『プロメテウス』『エイリアン:コヴェナント』―リドリー・スコット監督の新エイリアンシリーズが意外と面白い件

「20世紀名作映画のリメイクいい加減にしろ」「今さらエイリアン!?」という声が聞こえてきそうだが……。9月15日に新エイリアンシリーズの第2作『エイリアン:コヴェナント』が公開された。しかも、やっぱりというべきなのか、興行的にも批評的にも失敗作という雰囲気になっている。

ところが、僕はごく一部で意外と面白いという評判が上がっているのを見つけて興味を持ったので、前作『プロメテウス』をAmazonビデオで鑑賞した上で観てきた。


▲画像は映画.COMより

『プロメテウス』『エイリアン:コヴェナント』とエイリアンシリーズの関係

エイリアンシリーズは1979年公開の第1作をリドリー・スコット(『ブレードランナー』『グラディエーター』『オデッセイ』)が、続く第2作をジェームズ・キャメロン(『ターミネーター2』『タイタニック』『アバター』)が、そして第3作はデヴィッド・フィンチャー(『セブン』『ファイト・クラブ』『ソーシャル・ネットワーク』)が、第4作はジャン=ピエール・ジュネ(『デリカテッセン』『アメリ』『ロング・エンゲージメント』)が監督した。

ただ基本的にこのシリーズの創始者はSF映画の巨匠リドリー・スコットである。そのオリジネイターたるリドリー・スコットが最近になってエイリアンシリーズのリブートを開始し、第1作が2013年の『プロメテウス』として公開された。そんで今回の『エイリアン:コヴェナント』は第2作となる。

ただ、前作『プロメテウス』の宣伝用ポスターには「人類はどこから来たのか。」という文言が踊り、大きく写されている人影があるもののそこにエイリアンの形跡はなかった。


▲画像はYahoo!映画より

当然、なんやこれ!本当にエイリアンシリーズなの!? という話になる。なので僕は劇場公開時、興味は持っていたものの、結局観賞するのを忘れていた。

ところが今回、『プロメテウス』『エイリアン:コヴェナント』を続けて観賞して、御年79歳のジジイであるリドリー・スコットがこれをやりたかった理由が少しわかった気がした。たしかにけっこう難解で、シナリオも変ではある。新エイリアンシリーズを鑑賞した人たちの共通見解は、「未知の惑星を探索するのに、いくら大気の成分が地球に近いからって、宇宙服とか防護服を着ないで登山にでも行くような格好で出かけるのは危機意識が薄すぎないか?」というものである。僕もそう思う。でも、おそらくこの新エイリアンシリーズは「異星探索の際はアウトドアウェアで」という縛りのある世界なんだと思うしかない。何でやねんと思われるかもしれないが、そこを全力スルーした上で、「人類の起源とは?」「宇宙とは?」「生命とは?」という壮大なテーマに迫っていくというのがこのシリーズの醍醐味であるように思った。

『ターミネーター』と比較してわかるエイリアンシリーズの特性

ちなみに鑑賞後、旧エイリアンシリーズも見直してみた。旧シリーズといえば何と言ってもシガニー・ウィーバー演じる主人公リプリーが有名である。『エイリアン』という作品はSFではあるものの、迫り来るエイリアンにひたすらビックリしひたすら撃退するという要はSFパニックホラーで、のちの『バイオハザード』などの起源のひとつでもある。

で、同時期の名作SF映画『ターミネーター』と比較すると、『エイリアン』にはあんまり救いやカタルシスがなかったと思うのだ。『ターミネーター』はシュワちゃんの「I’ll Be Back.」といった名台詞があるが、タイムスリップという設定や、未来の世界がどうなっているのかの興味と併せて、ワクワクさせられる部分も大きい。

ところが『エイリアン』はただひたすら焦燥感と絶望感だけがある。やっとのことでエイリアンを撃退してほっとしたと思ったらまた新たなエイリアンが現れてきてビックリさせられ、そこでまたリプリーは戦わなければいけない。

それと『ターミネーター』は戦いの動機が明確である。「機械に支配された未来世界で人類のレジスタンスの指導者となるジョン・コナーとその母サラ・コナーが生き延びて、未来に希望をつなぐ」というものだ。

一方、基本的にエイリアンの世界では平気で何百年も時間がすっ飛ばされる。だからリプリーには守るべき家族や大切なものもないし、「人類」自体も基本的に信用できる人たちではないので、守るべき価値もない。リプリーは戦う動機とかをあまり考えず、とにかくエイリアンを殲滅するためのマシーンのようにもなっている。

エイリアンで描かれる宇宙空間も、決して夢のある舞台ではない。一歩間違えば死が待っている、そういう絶望的な環境で閉所に追い込まれ、戦いを繰り返さなければならない。外部のない世界で、わけのわからない敵とひたすら戦わされてしまう。エイリアンではそういった「絶望」と「理不尽」が繰り返される。

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不快さを感じに行くという映画体験

ちょうど少し前にクリストファー・ノーラン監督の新作『ダンケルク』が公開されていた。この作品は、戦争映画という立て付けではあるが、どちらかというと戦争を題材にしたアトラクション映画だった。戦争映画としてのメッセージ性の深さでいえばメル・ギブソン監督の『ハクソー・リッジ』とは比べるべくもないレベルだが、ノーランの狙いは戦争映画からメッセージ性を脱臭することだったのだと思われる。映画館で戦争アトラクションを体験させるぐらいしか、もはや映画の役割はないのだ、ということなのかなと思う。

