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ホンダ ヴェゼルのCM、ここ30年の社会文化環境の変化が見えてきて面白い | にどね研究所

ホンダ ヴェゼルのCM、ここ30年の社会文化環境の変化が見えてきて面白い

雑記

ここ数年売れている、ホンダのSUV「ヴェゼル」のCM。

これまでSuchmosやKing Gnu、藤井風などの曲を起用していて、そのオシャレ感の評価も高いらしい。

SUVはスポーツ・ユーティリティ・ビークルなので、従来は自然の中での悪路走破性などを打ち出しがちだったが、ヴェゼルのCMでは東京の街乗りをイメージさせている。

SUVといえば、個人的には90年代のトヨタ・RAV4の木村拓哉のCMが印象深い。

バブル期に女性の足となる「アッシー」という男性性が(自虐もまじえながら)生まれていた。それがRAV4では「若くてあまり金持ちではない男性(ほぼヒモ)がキャリアウーマンの女性を支える」というイメージに転換されている。キムタクは、海外を飛び回る歳上のキャリアウーマンの彼女をサポートする存在だ。

ただ、CMの最後では「俺もいつか(キミに似合うような)ビッグな男になってやる」という上昇志向も表現されている。旧来の「上昇志向を持って当たり前」という男性性から自由にはなりきれないものの、その状況をポジティブに捉え返そうという真っ直ぐさやいじらしさは、今の時代には逆に眩しく映る。

かつてはクルマのCMといえば、

①男性がドライバーで女性を連れてドライブにいくという対幻想をイメージさせるもの
②4人ぐらいの「家族」をイメージさせるもの
③登場するのは外国人、無国籍風で「高級感」を打ち出すもの

などのパターンに分かれていた。

最近はそこに、④恋愛や家族は関係ない若い仲間どうしの「パリピ」感を打ち出す、というイメージが加わっていた(スズキ・ハスラーや少し前のヴェゼル、三菱・デリカミニなど)。

自分のクルマを買えるぐらいの女性つまりキャリアウーマンをイメージさせるCMだと、(これはけっこう昔からだが)スズキの「ラパン」などがあったが、あくまで「カワイイ」の枠からははみ出さないようになっていた。

そんな中で、ヴェゼルの最近のCMが打ち出したイメージが面白い。

これまでSUVといえば男性だったが、このCMの主人公は女性。

雨の日の夜に、久しぶりに女友達に連絡をとり、会いに行き、一緒にドライブをするというもの。

アッパーではなくチル、「離れた場所にいる同性の友達」というシチュエーションは、これまでのクルマのCMではあまりなかったように思う。

女性がSUVのドライバーとしてターゲティングされており、そこに「恋愛」「家族」「カワイイ」はなくてもいい、ということになっているのだ。

現実の路上の話をすれば、ラパンはやっぱりナメられる。「ラパンは女の車」というイメージがあるからだ。だが、ヴェゼルのようなSUVはでかいのでナメられない。公道において「ナメられない」ということは、快適な運転体験のためには案外重要である。

映画『ワイルド・スピード』シリーズなどを見ていると、クルマは基本的人権、つまり「移動の自由」の象徴なのだなと感じる。

クルマはたしかに消費文化の一部だが、アニメや漫画やドラマなどのカウチポテト系娯楽と異なって身体性が宿っており、そこに「移動の自由」という基本的人権の問題も絡んでくるので、やっぱりおもしろいプロダクトだなーと思う。

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