少し前に『THE FIRST SLAM DUNK』について書いた。
いま読み返すと、勢いに任せて書いているので感情がほとばしりすぎて、よくない文章だなぁと思う。自分が編集者だったら粘り強く直させるやつだ(「直させる」という言葉は他人に対しては使わないが、この場合は自分に対してなのでご容赦ください)。
で、いま改めて、このとき何が言いたかったかが何となくわかった。今日ツイートしたとおりのことである。
まあ、かなり正直に書きすぎかなとは思う。これじゃ伝わるものも伝わらないかもしれない。
少し補足すると、90年代の『SLAM DUNK』ブームは実際に社会の風景を変えていて、バスケをやる若者が急増した。それまでバスケ=女子のスポーツというイメージがあったが、男女関係なくやるようになり、バスケ人口そのものも大きく増えた。ちなみにこれは僕の「あなたの感想ですよね」ではなく、中体連のバスケ部員数のデータを見ると、如実に変化が出ているのだ。
統計データにインパクトを与える漫画・アニメって何!? と思うが、90年代の『SLAM DUNK』にはそれほどの力があった。だが、『THE FIRST』はどうだろう。文化系の人、アニメファンに『SLAM DUNK』の凄さは知られたのだろうし、アニメ表現の洗練はあると僕も思うが、「それだけ」なのだ。現実にバスケをやろうという人は別に増えないだろう。「文化系」や「アニメファン」の、漫画としての『SLAM DUNK』の評価に影響を与えただけ。それが僕の言う、「エンタメに閉じてる」ということの意味である。
ここでは「『THE FIRST』もバスケ人口を増やすようなものとして作るべきだった!」みたいなことを言いたいわけではない。だが振り返ってみると、90年代の『SLAM DUNK』は、社会の風景そのものを変えてしまったことが偉大だったのだ。ポップカルチャーが現実の風景を変える、そこが面白かったし、素朴に「漫画・アニメの力ってすごいな」と思うのである。ところが『THE FIRST』が現実に与えたインパクトは「東映アニメーションが儲かった」以上のものではない。
果たしてそれは文化をつくっていると言えるのだろうか、批評的な評価に値するものなのだろうか、ということだ。
ちょうどそのあと、『THE FIRST』と対称的な作品、『ラーゲリより愛を込めて』を観た。
直後に感想をツイートしたら、まあまあバズった。
またしても若干上から目線の言葉なので読み返すとヒヤヒヤするのだが、『ラーゲリ』は社会の風景を一部変えていた。若い女子たちが戦争映画を見に来たのである。嵐の二宮和也、Sexy Zoneの中島健人というジャニーズ所属の俳優二人、そして桐谷健太や松坂桃李といったポリティカルな劇に出演してインパクトを残す若手男性俳優たち。この人たちをきっかけに映画館に足を運んだ若者が、シベリア抑留のことを知り、新宿にあるシベリア抑留を扱った平和祈念展示資料館にも来場者が増えているらしい。
思い出したのは映画『永遠の0』である。この作品は百田尚樹原作ということで、「文化系」「リベラル」の人で観た人は皆無と言ってよい。僕個人もまだ「『永遠の0』を観た」という文化系・リベラルの人に出会っていない。
だが、映画の『永遠の0』はなかなかいい作品である(原作小説は未読だが、おそらくいい作品なのではないかと思っている)。社会的な発言をする百田尚樹と、創作をする百田尚樹は少し人格が違うらしい。いや、正確に言うと映画『永遠の0』にも百田尚樹らしさが少しは出ていたが、本人の発言よりはだいぶソフトかつ繊細な表現になっていた。そして映画『永遠の0』は、20代以下の若者もかなり観ている、若者に人気の作品でもあった(ちなみに公開年の2014年は僕も20代だった)。ちょうど今の『First Love 初恋』のようなものとして消費されていた記憶がある。
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