地方の風が吹いたねー。なんて文化的に同意してくれるが、入り口は同じでも行く先は違うのが人生というものである。お前はもう高校生の時の友人と腹を割って朝までおしゃべりすることはできない。)
おいしいお酒を種類を変えながらなんぼかつまんでいくのは感覚に刺激を、変化を与える観点からするといいのだが、間違ってよくない組み合わせをしてしまうと、悪い酔い=バッド状態になってしまい予後が悪いし、なんなら楽しいはずの酒の席で頭痛、胸やけ、吐き気などの症状に身体を支配されるほか、誇大妄想、暴言、セクシャルハラスメント等の反社会的行為に及んでしまうことも少なくない。良くラリるには工夫と努力と善良な生活倫理、そして己の身体との相性が重要になってくるのである。アルコールで愉快にラリることのできない「ALDH2」(アルデヒド脱水素酵素2)低活性型モンゴロイドの諸君や、法律上飲酒を禁止されているキッズたちのために、アルコールの悪い酔いを説明しておくと、RPGでよくある毒状態やパワプロで言う調子の顔文字が紫色になっている状態をイメージしてもらえばいい。普通に病気である。HPの回復には数時間から丸一日を要し、途中下痢や嘔吐などのディレイドダメージに耐えながら、うどんや梅がゆなどの炭水化物で体力を保ち、毒素の排泄を待つ。
アルコールは非常に扱いが難しい、あまり質のいいドラッグではないことが明らかなのに、そこらじゅうで販売されているし、私たちは幸福追求権の当然の行使であるかのごとく毎日飲んでいる。酒毒の呪いは遅れてやってくるから結局は目先の輝きである酩酊状態の幸福で後の不幸を先払いしているだけある。快楽はプラマイゼロの等価交換。しかも、酒を飲んで楽しくなって次の日この世のすべての不幸を数時間ばかり身体に凝縮させられる刑に処せられた酔っ払い派は、忘れがちなことだが、一応は企業やその辺のショットバーが販売した酒に対して金を払って飲んでいるので、幸福量の総変化式は幸福-不幸-支払いによる不幸で赤字になっている。普通にアホである。幸せになりたい人間はくれぐれも度を越した量のアルコールを摂取することなく、世の中に不幸の種たる酒があふれかえっているのは、酒造メーカー、流通、小売り、広告代理店による周到なマーケティング戦略でPDCAされたダークビジネスが存在駆動しているからだと大脳皮質に刻みこもう。酔っ払い派の脳は酒毒で縮んでかつてのような溌剌さは失われている。昼間は狭い視界だが明確でまったくしらけた枠内調整みたいなことをしてお茶を濁し、どうせ後で後悔するのは分かり切っているのに(委縮しているのは酒飲みの脳なのか心なのか実のところわかっていないが、普通に飲みすぎることが良くないことくらいは腹の底で分かっている)。
夜は白くぼんやりとした暖かさを求めてストロングゼロでもキンミヤでもジャックダニエルでも自分の身体に合った、もしくは合っていない酒を各々のペースで取り入れてゆく。酒を飲むことはジムで体を動かすのと同じくフィットネス活動なのである。何のために、何をフィットさせているのかは、それぞれが考えるのがいいと思うが、どんなアル中でも、負けが込んでいるプロ野球チームの監督でも、飲み屋の雇われママでも、新卒一年目の事務職でも、自分のために酒を飲んでいる。
ちなみに酩酊するまで酒を飲まない人間は酒の反撃を食らうこともないが、酒や酒に酔った素敵な人間に抱きしめられた私たちや、いい感じになった友達とバイブスを合わせることができない。自分の右肩にいい女がしなだれかかっているちょっとエッチでハッピーな、控えめに言って結構最高なシーンを経験する可能性は低いし、何より自分を無責任に放棄する快楽を知らない。ずっとあちら側にいる。それはそれで少しもったいない。後の不幸と引き換えに一時の幸せを得るのも長い人生悪くない。人間万事塞翁が馬やからね。って一瞬思ったけど、やっぱり全然良くない。二日酔いは最悪だし、アルコールの継続的過剰摂取は肝臓を破壊し死の前に大いなる不幸を運んでくるはずだ。できれば副作用のないヒューマンファーストな酒が飲みたい。桃から作った天使の涙のような酒を。酒造メーカーは神の意志に逆らって営為開発中だと言う。
