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随筆とインターネット、長期的な利得をとるということ | にどね研究所

随筆とインターネット、長期的な利得をとるということ

随筆

このブログ、ここ最近はずっと「です・ます調」で統一して書いてきたが、しかし「だ・である調」でないと書けないこともある。それが実は、ちょっとした悩みになっている。文末の語句に何を置くかによって書く内容が変わってきてしまうのだから、日本語というのは不思議なものだなと思う。特に日記のような独り言のようなことを書きたいとき、「ですます調」だと、あまり率直に書けず、他人に読まれることをかなり意識して自由に書けない、という感覚があるのだ。

というわけで、このブログは、今後は何の断りもなく、「です・ます調」になったり「だ・である」調になったりするのでよろしくお願いします。

随筆とインターネット、「ですます調」と「だ・である調」

ちなみに、心に浮かんだことを率直に書くタイプの文章は「随筆」と呼ばれたりする。同義語で「エッセイ」というのもあるが、日本語のカタカナ語としての「エッセイ」にはちょっと気取ったニュアンスが含まれてしまう気がする。まあ「随筆」だって、どっちもどっちなのだが、「雑誌でエッセイを書いてます」という人はいても、「ブログで随筆を書いています」なんて人は聞いたことがない。誰もやっていないモノ・コトを発見したら、まずはやってみるのがよい。

そして自分が「です・ます調」で書かなければならないと思い込んでいるのは、インターネット的な圧力が原因な気もしている。インターネットではとにかく「上から目線」が嫌われる。だからこそ「上から目線」に見えないようにと、「です・ます調」で書いたほうがいい、と思ってしまうのである。僕の連載「文化系のための野球入門」は「です・ます調」で書いているが、それゆえに「うーん、うまく書けないな」と思うときもある。

ちなみに「です・ます調」は口語体に近いので、「です・ます調」で書くときは、講義録・講演録のつもりで、人に話すつもりで書くのがポイントだ。そして、「だ・である調」に比べて、初心者が書きやすいという特徴もある。

一方、「だ・である調」は、初心者であっても、もちろん単に「書くだけなら書ける」。たしかに「書ける」けれど、他者指向的なニュアンスを帯びる「です・ます調」に比べ、「だ・である調」はやや自己完結的であり、それゆえ詩的な感触を持つものになる。

しかし文章の内容に重みがないポエティックな文章というのは一番こっ恥ずかしいものだ。「中身がないのがばればれなのに気取っている」という状態は、人生のなかでもっとも警戒すべきことのひとつである。スタイル先行でソウルがないものはたいていの場合、つまらない。したがって、初心者が「だ・である調」の文章に挑戦するのは、かなり用心を必要とすると思う。

最近気をつけていることについて

とはいえ僕自身は、プロとしての文章の仕事もそれなりに長くなってきたので、そろそろ「だ・である調」で随筆も書いてみてもよいと思うのだ。

で、最近、「これは気をつけよう」と思ったことがある。

それは、「尿意・便意を感じたらなるべく早くトイレに行く」ということだ。

僕はこれをけっこう我慢してしまうことが多い。何かしら集中して作業しているときに尿意・便意を感じても、「いや、今やっていることを終わらせてからトイレに行こう」と考えがちなのだ。

だが、最近、「これはただ単に怠惰なだけではないか」そんな想念が浮かんできた。「尿意・便意を感じているのにトイレに行かない」のは、トイレに行くのが面倒くさいだけなのだ。ちょっと気持ち悪く感じても、面倒くささに負けて、さっさとやるべきことを処理しない。これは「朝起きれない」という現象に似ている。

朝は、早く起きてやるべきことや仕事に取り組んだほうが、すべてのことがうまくいくし、人生も充実する。そんなことはわかりきっているのに、目先の睡眠欲に負けてしまうのだ。この短期的な欲に負け、長期的な利得を取れないというのが、僕の今の人生における最大の問題である。

毎日「朝早く起きる」のは、かなりの意志力が必要だ。もちろんいろいろ工夫はしているし、朝起きれる日もある。しかし毎日ではない。

では朝起きれないのはなぜなのかというと、僕自身は「短期的な欲を退け、長期的な利得をとる」ということを習慣化できていない、これが最大の問題だと思うのだ。

習慣化のポイントは「とにかくベビーステップではじめる」ということだと言われる。

運動不足の人は、毎日100mだけ歩くことからはじめるのが良い。そこから少しずつ距離を伸ばしていったり、走ったりするようになればよいのだ。

では、「短期的な欲を退け、長期的な利得をとる」ことを習慣化するにはどうすればいいか。「毎日朝7時に起きる」では、ハードルが高すぎる。もっと低くしなければいけない。おそらく「睡眠欲」をただちに退けることはできない。であれば、「起きているとき」で、一日何度も遭遇することが良い。

そう――それは、「トイレに行く」ということだ。

「尿意・便意を感じたらなるべくすぐトイレに行く」

この命題を自らに課す。作業を中断してでも、多少面倒くさくても、早めにトイレに行っておくと、そのあとスッキリした状態で、集中して、取り組むべきことに取り組める。

この訓練を重ねるというのは、「短期的な欲を退け、長期的な利得をとる」ということを習慣化する第一歩になるはずである。これからは、少しでも尿意・便意を感じたら、面倒くささに打ち勝ってトイレに行こうと思う。

アイキャッチについて

ちなみにアイキャッチは、姪が庭にテントを広げて、その中で漢字の勉強をしているという写真だ。

姪が生まれた日のことはよく覚えている。僕はその日、田町近くのイベントスペースSHIBAURA HOUSEでイベントの準備に追われていた。その最中に、電話がかかってきて生まれたことを知った。その姪ももう6歳で、この春から小学生である。光陰矢の如し。Time Flies……、少年老い易く学成り難し、である。

最近、仕事があまりにも忙しすぎるので、実家に1週間ぐらい滞在している。姪とも遊ぶ。公園で自転車に乗るのに付き合ったり、家で本の読み聞かせをしたり、お絵描きをしたり、一緒にプリキュアやドラえもんを観たりする。実家は大人が6人もいる大所帯で、姪はみなに愛されており、健やかに育っていると思う。

実家には、古いマンガもいくつか置いているのでけっこう読んでしまう。手塚治虫、荒木飛呂彦、藤子・F・不二雄が多い。手塚治虫を読むなかで『奇子』を久しぶりに読んだ。その勢いでKindleで『ばるぼら』『シュマリ』を買って初めて読んだが、めちゃくちゃおもしろい。手塚治虫は小学校のときにけっこう読んだつもりでいたが、子ども向けの全集だったので、大人向けのものはそこまで多くなかった。もう少し、いろいろ読んでみたいと思う。

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