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「原稿チェック」ができない新聞・テレビ、できる雑誌・Web。メディア特性について。 | にどね研究所

「原稿チェック」ができない新聞・テレビ、できる雑誌・Web。メディア特性について。

メディアの話

この前、「文字起こし」の意義、やり方について記事を書きました。

よい取材原稿を書くために。文字起こしの必要性、やり方まとめ

この記事にやや補足したいんですが、以前ITベンチャーで働いていたとき、「文字起こしは無駄」「仕事のできないヤツがやること」って言われたことがあって、めちゃビックリしたことがあったんですよね。

「すごい!効率的!カッケー!!!」

……と思ったわけでは当然なくて、そういうふうに考えるのかー、でもまずいなぁ、自称効率的なだけで、安易かつ非本質的にしか物事を捉えられていない浅い発言だなぁ、と思ったのが正直なところです。今みたいにフリーでやってたら、その場でサッと工夫してうまく伝えられるとは思うのですが、会社という上下関係が発生する場ではパッと反射的に言えない、そういう弱さが自分にあったので、要改善だなと思った一件です。

僕がライターや編集アシスタントの仕事を始めたのは20代初めですが、よく雑用で文字起こしをやっていました。ひとつの雑誌をつくる際に、かなりの部分を自分が起こしたことがあって、そのときはたしか20万字ぐらいやって、今まで自分が通算で文字起こししたのは100万字くらいは行ってるんじゃないかなぁと思います。で、もう文字起こしはしたくない。ブルシットなジョブだなと、思うところもあります。

原稿チェックができない「新聞」の問題

僕は、ご存知の方もいるかと思いますが、テレビや新聞によく出る人たちと一緒に仕事をしていた時期も長く、彼ら彼女らがメディアともめるケースってのをけっこう目撃したんですね。

一番ありがちなのが、新聞です。

新聞記者って、一般の人から著名人まで、いろんな取材をするんですが、その場でババっと書いて数百字でまとめる、みたいな書き方のスタイルの人が多いんですね。で、記者が取材対象者に取材するときって、「こういう話を載せたいな」ってあらかじめ意図を持って取材して、自分の意図にハマるようなふうに人の言葉を使っちゃうことがあります。っていうか、これ、超よく起こります。

「新聞記者」というと、一般の人は無条件に「すごい人」と思っちゃう部分があります。でも正直、レベルにはすごい幅があって、なかにはダメな記者も普通に存在しています。

そういうダメな記者は、自分の意図に合うように取材して書いちゃう。で、新聞って基本的に掲載前の原稿チェックができないので、取材対象者は紙面に掲載後に記事を見て、「こんなこと言っていない!!!」と激怒→記者に電話でクレームを入れる、ということが現場では起こるわけです。

新聞記者って、僕はライターの一種だと思っているんですが、ライターなのにも関わらず、あまり文字起こしをしない人が多いです。その場で取材してババっと書く。スピード感が大事な仕事ですからね。でもそれゆえに、トラブルにもなりがちだなと。まあ、新聞記者の仕事のスタイルはそもそもそういうものなので、僕はそこまで苛烈に批判する気にはならないんですけれども。彼らも時間に追われている、という部分はあるでしょうから。

テレビも新聞に似ている

ちなみに新聞と、そういう特性がよく似ているのがテレビです。僕は広報もやっていましたし、テレビの撮影の案件は何度もやっています。テレビの場合、やはり基本的に事前のビデオチェックができません。

あと、テレビは新聞と違って映像が必要なのでディレクターの事前準備がかなり必要になり、広報として対応すると無限に事前打ち合わせなどの依頼があって時間を取られたりしますね(そのへんは広報の仕事としては気をつけるべきポイントなのですが、話が逸れすぎてしまうので別の機会に譲りたいと思います)。

出版やWebは原稿チェックあり、その弊害もある

一方、新聞・テレビと違って、出版・Webの世界では、取材を受けたら原稿チェックをできるケースが多いです。一度原稿を作って、事実関係が曖昧な部分があればそれを取材対象者に見てもらえるので、ファクトチェックがしっかりしますし、編集・ライター側だけでなく取材対象者にも責任が分散されます。「一緒に作り上げる」という性格が生まれるのは、ポジティブな側面であると取ることもできます。

ただし、これにも良し悪しがあります。出版・Webのほうが「取材を受ける側」は広報的なコントロールがしやすいので、原稿チェックの段階でコンテンツの角が取られたり丸いものになってしまい、結果的に記事がつまらないものになってしまう可能性が出てきてしまうのです。これは編集側・媒体側の立場で見たとき、の話ですけれど。

「週刊文春」が原稿チェックできる媒体だったらどうなる?

