フェミニズムの文脈でここ数年、「トーン・ポリシング」という言葉が注目されるようになりました。
この言葉の辞書的な定義はどういうものかというと――。
「ビジネス+IT」の記事で定義されていたので紹介してみます。
差別や抑圧が問題になっていて、その被害を受けている人たちが声を上げる際に、訴えの内容そのものではなく、話し方や言葉づかい、態度を批判することで、論点をずらす行為のことをいう。
トーンポリシングの意味は何か?「保育園落ちた日本死ね」等シチュエーション別に解説社会の課題について声を上げる人に対し、主張の内容ではなく話し方や態度を批判する「トーンポリシング」。トーンポリシングは「保育園落ちた日本死ね」ブログ、レイプ被害公表した伊藤詩織氏、保毛尾保毛男(ほもおだほもお)復活、熊本市議会に赤ちゃん連れの議員が出席したことなど、注目を集めたニュースの周辺で観測されている。この言葉の...
トーン・ポリシングは、基本的に問題提起をした人間の訴えを「無視する」という方向に働くわけで、そこでは発言内容は吟味されないというのが問題だ、とされています。
「何を言うか」よりも「誰が言うか」論者
で、思ったのが、トーン・ポリシングの問題って、昔からよく言われてきた、「何を言うか」よりも「誰が言うか」と、やや似た構造があると思うんですね。
トーン・ポリシングは、発言されたときの態度や言い方を問うわけですが、「『何を言うか』よりも『誰が言うか』論者」は、発言者のポジションを問います。
たとえばこんな感じ。
- あなた、男のくせにフェミニズムについて語る資格あるの?
- お前、大して社会的地位ないくせに社会問題について語る資格あるの?
などなど。あ、ちなみにこれ、僕が実際に言われたことあるやつです。笑
◇
「お前はどのポジションでモノ言ってるの?」というのは、多くの人がいつも気にすることだと思います。これは言ってしまえば、「権威主義」というやつなわけですが……。
そうなると権威なき人の声は、主張の吟味すらされずに葬り去ってよい、ということになってしまいます。もしそれが本質的な問題提起であっても無視され、逆に、非本質的だけれど権威ある人の言うことは受け入れられ、それで集団や社会が誤った方向に向かってしまう可能性も出てくるでしょう。
ちなみに
やや本題からそれますが、僕が2ちゃんねるをはじめとしたインターネットの匿名掲示板文化が嫌いになれないのは、みんな匿名で平等だから「何を言うか」しか重視されない空間だからです。
面白いこと、本質的なこと言った奴がすごい、という空間は、「誰がいうか」ばかり重視されるリアルの世俗的空間より自由闊達な議論ができた場所でもあったんですね。
とはいえ権威とか実績も大事っちゃ大事
そういう匿名の言論空間の良さがある一方で、何らかの実績があって権威がある人の言うことが信用度は高いということもまあ言えるはずで、権威主義がすべて間違っているというわけではない。
とはいえ、権威なき人の声に対して「お前にそれ言う資格あるの?」と問う集団や社会は、潜在的に大きなリスクを抱えることにもなってしまいます。
したがって、
- 「何を言うかよりも誰が言うか」
- 「誰が言うかよりも何を言うか」
は、どちらかが常に正しいというケースはないのではないか。
これって、すごく当たり前のことだと思うんですが、でも
「お前はどのポジションでモノ言ってるの?」
「お前にそれ言う資格あるの?」
ということを、その人の発言の中身を吟味せずに言ってしまうケースも多いと思うのです。
結局この問題って、「何を言うか」も「誰が言うか」も、その都度、重要性が変化するので、どちらかに偏らない意識を持っていくしかない、という結論になるのかなと思います。
まあ個人的には「何を言うか」が重視される社会であってほしいとは思うのですが……。
なんかめちゃくちゃ当たり前のことを書いているような気がするんですが一応、言語化してみました。
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