前回はフィールドワークの中で胸叩き儀礼をおこなうヘイアトと出会った話について書きました。今回は拙著第二章「音文化の規制と儀礼の拡張」の内容にも少し触れつつ、フィールドワークの中で感じた身体感覚をどのように記述していくかということについて書いていきたいと思います。
本のプロモーション動画第二弾ができましたので、まずはこちらをご覧ください(40秒の動画です)。
前回の動画でもそうですが、やはり儀礼をおこなっている人たちの身体が重要だということが、映像から感じられるのではないかと思います。問題は、それを本の中でどのように文章で表現するのかということです。
フィールドワークと身体
正面からそのような問いを掲げているわけではありませんが、この本の中で試みていることの一つに、イランで実際に生活しているときの身体感覚を読者に伝えたい、という思いがあります。
人類学的フィールドワークの特徴として調査者の身体性というのは欠かせません。前回、フィールドワークというのは調査である以前に生活である、という話をしましたが、具体的には雑踏の中を歩いたり、共に食事をしたり、家に招かれたりと、さまざまな形で現地の人々と場を共有する中で、自分がそれまで無意識にしていた文化的な身体動作の違いに気づいて、それを対象化できるようになっていきます。
イランの場合で思いつくものをあげれば、以前書いたトイレのほか、信号のない道路の渡り方、「いいえ」と返事をするときに舌打ちしながら顎を突き出す仕草などがあります。これはよく「カルチャーショック」とも言われる現象です。
このような身体動作の一環として、「踊り」もあるといえます。イランでしばらく暮らし、ホームパーティーや結婚式に招かれたりすると、「踊る」ことの意味が日本社会とは違うことに気づくかと思います。日本ではクラブなど専用の場所で踊るほか、ショーとしてダンスを練習したり、またお祭りなどで踊るということがあるでしょう。
一方、イランでは、踊ることが生活の中でもう少し身近にあるように思います。ホームパーティーでも、食事の後に音楽をかけてそれに合わせて踊ったりすることがあります。結婚式でも踊りはつきものです。子供のうちから大人がするのを見て身につけていくものとして「踊り」があるといえるでしょう。
イスラームと踊りの微妙な関係
ただし、こうした音楽や踊りの文化はイスラームの規範と緊張関係にあります。それについて詳しく扱っているのが、第二章「音文化の規制と儀礼の拡張」です。詳しい説明は拙著を参照してもらいたいのですが、簡単にいえば次のようになります。まず、イスラームの原則では音楽も踊りも禁じられています。
けれども許容される条件があったり、何が「音楽」や「踊り」に該当するのかといった該当範囲の確定をめぐってイスラーム法学者のあいだで論争があるため、私たちが音楽や踊りとみなすような実践は、イランの中で、革命の前にも後にもあり続けています。
イランでは音楽や踊りについて、ある一定の範囲を超えたものが取り締まられることもあるため、それが時折、欧米(やたまに日本)のメディアで取り上げられることがあります。そして、そうした記事は「イスラーム体制で禁じられている」という不自由さを強調することが多いです。これは必ずしも間違っているわけではありませんが、ややミスリーディングだなとも思うわけです。というのも、ここでは「自由を享受できる私たち/自由が制限されてかわいそうな彼ら」という二項対立が無批判に前提とされているからです。
けれども実際に暮らしてみると、単にこうした二項対立では語れないことが実感されます。そもそも社会における「踊り」の位置づけや、「違法である」ということが意味する内容が異なっているからです。むしろ「自由だと思っている私たち」も、実は不自由さを強いられているのではないか? という気づきにもなるでしょう。
たとえば日本でも、違法となるわけでもなしに、電車の中や街中で音楽に合わせて急に踊りだしたらヘンな人と思われます。今でこそバズるためのネタとしてやる人がいるかもしれませんが、普通は他人の目を気にして踊りを自制し、しかもそれを我慢の意識もないほどに内面化しているともいえるでしょう。第二章では、イランの中での音楽や踊りの文脈を伝えたいということが念頭にあり、このような内容になっています。
宗教儀礼と音文化
さらに第二章では、宗教儀礼をイランの音文化(音と連動した身体文化)の一環として位置付けて考察しています。動画にもあったような宗教儀礼の躍動感は、単にそれとしてあるのではなく、これまで述べてきたようなイラン社会の日常の身体性と密接に結びついている、と考えているからです。
こうした知見は、人類学的フィールドワークを通じてもたらされたものです。つまり「『宗教儀礼』を調査します」というかたちで観察の枠を設定するだけではなく、別の領域と考えられているものとも比較をしているわけです。
先ほど述べた、音楽や踊りをめぐる国家による規制と、それをかいくぐって実践する人々との間の関係と似た関係が、宗教儀礼の中にも見られます。踊りのような要素が宗教儀礼の中にも取り入れられていくなかで、そうしたやり方を好まないイスラーム法学者と、それを好んで積極的に宗教儀礼に参加する信徒とのあいだにも緊張関係がみられるのです。
このように儀礼が人々を駆り立てる魅力を、少しでも現地社会の身体感覚とともに伝えられれば、というのがこの章の裏テーマです。
拙著ではこのように補助線を引くことで、宗教儀礼の躍動感を言語化しようと試みました。それがうまくいってるかどうかは、どうぞ拙著をお手に取って評価していだけるとありがたいです。
拙著『服従と反抗のアーシューラー: 現代イランの宗教儀礼をめぐる民族誌』(法政大学出版局)は、2023年4月11日発売予定です。(了)
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