まあこれは要は、「週刊文春」が原稿チェックできる媒体だったらどうなっちゃうの? という話でもあるんですね。「週刊文春」は取材対象者によく突撃とかしていますし、スキャンダルジャーナリズムをやっているわけですけれど、「こんなふうに記事書きました!」って事前に原稿チェックを対象者に出したら、記事の内容を全部書き換えられちゃいますよね。特に政治家のスキャンダルなんかを報じる場合は、政治家の事務所に、原稿チェックなんか出したら絶対ダメなわけです。

「週刊文春」は出版ですけれど、先のように出版・Webと分類したときにやや特殊な立ち位置にはなります。出版系でも、たとえば「ロッキング・オン」という雑誌なんかは、原稿チェックをさせないことで有名な媒体です。そうやって原稿チェックをさせないことによって、メディアの独立性を保つ、という考え方もあるわけです。

新聞・テレビが事前チェックを基本的にさせないというのも、実は「メディアの独立性を保つ(編集権の独立)」ということで意義がないわけではありません。とはいえ繰り返しになりますが、新聞は記者の側が、「原稿チェックさせない」という新聞業界の慣習に甘えて、自分の意図に当てはめる強引な記事を書いてしまうという問題もありますけれど。

ちなみに、田端信太郎氏がこの「編集権の独立」について、とてもいいことを書いています。誰でもメディアに関わる人は一度は読んでおくべき文章です。

編集権の独立―オウンドメディア普及の時代にこそ、発揮される価値 | AdverTimes(アドタイ) by 宣伝会議

その記事は、”報道”と”PR”の割合はどれぐらいか。

結論としては、原稿チェックをさせるかさせないかは、本来は媒体によってハッキリ分かれるのではなく、ケースバイケースで使い分けるのがいいのでしょう。

たとえば新聞の場合、言論人にインタビューする場合は、言論人は原稿の内容にはうるさいですから、きちんと新聞記者側も原稿チェックに出す、などのことをすればいいだけの話です。また、その際「実際の取材ではこんなことを言っていたので、こういうふうにまとめました」ということを記者の側が主張するエビデンスとして、文字起こしを構成原稿とともに提示すると良いはずです(現実的には新聞業界の慣習として「文字起こしをしない」というのがあると思うので、難しいかもしれませんが)。または取材の段階で、「これはこういうふうに書いてもいいですか?」と言質をとっておく。これは僕自身もけっこうやります。

編集側としては、原稿チェックを出すか出さないか、出すとしたらどこまでさせるのかを考えておかないといけません。ではどうやって判断するかというと、「その記事は、”報道”と”PR”の割合はどれぐらいか?」を本質的に考えておくしかなく、それはやはり案件ごとにケースバイケースであると言わざるを得ません。逆に、その判断を正しくできるということが編集側の仕事であって、「これで正解」というルールはなく、その担当者自身の見識にかかっているという、属人的なものです。そういった能力は、採用や評価をする側からしても、なかなか見える化ができないので、悩ましいところでしょう。

僕はPRメディアの仕事をけっこうしていますが、そのメディアの中立性・独立性を保ち、媒体価値を高めるということも仕事のひとつだと考えているので、クライアントや取材対象者から「ここをこうしてくれ」と言われたとき、必ずすべての要望を聞き入れるわけではなく、「この修正をしたら媒体価値が損なわれる」と考える場合は、かなり粘り強くネゴシエーションをします。これは編集者の仕事なんですね。

PRメディアといってもあからさまに宣伝臭い、悪い意味での「広報メディア」になってしまうと、メディアの媒体価値が下がってしまい、結局そのメディアをやることによって得られる効果が減っていってしまうので、それはクライアントにとっても良くないことですから。

冒頭のITベンチャーの話も、ここで書いたような内容を踏まえていない、見識が浅い上に、歴史を知らないことへの自覚もない愚かな考えであることは確かですが、他方では自分も含むメディア系の職業人たちの説明不足のせいでもあると思います。

今はSNSやYouTubeをはじめとして、誰でもメディアができる時代になっています。ですが、メディアというのは何であれ、暴力的な側面と隣合わせです。

過去に、新聞という、マスメディアの代表格の人たちの失敗事例はたくさんあるわけです。これなんか有名ですね。

朝日新聞珊瑚記事捏造事件 – Wikipedia

これは一例で、もちろん他にも「新聞」がやってしまった失敗はたくさんありますが、新聞のやり方が必ずしも正しいわけでもなければ、新聞記者にも優秀な人からダメな人までいろんな幅があります。メディアや記事の特性によっても、記事の出し方は変わります。結局は、メディアに関する知識を重ねていく、ということが重要なのではないかと思います。そのあたりはまた別の話になっていくので、今回はこのへんで。

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本記事の執筆者は中野ケイです。編集者・ライターやその他いろんな仕事をしています。

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