酒から遠い夏の日の朝、暗い玄関、涼しい風が吹いている。逆光でクラスメートたちの顔は良く見えないが、あの人だけはシルエットで分かっている。左胸ポケットに校章がワンポイント飾られているであろうブラウスがスカートのウエストにねじ込まれて立体的なシワになって、すそから伸びる腿、膝、ハイソックス、かかとをつぶしたローファーに連なっている。特に何も起こさなかったし起きなかったが、そう言えば下駄箱の前でたまにすれ違ったときのにおいなんかを思い出しながら、あなたや私は朝までラリってる。昼から飲むようになったら終わりだぞ。それでも生活は続くしきっと飲むんだが。
③飲みの場が好きな人。酒の味も、酔うこともそこまで好きではないが、なぜか酒席にいる人。付き合いで飲みに来ている。酒の味も酔うことも特段好きではない人が付き合いで酒席に座ることはTwitterなどの悪辣なインターネット社会では過去の風習・不合理な儀礼としてネガティブに扱われることも多いが、事実好きで来ている人も多い。コミュニケーションが好きっつーか、雰囲気が好きなんだね。
私なんかは、クルマで来てるんで飲酒が法律上違反になるとか、よほど体調が悪いとか、ラリる前に考えておきたいことがある場合を除いて酒の席でアルコールを摂取しないことはないが、そんな時でも万難を排してあちら側に行きたいななんて思うくらいだが、まあ飲んでなくても楽しそうな雰囲気でコミュニケーションが行われていれば、心と心が響き合って一緒に楽しくなれるかもしれない。子供のときはそうだった。親戚一同が集まる会合で父親や叔父叔母、祖父祖母、大きくなったいとこがくっさいイモ焼酎とタバコををやりながら、最初はニコニコ、最後は怒声も交えながら大音量で議論している様はローティーンの私には大変面白そうに見えた。
この逆のパターンもあって、酔った人間が暴れる、弱いものをしばく、泣きわめく、吐き散らかす、金を無心する、自殺の真似事をするなどのシーンを目撃していた人は飲みの場なんて嫌いになるだろう。酒は取扱いの難しい薬物であることは先ほど指摘したが、私が中学生くらいの時、社会的・家庭的にもやや下り坂になりつつあった親戚のおっちゃんが繁華街で酔客のケンカを止める過程で刺されたというニュースを聞いて、腹にナイフが闖入する痛みは想像できなかったが、物騒な効果もあるのだなと面白半分で得心した思い出がある。それと今になって分かるのが、きっとケンカを止めたというのは善良な市民として警察や親族に語ったウソに近い表現であってどうせ自分も当事者の一人だったのだろう。
ちなみに私も酒に酔いすぎて警察に「保護」されて一晩「保護室」で宿泊させてもらったことがあるが、数人の警官に袋叩きにされた上で所持品はすべて検められ、スマートフォンは破壊されるなどの通常の公共サービスメニューには記されていないオプションがついてくるので、酒に酔って警官とコミュニケーションをとることは本当にオススメしない。私は今でも酒に酔いすぎた翌日には警視庁四谷警察署の方面に向かって正座し、行政官の適正な法律運用を願うと共に、酒の悪魔に身体を売り渡さないことを誓っている。
ともあれ酒の場が好きな人は割と品よく楽し気に酒を飲む人に囲まれてきたんだろう。あなたの人徳によるもの大きいのだろうし、運も良かったのだろう。だからあなたには酒の場にいる酔客のケンカを止めて刺される資格がある。今後とも是非おいでください。
(この文章は、コロナ下にあって酒場を筆頭に飲食店での酒類提供を禁ずることで、わたしたちの自由や身体をコントロールすべく越権的に力を振りかざし、さらには職業差別的な政策を実施する日本政府や東京都をしり目に、路上で楽しい飲み会を開く若者たちや世話になっている飲み屋のママ、アル中のおっさん、これから未来を担うすべて酒の妖精たちに向かれて書かれた。)
(編注:コロナ「下」と表記されているのは、筆者の思想上の理由によります。)
コメント