余談だけど「第二次大戦の戦争体験」という意味でいえば、ゲームだが今度の『コール・オブ・デューティ』の新作が面白そう。戦争アトラクションをやるのであればこっち(ゲーム)のほうが楽しいのではないか……?という気がしている。


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で、新エイリアンシリーズを観て感じたのは、とにかく不快であるということ。その不快さは、表現面でのエイリアンのグロさにとどまらない。シナリオも不快である。もっとも「アウトドアウェアで異星探索」という脚本の粗ではなく、このシリーズでは「人類の起源とは?」「宇宙とは?」「生命とは?」という抽象的かつ哲学的なテーマが展開される。その描き方がけっこう意地悪なのだ。

最近、HuluやNetflix、Amazonビデオなどのサブスクリプションサービスが普及し、家でも気軽に映像コンテンツが観られるようになっている。気晴らしや暇潰しとしてはもうサブスクリプションで十分な気がしている(最近『HiGH & LOW』シリーズをHuluでみている)。でも僕は映画館にはわりと行くほうで、なんでかというと、数分〜20分程度の映像体験に慣れてしまって、家では映画に2時間とかはなかなか集中できないので、強制的に2時間拘束されるのは助かるのだ。あと気分転換に外に出かける口実にもなる。

なぜアンドロイドとエイリアンが対立項になるのか?

その意味では、『エイリアン:コヴェナント』は「強制的に2時間拘束され不快でカタルシスのない物語を見せられる」という体験であった。ちなみに「不快」だからといって「面白くない」というわけではなかった。

というか、この2作を連続して観るとけっこう面白い。

ただ、その「面白い」のなかに、「楽しい」「共感できる」という成分がまったくない(断言)。で、happyでもfunnyでもないが、interestingではあったと思う。「人類の起源とは?」「宇宙とは?」「生命とは?」というテーマはいちいち壮大で、しかもそれが絶望感のなかで描かれる。

さすがにそれだけだと紹介になっていないので少しだけネタバレありで説明すると……。

新エイリアンシリーズでは、要は人類を作り出したのは巨人族みたいなやつらだったのだ(ちなみにこれはけっこう序盤でわかるし予告編でもだいたい予想はつくので大したネタバレではない)。そいつらが人類を作り出したのだが、その人類は今、アンドロイドを作り出している。これが新エイリアンシリーズの基本的な世界観である。

これは要は西洋世界の奥深くに根付くギリシア神話的な歴史理解だと思う。ギリシア神話で有名なゼウスやアテナ、アポロンといった神々は「オリュンポス十二神」と言われ、彼らは基本的に「ティーターン十二神」と言われる巨人族の子の世代にあたる。そしてオリュンポスの神々が、自分たちを作ったティーターンの神々に戦いを挑んで勝利する――これがギリシア神話の基本的な世界観。新エイリアンシリーズは、その枠組を踏襲し、巨人族=ティーターン十二神、人類=オリュンポス十二神という位置付けになっている。

しかしこのシリーズが面白いのはいくつかの変数があるということ。まず一番大きいのは人類が作り出したアンドロイドである。当然ながらこのアンドロイドは人類の忠実なしもべとして作り出されたが、ティーターン神とオリュンポス神の抗争があったことを考えたら、アンドロイドが人類に対して何をしでかすかは未知数である。さらにそこに、エイリアンというこれもまた巨人族が作った、ひたすら「生」を追求する生物が出てくる。

面白いのは、特に『エイリアン:コヴェナント』でだんだん明らかになってくるのだが、なんと人類ではなく「アンドロイドとエイリアン」が対立項になってくるのだ。なぜならアンドロイドは生殖が行えないが、エイリアンはひたすら自己増殖していく。そしてアンドロイドは「生きる意味」を考え、造物主たる人類との関係を考えるが、エイリアンはそんなことは一切考えない。その両者の中間というか、合いの子のような存在として人類がいるのだ。

「たしかに、これまでエイリアンってただの怖い存在だと思ってたけど、人類もエイリアンっぽいところがあるよな、なんか無駄に自己増殖していくし……」ということも思い当たるわけである。この先、人工知能技術が発展し、やがてアンドロイドも現実のものになっていくだろうが、そうなったとき西洋的な生命観が問題になってくる。リドリー・スコットは、そのことを考えたいのだと思う。

現時点でテーマとして見えているのはそういったあたりだが、今後リドスコおじいちゃんがどう取り組んでいくのかは正直けっこう楽しみになってくる。で、おそらく今度日本で公開される『ブレードランナー』の続編も、リドリー・スコットが製作総指揮(監督はドゥニ・ヴィルヌーヴ)であるが、このあたりのテーマが絡んでくるのではないかと思う。

ただ、『エイリアン:コヴェナント』は興行的にやや失敗気味らしく(ちなみに『ブレードランナー』続編はさらにそれを下回っている)、続編がちゃんと順調に作られるかわからない。でも『コヴェナント』はまだ公開中なので、ぜひ今のうちに多くの人に(『プロメテウス』を観てから)観に行ってみてほしい。

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▲『プロメテウス』はAmazonビデオレンタルでどうぞ。


▲ちなみに、『プロメテウス』を観た後は、『エイリアン:コヴェナント』の前日譚にあたるこの特別映像を鑑賞してから観に行ってください。

(おわり)

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